第一六一話 脳筋たちよ、まだ早い!
帝国歴二六七年 紫水晶月(二月)
「マリーダ様、ブレスト様、ラトール、まだ早いですよ」
脳筋たちは、領内ににわかに立ち昇ったいくさの匂いを嗅ぎ取ったようで、朝から城内をせかせかと駆け回っている。
今回は農兵も動員し、大軍でルチューンを攻めるため、糧食の準備をしていたところを気取られたらしい。
こっちがまだ一言も戦とは言っていないのに、勝手に自分たちで装備の点検やら、携行糧食のチェックまで始めていた。
「アルベルト、嘘はいかんのじゃ! この匂いだと、近いうちに大いくさをするつもりであろう。今回は象を連れていくぞ! 妾は象に乗って敵陣を突き崩す役目を任せてくれ!」
「マリーダ姉さん! 象に乗るのはオレだ! 指揮をするのに視界が開けた方がいいからな!」
「馬鹿者! 先陣を務めるワシが象に乗るのが筋であろう!」
いくさの匂いでハイになってる脳筋三人が、朝からマジでうっとおしい。
俺は面倒な三人の相手を天敵に任せることにした。
「リシェール、アイリア、フレイ殿、三人を頼むよ」
「承知しました。マリーダ様、今日のお仕事がまだ『全然』終わってませんが、どうなっているのでしょうか? まさか、いくさの用意に夢中で忘れてたとは言いませんよね?」
リシェールの冷たい視線に晒されたマリーダが、明後日の方向を見て、ジリジリと後ずさる。
「妾が仕事をさぼるなどということをするわけがなかろう。さぁ、お仕事、お仕事」
「マリーダ様、本日は二〇〇枚ほどありますので、遊んでいる暇はありませんよ。すぐにこちらへおいでください」
「きひぃ! 馬鹿な! 二〇〇枚じゃと! そのような数があるわけが――!」
「残念ながら、積み上がっております。さぼったのは誰でしたかね?」
リシェールの顔が引き締まると、マリーダがわなわなと震え始める。
「わ、妾は知らぬのじゃ!」
リシェールに腕を抱えられると、マリーダが執務机に連行されていった。
南無! 日頃の行いの積み重ねが大事。
「ラトール様、最近お給金が払われず代わりにこのような請求書が届いたのですが、どういうことでしょうか!」
マリーダが連行されると、いつもは愛らしい顔のアイリアが、怒気を強めてラトールに紙きれを突き出していた。
あー、あれはオークションの代金だな。
ラトールが俸給の前借りしてたとは聞いてたけども。
あいつも家老職拝命して一家を立てた身なんで、嫁を泣かせたらいかんなぁ。
「違うんだ! アイリア、それはだな! 必要経費だ! 必要経費! オレも家老だしビシっとした武具がいるわけで――」
「お給金がなければ、明日のご飯も作れませんが……。それに一言も相談をしてもらえておりません!」
アイリアが詰め寄ると、ラトールの顔色が途端に悪くなる。
なんだかんだ言って、嫁のアイリアを大事にしてるラトールにしてみたら、彼女の怒られるのは非常に気まずいだろう。
「だがな。金がなかったんだ。だから、ちょっと前借りしただけで――」
「わたくしに一言相談してもらえばお金は工面したのに、信用して頂けないのですね」
「それじゃあ、オレのかっこがつかねえって」
嫁に拗ねられて、狼狽するラトール君だが、諦めてゴメンするしかないよ。
親父殿と同じように嫁のご機嫌取りをした方がいい。
ラトールたちからブレストに視線を移すと、嫁のフレイにすでに土下座をしていた。
「すまん、許してくれ! もうしない!」
「私に黙ってへそくりしてたとは、さすがエルウィン家家老ブレストさんだね。その金であんな高価な武具を買い入れるとは。へぇ、偉くなったものだね」
「申し訳ない! もう二度としない! ちょうど、武具が痛んでて買い替えたかったんだ」
「うちの家計は裕福じゃないって何度も言ってるはず、ラトールが独り立ちして少しは余裕ができたけど」
「分かっている。フレイがやりくりしてくれるから、ワシは家老職をそつなくこなせておることは重々承知しておる!」
「なら、謝罪の方法は分かってるわよね?」
フレイがニヤリと笑うと、顔を上げていたブレストがスッと立ち上がる。
「アルベルト! ワシは嫁の機嫌取りをする! しばらくは城に出仕せぬからな! よろしく頼むぞ!」
嫁のフレイを抱え上げたブレストは、そう言って執務室から駆け去っていった。
ふむ、嫁孝行ちゃんとしてくれたまえ。
できれば、ラトールが独り立ちしたから、ブレストの家を継がせる子を仕込んでもらいたいところ。
フレイさんもまだまだやる気は十分みたいだしね。
まったく熱々だねー。
「アルベルト、アイリアが実家に帰るって言いだし始めたんだが、どうすればいい!」
フレイを抱えて去ったブレストを見送っていたら、ラトールが半泣きで俺に縋りついてきた。
こっちはこじれてしまったか。
アイリアが本気でそんなことを言うわけないんだが、今回の件は腹に据えかねたってことだろう。
「それは困りますねぇ。アイリア殿は、エルウィン家とノット家の絆の象徴。それが離縁を申し出て実家に帰るとなると、ラトールの責任は重大。ここはしっかりと謝罪と誠意を見せるしかないな」
「しゃ、謝罪! 誠意とは!」
「すまなかった。二度としません。オレはお前を愛してるでいいと思いますよ」
ラトールの顔が真っ赤に染まる。
まだ、ちゃんと言ってなかったのか。
「そ、そうなのか!」
「そうだと思うぞ。アイリアはまだ正式に結婚してない婚約者殿だからね。言葉にしてやらねばいけない」
頷いたラトールは、アイシアの前に行くと、土下座して先ほどの言葉を告げた。
「すまなかった! もう二度としません! オレはお前が大好きだ!」
アイシアもラトールの言葉が嬉しかったようで、いつものように愛らしい笑顔を浮かべてこちらに頭を下げた。
夫婦仲良くでよろしくです。
「では、許します。今日はわたくしのお手伝いをしてもらいますね」
「おう! 任せろ! アルベルト、というわけでオレも今日は帰る! さらばだ!」
アイシアを抱え上げたラトールは、ダッシュで執務室から出ていった。
静かになった執務室に、泣きながら印章を押すマリーダの嗚咽の声だけが響いた。
「アルベルト様、デニス様がお越しになられました。大広間にてお待ちになられています」
フリンに呼ばれたので、執務室を後にすると大広間へ向かう。
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書籍版第一巻発売されました! 書籍でも脳筋たちが暴れておりますので、そちらもお楽しみくださいませ!
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