第30話君がいるだけで4

 解術するのに時間が掛かって、その間にどんどん不安が募った。




「クロ!クロ!」




 連れ去られた方向へ走りながら、ひたすら呼び続けた。道行く人が振り返るが、構っていられなかった。




「クロっ、どこぉ!?」




 泣きそうになった時、路地から出てくるクロを見つけた。




「ワンワン!」


「クロぉ……っ」




 走り寄ろうとして、目の前で転んだ。




「うう、くろぉぉ」


「うわっ…ワン」




 ずりずりと這いながらクロに手を伸ばすと、微妙な顔で後退りしかけたクロだったが、思い直したように私の手をそっと掴んだ。




「良かった、クロ、連れて行かれたかと…」




 膝を立てた状態でクロを抱き締め、その胸に顔をすりすりすると、クロは私の肩を抱いて赤い髪に顔を埋めて、スンスンと匂いを嗅いだ。




「……そうだ、翡翠は?翡翠はどうしたの?」




 身体を離して問うが、クロは首を振るばかり。




「アテナリアに帰ったのかな?」




 あんなに息巻いていた翡翠が、私達を放って戻るようには見えなかった。




「……クロ」


「ワン!」




 興味無さそうに、私の手を引っ張って大通りに戻ろうとするクロ。




「翡翠に……何かした?」




 よくわからないふうに小首を傾げるクロを、じっと見つめる。




「………………クロ」


「………………………」


「……取り合えず、ここから離れようか」




 クロの手を握ると、次の街へ乗せてくれる乗り合い馬車の停留所へ急ぐ。徒歩よりは速いけれど、逆に私達がどこに行くか足が付きやすいので今まで避けていた。




 でも今は、とにかくここから離れなければ。




 クロが何か言いたげに私を見上げているのに気付いて、ちょっぴり笑う。私を見る時のクロの表情は豊かで、話さなくても伝わる。




「………クロは、私の怪我を心配してくれる優しい子だもの。そんな子が、翡翠に何かするはずないでしょ。きっと翡翠は考えがあって、アテナリアに帰ったんだよ」




 クロは、私から視線を外して、前をうつむき加減に歩いている。




「私、クロを信じてる」




 握った手を一旦離して、その手でクロの黒髪をくしゃりと撫でた。


 ほんの少し私の手から避けようと、頭を傾けたクロは、結局は撫で撫でされるがままになっていた。




「ペットのすることは、飼い主の責任だから気を付けないとね」




 そう言いながらも、私の気持ちは上の空だった。




 乗り合い馬車の中、クロを膝に乗せて私はずっと抱き締めていた。




 不安と焦りでいっぱいだった。いつか近い内に、クロと離れ離れになる予感。翡翠に会って更にそれが増大した。




 次の街に着いて、目立たないよう小さな宿を取る。


 食欲が出なくて夕食を残し、お風呂に入ってもぼんやりしている私を、クロは眉を潜めて見つめていた。




 その不安が抑えきれなくなったのは布団に入った時だった。




「クロ、早く来て」




 手を広げて呼ぶと、また固まったようになっていたクロは、いきなりカッと目を見開き、走り込むようにして布団に潜り込んできた。




 私に被さるようにして、そのまま治癒の術をかけたはずの、翡翠にぶたれた頬を舐めてから、首を舐め始めたところを両手を背に回して、強めに抱き締める。




「ワン…グウウ」




 不満げな声を出してもがくクロが、顔を上げて私と目を合わせた時には、もう涙が止まらなかった。




「クロ……クロ…」


「……ワ、ン」


「私、クロとずっといたい…けど、う、無理かもしれない、また誰かが追いかけてきたら…どうしよお」




 グシャグシャの顔を見せたくなくて、横を向く。




「不安で…」


「ワウ」


「わたし、クロ好きだから…離れたくないよお」




 翡翠に連れ去られるクロを見送るしかできなかった。あの時感じた気持ちは、とても辛かった。


 またあんな気持ちを感じる時があると思うと、不安で寂しくて辛い。




「…うっ、クロ…ずっと一緒は…やっぱり無理なのかな」


「………………」




 クロといると、楽しい。初めは無理やり一緒にいてもらっていた。今も術で強制して一緒にいる。でも本当は、クロの意志でいて欲しい。




 それを確かめないのは、やっぱり不安だから。




 抱き締めていた手を緩め、横を向きボロボロ泣いた。


 今日の私はダメだ。泣いてしまおう。不安を涙と共に流しつくせば、気持ちも楽になる。




 そう思ったのに。




 無言でクロが私の肩を引くものだから、また仰向けになってしまった。


 目を瞑って、泣き声を口に手を当て堪えていたのに、クロがその手を掴んで、強引に引き剥がした。




「うええん、今は、ほっとい…」




 開きかけた唇に蓋をするように、柔らかい感触が泣き声を阻む。


 驚いて目を開けると、目を閉じたクロの顔が近い。


 触れるだけの唇が、離れる直前に、私の唇を軽く啄んだ。




「…あ…」




 驚いて泣くのを忘れた私を、少しだけ顔を離したクロが見つめる。金色の宝石が私を映して、炎のように揺らめくのを見て、心臓が跳ねる。




「……ク、ロ」




 私の瞳に溜まったままの涙を、クロが指で払い落とした。それから、なぜか悔しそうな表情を浮かべた。




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