第一五三話 待望の出産と赤札セール爆誕

 帝国歴二六六年 青玉月(九月)


 俺は寝室の前の通路を左右に行ったり来たりして、せわしなく歩き回っていた。


 イレーナが予定より早く産気づき、陣痛が始まったことで、産婆とともに寝室に入って数時間が過ぎた。


「アルベルト、落ち着くのじゃ。そなたが焦ったところで何にもならぬのじゃ」


「こればっかりは、何度経験しても落ち着きませぬ。謀略、軍略であれば、冷静に筋道を仕立てて、実行するのみですが。出産は不確定要素が多すぎる! はっ! そうだ! 医療技術向上も予算を割り振らねば! 乳幼児の死亡率を下げないと、大事な子たちが死んでしまうっ!」


「落ち着くのじゃ! 今から予算を配分しても医療技術は向上せぬ」


 錯乱しかけた俺の脳天に、マリーダからの冷静なツッコミが叩き込まれる。


 たしかにその通りなんだが、脳裏に自分が想定する最悪の事態がぐらんぐらんと駆け巡り、落ち着いていられる状況ではない。


「万が一のことがあるかもしれないのですぞ!」


「産婆がおるのじゃから、任せるしかあるまい」


「ですが――」


 俺がなおも抗弁しようとすると、扉の奥の寝室から子供の泣く声が聞こえてきた。


「う、生まれた! 生まれたぞ!」


 慌てて扉に駆け寄ろうとすると、開いた扉が頭を直撃した。


「イテテッ!」


「ア、アルベルト様!? なぜ、そのよう場所に!」


 出産の手伝いをしていたカランが、額を押さえた俺を見て、目をぱちくりとさせている。


 目が覚めるような痛みだが、のたうち回っている暇はない。


 我が子とイレーナの無事を確かめねば!


「大丈夫! それよりも、イレーナと子供は――」


「両名とも無事でござい――」


 カランの言葉を聞き終わる前に、開いた扉から奥の寝室に走り込んだ。


「イレ―ナ、無事か!」


 寝室には、グッタリと横たわるイレーナの姿があり、こちらの呼びかけに対し返答をしてこない。


 不安に襲われた俺は、ベッドわきに寄り、彼女の手を取った。


「イレーナ!」


「出産で疲れて寝ておられるので、そっと寝かしてやってください」


 我が家の子を全員取り上げてきた産婆が、イレーナの手を握ったままの俺に話しかけてきた。


「そ、そうか。大丈夫なのか?」


「母子ともに大事ありませんので、ご安心ください。御子様は今、湯あみ中なのでしばらくお待ちください」


 産婆の視線を追うと、部屋の奥で身体を綺麗に表れている乳幼児の姿が目に飛び込む。


 母親のイレーナと同じ金色の髪で、瞳は俺と同じ黒色をした子だ。


「どっちだった?」


「立派な男の子です。お名前はお決まりでしょうか?」


 息子! 息子だ! ラインベールもこれで浮かばれるだろう。って死んでないが!


 そうか、息子か! 三男になる。


 ラインベールは商人組合長として、技の神アスクレーを深く信仰してるって話だったし、イレーナもアスクレー信徒だったので、健やかに育つよう神様の名前をもじって欲しいと頼まれている。

 

 男子の場合は、『アスク』と決めていた。


「ああ、名は『アスク』だ」


「『アスク』様ですか、良い名だと思います。イレーナ殿もきっと喜ばれると思いますよ。湯あみも終ったようですし、抱かれますか?」


「ああ、頼む!」


 産婆が湯あみを終えた我が子を手渡してくる。


 俺の手の中で元気に泣く三男アスクの手はアレウスたちの生まれた時に比べるとやたらと大きい。


 技能系の仕事とか得意なのかも。もしくは、俺とイレーナの子でもあるし、算盤弾きが得意な子になるのかもしれない。


「ちちうえ、おめでとうございます! 弟でしたね! ユーリも喜んでおります!」


「ちちうえ、おめでとうございます。よろしければ、あにとしてどう振舞えばいいか、教えてください」


 別の部屋で自習をしていたアレウスとユーリが、マリーダとカランと一緒に寝室に入ってくると、生まれた子を見て祝辞を述べてきた。


 うちの子たちは、母親が違うが、兄妹の中はとてもいい。


 長男アレウスは、異常なほと兄妹の面倒見のいい男であるし、次男ユーリは兄を信奉し知識で兄を助けている。


 長女アレスティナは、少しだけお転婆の気配を漂わせているが、それでも兄たちに可愛がられている存在だた。


 そして、三男アスクもまた兄妹たちから可愛がってもらえるだろうし、嫁と嫁の愛人たちからも可愛がられる存在になると思われる。


 三本の矢ならぬ、三〇本の矢くらいになっても兄妹仲良く家を盛り立てて行って欲しい。


「三男の『アスク』だ。二人とも仲良くしてやってくれ」


 俺は抱き抱えていた三男アスクをアレウスとユーリが見られるよう腰を落としてやる。


 アスクは、顔を覗き込んだ二人の手を掴もうと、大きな手を突き出した。


「よろしく頼む」


「よろしく」


 二人とも、弟の手を握るとニコニコと笑いかけた。


 アスクも二人が優しい兄たちだと感じ取ったのか、ニッコリと最高の笑顔を返していた。


 アスクたんもかわええぇ! どうして、こうもうちの子たちは可愛いんだろうか! 最高かっ!


「アルベルトは子供たちに甘々なのじゃ! 妾にも抱かせてくれなのじゃ!」


「あぁ!」


 マリーダが俺の手からアスクを受け取ると、自分で抱き抱えてあやし始めた。


「イレーナの顔立ちに似ておるが、アルベルトの瞳の色をしておるのか。アレウスやユーリと同じようにいい男になりそうじゃのぅ。泣かされるおなごはいっぱいおりそうじゃ!」


 アスクたん始め、俺の子供はそんな悪さしない子です! ちゃんと全員面倒見る甲斐性をみせてくれるからっ!


 マリーダにあやされても、怯えた様子を見せないアスクたんは将来が楽しみである。


 マリーダがあやしながら、みんなでアスクの顔を見ていたら、部屋に駆け込んできた者がいた。


「アルベルト様! 生まれたそうですな! どちらでしたか!」


 声の主は、イレーナの父であるラインベールだった。


「男の子でしたよ」


「男!」


「よかったのぅ。イレーナは焦っておったからな。男児が授かったことで我が家の分家を継ぐことになるであろう」


 俺が騎士爵を得たことで作られたエルウィン家の分家は、アレスティナが継ぐ可能性もあるが、アスクもまた継承者としての資格を持つ子である。


 獣使いの才能を見せ始めたアレスティナは、山の民の指導者になる可能性が高まっており、アレウスが本家、ユーリはアルコー家を継ぐと、イーレナの子であるアスクが俺の分家を継ぐ可能性が高い。


 ユーリと同じく、本家を支える有力な分家当主としてアスクも大活躍してくれるはずだ。


「マリーダ様、アルベルト様、ありがとうございます! このラインベール、孫のため、さらにエルウィン家の発展に身を捧げさせてもらいます! まずは、誕生祝の祝宴の用意をせねば! では、私は準備があるのでこれにて!」


 ラインベールは、孫であるアスクの顔をチラリと見ただけで、祝宴の用意のため、部屋から駆け去っていった。


 って、言うか。一週間前くらいからずっと用意してなかったっけ?


 また、鬼人族がバカ騒ぎするんだろうけど……。


 今回は商人組合長をしてるラインベールの孫の誕生ってこともあるし、商人組合の主催で城下街もお祭りをするって話になってた気がした。


 まぁ、うちの子の生誕祝いだから派手にやってくれていいんだけどね。


「さてさて、イレーナ殿がまだ眠っておられますし、アスク様にも面会されたので、ここらで一度解散して頂けると助かりますが」


 産婆がマリーダからアスクを受け取ると、イレーナの隣に寝かせる。


 それもそうだな。寝てる人の横で騒ぐのも気が引ける。


 イレーナが目覚めたら、また一度顔を出すことにしよう。


「マリーダ様、アレウス、ユーリ、退散するとしよう」


「そうじゃな。イレーナが目覚めた後、また来るとしよう」


 俺たちは寝室から外に出た。



 翌日、イレーナが目覚めたとの報告を受け、再び寝室を尋ねた。


「アルベルト様、マリーダ様、昨夜はお出迎えもせず寝ておりまして申し訳ありませんでした」


「よいのじゃ! 子の出産はいくさよりもきつい仕事じゃ! やり遂げた後の休養はしっかりと取るがよい。それよりも乳の出はよいか? アスクもいっぱい飲むじゃろう?」


 マリーダがイレーナの隣に座ると、胸が張って一回り大きくなった胸を揉みしだいていく。


「マリーダ様のマッサージのおかげで、よく出るようになっております。アスクも先ほどたくさん飲んで寝てしまいました」


 マリーダのセクハラにも、イレーナは終始にこやかな応対を崩さない。


 その顔には母性が宿り、今までのイーレナからまた一段と女性っぽさが増していた。


「うむ、たくさん飲むのは良いことじゃ。丈夫な子に育つじゃろうな。アレウスもたくさん飲んでおったからな。それはそうと不便なことはないか? 何かあれば、カランを通じてアルベルトに請求するのじゃぞ」」


「はい、今のところカラン様のご助力で問題なく済んでおります」


「遠慮はしないでくれ。必要な物は本当にないか?」


 イレーナに再度確認すると、彼女は少し考え込んだ顔をする。


「あ、ありました! 少し甘い物が食べたいです。出産まで制限されておりましたので……」


 仕事が立て込み眉間の皺が深くなった時のイレーナが、甘い物でストレスを発散しているのは知っていた。


 なので、仕事終わりには甘い物を差し入れするようにしていたのだが。


 妊娠中は甘い物を摂取しすぎないように制限されていたことを思い出した。


「すぐに城下街の菓子職人に甘い菓子を用意させる! リシェール! 菓子職人に連絡を!」


 別室で仕事をしていたリシェールに菓子の準備を頼んだ。


「はい、すぐに用意させます。私たちもお裾分けしてもらっていいですかね?」


 寝室に顔を出したリシェールが、お菓子のおすそ分けを強請ってくる。


「そうですね。皆さんで一緒にお菓子を頂きたいですね。アルベルト様、ダメですか?」


「妾は酒のつまみが欲しいのじゃ!」


「酒のつまみはダメ! お菓子は皆で食べるとしよう!」


「なぜじゃ! 菓子では酒が飲めないのじゃぞ!」


「承知しました。マリーダ様、城下の菓子職人を呼んで来てくれたら、おつまみはあたしが作りますよー」


 リシェールの返答に駄々をこねようとしていたマリーダが立ち上がる。


「すぐに呼んでくるのじゃ! しばし、待て!」


 マリーダがすぐさま部屋を飛び出していった。


「激渋の苦み成分入り肉包みを一個だけ入れたおつまみセットですけどねー」


 これは酷い。


 リシェールは、マリーダに一人ロシアンルーレットやらせるつもりだ。


 当たりを引けば苦さで目が眩むと言われてる野草を混ぜ込むつもりだろう。


 マリーダ、可愛そうな子。


 その後、意気揚々と城下の菓子職人を連れてきたマリーダであったが、皆が集まったイレーナを労うお茶会では、見事に激渋の苦み成分入り肉包みを引き当て、苦みで床をのたうっていた。


 一方、俺は甘い菓子を皆と食し、事なきを得ている。


 こうして、我が家は三男一女の子沢山となったわけだが、初孫を得たラインベールが暴走しまくって、商人組合主催のアスク生誕赤札割引祭りを開催し、大幅割引セールがいたる店で行われて、周辺の商人たちが大挙して押し寄せ、いつも以上の人手があった。


 まぁ、押し寄せた商人たちが、割引セールで売られた品を買い、大量の金を落としたし、商店としても在庫処分を行え、新規商品の購入が促進され、結果としてプラスの成果だった。


 のちの話になるが、アスクの名が冠されたこの割引祭りは、毎年の定期開催になり、祭りの開催期間中はアシュレイ城下街が人で溢れる一大イベントに発展していくことなる。 

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