14-5 「不思議な巡り合わせですな、我々も」

「柏木殿、そのご衣装、歩きにくくないですかな?」

「いえ、慣れてしまいましたので」


 柏木は答えてから考え深げに眉をひそめた。


「左大臣殿こそ、そのお姿で動きにくくありませんか?」

「いえいえ、却って小回りがきいてよいといいますか、老体より動きやす……ゴフッ!!」


 なんたる奇妙な光景であろうか。オールバックにスーツ姿のいかめしい中年男性と、だいぶ古びてきたテディベアとが仲良く並んで、午後の山のなかを歩き回っているのである。ちなみに最後に聞こえてきた音声はテディべアの方がスーツ姿の男を見上げながら歩いていたために前方の倒木に気づかず顔面から衝突した音であったが、スーツ姿の男性の方は悠々と倒木を踏み越えてから足を止めて、仰向けに倒れているテディベアを見下ろした。


「ご無事ですか?」


 この状況でさえ、にやりともしないのはさすがというところか。


「心配、無用、ですぞ……!」


 左大臣は痛み(?)に打ち震えながらも起き上がって顔を押さえつつ答える。柏木はさっと周囲を見渡した。まだ日が高いというのに、山中は樹々の枝が幾重にも重なっているせいで薄暗く、奇妙なまでに静まりかえっている。ここは桜花市内の北端にそびえる北山と呼ばれる山で、以前は市のイベントとして筍狩りなどが行われ、市民の憩いと交流の場ともなっていたのだが、数年前に奇妙な事件が起こってからはあまり人が寄り付かなくなっていた。そのせいか、手入れもほとんどなされておらず、参道に横たわる倒木が片づけられずにそのままになっていたり、不心得者が捨てたゴミが散らばっていたり、看板の注意書きが薄れゆくままに放置されていたりもするのだが、それゆえに今の左大臣のごとき悲劇も起こり得るのであった。


 柏木は磨いたばかりの革靴がぬかるみの中に沈みこんでいくのを感じてそっと足を上げた。ちょうど今しがたその上に足を置いていた泥と落ち葉は干からびて、木漏れ日を受けて白くひらめいたが、そのひらめきのさままでが、置き去りにされて長いこと風雨に曝された骸の白さに通ずるところがあった。一体なぜこんな山のなかを歩き回らねばならないのか。


「い、行きましょうぞ、柏木殿。今日こそはなんとしても琥珀の姿を見つけなければ……!」


 そう、桜花市民を喰い殺していたとみられるかの魔獣を見つけるためである。作戦会議の結論としては、琥珀は日中は人気のない場所に、恐らくは山や森のなかに身を隠していて、夜になると町に降りてくるのだろうという意見が採択され、学校に通わねばならないいたいけな少女たちに代わって、そのねぐらを探し出す使命が、光栄にも柏木と左大臣に与えられたのであった。


 かくして、このちぐはぐなコンビは散策には至って不似合いな格好で以って、山中をさ迷い歩いているのである(もしこの二人にもう少し現代的感覚があれば、魔獣に出くわすことより人間に出くわす方を恐れたであろうに)が、最初の探索地としてこの北山が選ばれたのは、近隣住民から最近この山から野犬の遠吠えのような声がするとの情報が市に寄せられているためだった。


「……しかし、思えば不思議な巡り合わせですな、我々も」


 命じられれば一日中物を言わぬように女主人によって訓練された柏木は、再び道を歩みながら左大臣が語り出すのにやや怪訝なそぶりを見せた。


「どういう意味です?」

「いえ、姫さまがたはともかく、我々は再び会うはずなかった組み合わせですからな。京姫と四神のみ魂は幾度も清らかな乙女のうちによみがえると言いますが……皮肉なものですな。わたくしと柏木殿はよみがえるもなにも、全くなのですからな。姫さま方が前世と呼ぶ、あの時代はわたくしどもにとっては『昔』なのです」

「『昔』はこんな風にあなたと歩き回ったものです」


 転がる枝を踏みつけて、柏木。


「そして悪さをしましたな」


 テディベアは木の幹をジャンプして超える。


「……して、貴殿はいかにして『昔』のままこの世界に来られましたかな?」

「『昔』の悪さゆえに転生を許されず、やむなく。あなたも転生できぬがゆえのそのお体かと」

「しかし『昔』の肉体ごとこちらへ来ることは常人の業ではありますまい。そのところを詳しくお聞かせ願いますかな」

「それはできません」

「ほう、それはまたなにゆえに?」

「答えられません」


 二人の足が同時に止まった。


「……朱雀殿が何かなさいましたかな?」


 左大臣はぼたんの目に柏木の姿を映して畳みかける。かわいらしい造りが表現でき得る限りでではあったが、老獪な政治家の油断ならぬ微笑が、テディベアの顔面に写し取られていた。


「必要とあらばお嬢様は、ご自分がなさったことを全てあなたたちに話される」


 柏木は三白眼を真っすぐ前に向けたままだ。


「話されないということは、可能性は二つ。あなたたちは知る必要がないか、もしくはあの方は何もしていないか」

「そのどちらなのです」

「私などにはわかりかねます」

「……柏木殿、わたくしとて単なる好奇心から聞くのではありませぬぞ」


 左大臣はついに厳しい声音になって言った。


「姫さまや四神の皆さまが覚醒された、それさえも本来ならばあってはならぬこと。姫さまがたはごく普通の少女として、戦いなど知らず、前世も思い出さず、平和な日々を過ごされていたはずなのです。ましてや我々はこの世界に存在してよいはずがない。琥珀を亡霊と呼ぶならば、我々は果たしてなんですかな……そうですな、さだめし異物といったところですかな」

「異物、か」


 柏木はつぶやいて、唇の端を歪めて笑った。左大臣が眉をひそめるような笑い方だった。


「言い得て妙だ」

「つながるはずのない前世と現世がつながり、異物たる我々がこの世界に存在している。これは看過できぬ事実ですぞ。たとえそれを『奇蹟』と呼びたくなるほど哀切な追憶が我々にあったとしても。なぜなら忌々しいことに、この『奇蹟』は漆のもたらしたものなのですからな」


 柏木の皮肉な笑みが剥がれ落ちる。


「柏木殿、貴殿がいかにして現世に来たか、それを問いただす理由がお判りになりましたかな」

「……漆がどのようにして現世によみがえったのか、その手掛かりがあるかもしれないとでも?」

「さすがご明察」


 勝ち誇り高らかに笑う老人を前に、柏木は小さく肩をすくめてみせた。しかし、それは降参のしるしではなかった。


「では、あらかじめ言っておきましょう。残念ながら何の手掛かりにもならないと」

「おや、なぜそれをわたくしに判断させてはくれぬのです?」

「私が現世ここにいるのは『奇蹟』ではない」


 答えながら柏木は胸ポケットに手を差し入れる。取り出された銃身が木漏れ日を反射して釦の目を射抜いても、左大臣は身じろぎひとつしなかった。


「では、なにが貴殿をここに呼び寄せたと?」

「……」


 その刹那、左大臣と柏木とは風の唸りを聞きつけた。二人の瞳と銃口が同時に一つ所へと向けられる。



 木の間を抜けては山を駆け降りてくる。それは獣というよりは牙であり、牙というよりは風であり、風というよりは憎悪であった。左大臣の目と柏木の目は確かにそれを映しているはずなのに、捉えられるのは黒煙のごとくわだかまった巨大な何かと、蹴上げられる落ち葉だけである。


「柏木殿!」

「わかっています……!」


 柏木は放った銃弾は遠い木の幹を穿つ。続けざまに放たれた弾もまた、木の葉を撃ち落とし、枝を散らばしたものの、すさまじい勢いで駆けてくる憎悪の影には届かなかった。


 影が初めて黄金の獣の形となった時、引鉄を引くのにはもう間に合わなかった。二人はそれぞれ木陰へと飛び込んで、鋭い牙から身をかわすので精いっぱいであった。二人が先ほどまで立ち尽くしていた泥濘を、怒り狂った獣の咆哮が占めた。

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