第八話 当主のお仕事

 そんなわけでマリーダとリシェールを引き連れ大広間に移動すると、当主用に設えられた政務机の上に溜まっている領民からの陳情書の数がとんでもない数になっている。


 本来なら当主だったブレストの仕事だが、筆を握ると蕁麻疹が出るという鬼人族。


 書類仕事をするくらいなら、いくさのための肉体鍛錬に励みたいという人種である。俺もこの二週間で彼らの事務処理能力が欠落していることを痛感しているため、さきほどみたいな力仕事の担当を鬼人族たちには割り振っているのだ。


 戦闘のために生きる一族。戦闘に関しては超絶職人芸を見せる変人集団、それ以外の能力は子供以下、それがこの鬼人族に対して下した俺の結論であった。


 エルウィン家の舵取りを任された者として、人には得手不得手があると理解しているため、長所を際限なく伸ばすことに決めていた。ただし、それは家臣たちだけに限る。


「アルベルト、妾は部屋に帰ってベッドでうたた寝してよいかのぅー。それか、鍛錬をしたいのじゃが」


 机に座るや、すぐに当主率先でサボりか肉体鍛錬をしたいと申し出ていた。


 ブレストが言っていたようにマリーダは鬼人族の中でも更に特殊な人物で、いくさのなかで成長を遂げており、同族からもいくさ女神とも言われるほど野生児丸出しの女性であるのだ。


 しかも、この国の皇帝と乳兄妹であり、その野生児ぶりを溺愛されていると言っていいほどの厚遇を得ている。

 

 野生児らしく奔放な性格のマリーダを実妹のように溺愛する魔王陛下も相当にキテる人なのかもしれない。ただ、実物には会ったことがない。


 マリーダが当主復帰するため、再叙任された目通りの時も当主であるマリーダしか面会を許されず、陪臣に過ぎない俺は城下街でリシェールとえっちい下着を買い漁りつつ待っていたからだ。


 野生児であることは理解しているが、家臣たちとは違い、当主として最低限の仕事をしてもらわねば困る。


「印章押しはマリーダ様の仕事だと、昨日も申し上げたはず。リシェール、マリーダ様に印章を」


「はい。心得ました。マリーダ様、こちらを」


「細かいことは嫌いなのじゃ。アルベルトが全部やると申したではないかー。印章打ちなど妾の仕事じゃないのじゃ」


 マリーダが駄々を捏ね始めたが、決裁の印章だけは当主が押さねば、帝国の定めた法を破ったことになるので俺の首が飛ぶ。


 内政・外交・謀略全ての権限を与えられてはいるが、それらを最終決定するのには当主の印章決裁が形式上とはいえ必要となるのだ。


 領主貴族は領地を正式に継いだ爵位保持者の当主のみが、皇帝から与えられた印章を持つ。数年に一度、帝国から派遣される監察官にこの印章の押されていない決裁書類が見つかれば政務全般を仕切っている俺の責任として詰め腹を切らされてしまう。


 だったら、印章を俺が預かれば問題ないかとも思われるが、爵位保持者以外が印章を持っているのを帝国に気取られれば、即御家取り潰しに発展する重大事になるのだ。


 野生児であるマリーダとはいえ最低限、印章押しだけはしてもらわねばならないのはご理解して欲しい。


「最低限、それだけやってもらえば、あとは全て私がやりますので。それとも、この書類の山を精査しますか?」


 机の上に溜まった書類の束を見たマリーダの顔色が蒼くなる。


「嫌じゃ。字は読みたくない。妾は黙々と印章を打つから、アルベルトが精査するのじゃ。まったく、叔父上もこんなに書類を溜めこむとは。リシェール、印章が曲がらぬように紙を抑えてくれ」


「承知しました」


 書類の精査を嫌がったマリーダが渋々、リシェールに押さえてもらった書類に印章を押し始めた。


 マリーダが仕事を始めたことで、俺も溜まりに溜まっている陳情決裁資料の精査を始める。


 ちなみにアシュレイ城は、魔王陛下の居城でエランシア帝国の帝都のあるアラクサラ城と、俺の出身国であるアレクサ王国の王都ルチューンを結ぶ街道である『馬車の大道』上の要衝に立てられた城というのは前述している。


 平時は多くの交易商人が行きかい、城下の街はエランシア帝国の物産を各地に売り捌きにいく隊商の出発点にもなっているのだ。


 けど、エランシア帝国は周囲を敵国に囲まれた国なんで、戦争状態になれば、即最前線の城になるだけどな。


 アシュレイ城以北の一帯はなだらかな丘が続く耕作に適した裕福な土地で、エランシア帝国の食料の八割を生産すると言われる穀倉地帯となっており、その穀倉地帯を守る最前線の城がマリーダたち鬼人族の領地であるアシュレイ城だ。


 紛争状態が頻繁に起こるアレクサ王国も、大軍を率いて帝国内部に侵攻するためには、街道上の重要拠点であるアシュレイ城を落とさなければ、いくさ馬鹿の鬼人族の奇襲や輸送路襲撃に悩まされることは間違いないため、最重要攻略拠点とされているらしい。


 なので、この地の状態を詳細に把握するため、色々と把握に努めているのだが。


 なにせ歴代の前任者たちが事務能力皆無の者たちであり、内政政策の策定に必要な領民数、農村の数、食料の取れ具合といった税収の基礎台帳を作る元となる書類が皆無であるのだ。


 領地からどれくらいの飯が取れるかと農村人口の把握は、動員できる農民兵数が決まるので、早急に行いたい。


 前任者であるブレストに租税関連の台帳資料を要求したら、台帳資料って何? って真顔で言われたときは、思わずグーパンチしてた。


 だが、鬼人族の面の皮は厚いので、俺の手が負傷しただけであったが、やりどころのない俺の憤懣が当主のマリーダの身体に吐き出されることになったのは秘密にしておく。


 あの日、ガンバちゃったのは全部君の一族のせいだからね。


 奇声をあげながらリシェールに手伝ってもらい印章を押す仕事をしているマリーダの姿をみてふぅとため息が出る。


 無い物を期待してもしょうがないので、陳情書の精査をしつつ、書類の整理をしていくことにした。

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