第9話君に決めた3
「ふふふ、さあ観念しなさい」
「グルル」
壁に追い詰められて後のないその仔が、低く唸っている。金色の目が睨んでくるけど平気だもんね。
ここはアテナリア王国の東隣のヘパイストース国。
アテナリアを出て、たった1日で隣国まで来れたのは、主要都市に設置されている転送魔法陣のおかげだ。
故郷に私は帰ることにした。昨日、私の中で何かがプツリと切れたのだ。
私は義務と責任から逃げる代わりに、自由とこの仔を手に入れた。
故郷に帰るには、南に下らなければならない。でも、もしこの仔を追い掛けて、アテナリアから追っ手が万に一つもかかるとするなら、撹乱しなければならない。
転送魔法陣を使うと痕跡が残る。かなり消したつもりだが、このまま真っ直ぐに故郷を目指すのは得策じゃない気がした。
それに、故郷は田舎だから、転送魔法陣で直ぐに行けるわけではない。次は西に迂回してから南下しよう。なるべくなら転送魔法陣は使わないほうがいい。
ヘパイストース国に転送してやって来たのは明け方。
公共の転送魔法陣は、聖女専用の転送部屋とは少し方法が違う。
小さな屋根のある簡易な小屋に魔法陣があり、その脇には小さな机のような物が設置されている。中央に埋め込まれた石があり、希望者はそこに自分の新鮮な血を一滴垂らす。
人間であることが、その血の成分で判別されると発動するのだ。別に人間の個体を識別するほど性能はないので、追っ手にはわからないだろう。ただ、抱いていた魔族の気配が心配。布にくるんで隠していたけど、完全には消し去れないと思う。
宿を見つけたのは、明け方。
「ちょっとお客さん、異臭のするナマモノは持ち込み禁止です!」
「き、綺麗にしますから!はい、これ」
迷惑料と宿泊代を先払いすると、受付のおばさんが渋々と部屋の鍵を渡してくれた。
命をかける可能性のある聖女候補は、授業料と生活費は免除で、おまけに月々奨学金という名目でお小遣いももらえる。正式な聖女は、更に高い給料を貰ってる。
もうもらえないのは残念だけど、一年ほどは普通に生活できる貯金がある。ふ、私は実はそこそこ裕福。
部屋に入るや否や、中に付いてるお風呂に湯を張る。
片手で抱えていた仔を下ろすと、口に巻かれた魔道具の布を取り払った。
可愛いほっぺと唇が現れた。
「よし、まずは髪を切って」
はむっ
………噛まれた。
「いだっ!?」
「はむ、てめ、ふざちぇんにゃ、はむ、ばくはしぇよって、てあち、もげるちょこ、はぐはぐ、だっただりょ!」
「………魔族語?」
舌足らずなのは可愛いな。でも、魔族語わかんないや。私が首を傾げていると、益々腕を噛んできた。
どうも封じられた期間が長かったので、魔族としての力が戻っていないみたい。
だから、噛むしかないのかな?なんか慣れたら気持ちいいかも。歯形は付くけど、傷になるほどの噛む力はないみたい。
「はあ、効く」
「にゃ?!」
疲れてるみたいだ。でも、このままじゃ洗えないな。
空いてる片手にハサミを持って、はむはむ中の仔の長すぎる髪を肩上で切った。
「おお、おかっぱ。可愛い」
「うああっ!」
口を離した新おかっぱな仔が、いきなり私からハサミを取り上げると、椅子の上に乗って、洗面台の鏡を見ながら自分で髪を切り出した。かなり短く雑に切ってる。
「切りすぎだよお」
「うるちゃい!!」
うーん、ご機嫌ななめだなあ。また噛まれるかもしれないな。
確か図書館で借りた全年齢対象の小説にも、動物に噛まれた女の子出てきたなあ。
「怖くない……ね、怖くな、い」って生き物を愛する彼女は言ってた。そしたら、噛むのを止めた動物は傷口を舐め出す。
「あはははは」肩に乗せた動物とくるくる回る女の子。
うーん、そんな展開、この仔と迎えられるかな?
「ムリだな」
未だ髪を調節する仔の後ろに、そおっと忍び寄る。
ぼそぼそと詠唱を唱える。
「我に服従せよ」
「にゃに?!」
驚いて見上げる仔に、言霊を載せて畳み掛ける。
「君は、私のイヌ。今日から私が飼い主だよ。よろしくね」
「わ、わん!!?」
魔族語から、イヌ語へ。ぺたりと四つん這いになった仔の頭をなでなでする。
「よし、調教できそうね」
「グルル」
壁まで後ずさり、その仔が睨んできたが、もう噛もうとはしない。できないのだ。服従の術で強制力が掛かったので、飼い主には逆らえないのだ。
「お風呂行こうね。あ、名前どうしよっかな…」
「グ、ワオン」
「じゃあ、クロね」
「ワウン」
俯くクロ。気に入ってもらえたようで良かった。
「じゃあクロ、お風呂。脱ぎ脱ぎしようね?」
「ギャオン」
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