花の雫が眠るまで

白猫のかぎしっぽ

第1話必要とされる者でありたかった


 人間関係がここまで面倒な事だとは思わなかった。

 人間となんかもう関わりたくない。

 こんな事を思うのは何度目だろうか。




 満月が映える美しい夜。

 私は夜闇の中を走っていた。

 街の路地裏から人混みへ、人混みから路地裏へ。

 そうして、かつての自らの行動の末に産み落とされてしまった。

 挙句、殺されそうになってしまった腕の中の小さな命を見つめる。


 元々この子を生み出す気は無かった。

 それでも生まれてしまった以上はきちんと生きて貰わなければ。

 この子は望まれずに生まれたけれど、私とは違う。

 この子は私が守り抜けばきっと愛されるだろうか。

 この子に私の希望を託しても良いだろうか。


「いつか、君が望まれる子になる様に祈っているよ」


 この子の名前は、唯。

 私の唯一無二の希望で救い。

 けれど、それを教える必要も悟られる必要も無い。

 ただ、愛でれば良い。

 私はこの子の影になれば良い。













 幼い頃、私はただ純粋に両親から褒められたくて何事にも取り組んでいた時があった。

 周りも見ずに、聞かずにただ褒められたくて必要とされたくて。

 自分は要らない人間では無いのだと主張したくて。

 そうして出来上がったのが今の私だった。


 かつて天才だと謳われ、とある事が切っ掛けで、今では悪目立ちしてしまうだけの手のかかる問題児。

 私は必要とされたのでは無く、半ば腫れ物の様に放置されていた。

 これではまるで、私は「この世界のどこにも必要とされない愚物」の様。

 そう思ってしまった瞬間からずっと怠さと眠気が私を襲う。

 まるで、自ら愚物に堕ちていくかの様に。




 15年後、201X年、初夏


 太陽も未だ沈まない昼間。

 高い気温と削られていく体力。

 陽炎にゆらゆら揺れる中高一貫の私立御鏡みかがみ学園の校舎。

 どうしても気だるさの残る時間帯。

 到底快適とは言い難い生温い風だけがそよぐ教室。

 教室の半数が気だるげに授業を聞き、気温と体調に付いていけずに舟を漕ぎ始める少数。

 その隅で薄ら汗を滲ませながらも考え事をしているのか、ぼんやりと窓の外を眺める少女。

 名前は、上代唯かみしろ ゆい

 私は学園内に中学生として在籍していた。


 午前の授業が終わった。

 誰もが声をかけることを躊躇して避ける中、ぼんやりとしている唯に躊躇なく近付く影が一つ。


「唯、また考え事?」


 ハッ


 私を現実に引き戻した声の主は、どうやら私を気に入っているらしい。

 滑らかで少し病的な程白い肌。

 ほんの少し幼さの残る赤い頬。

 後ろで縛ってサラリと背中に流された腰程の艶やかな黒髪。

 青い縁の丸みを帯びた眼鏡。

 その眼鏡の奥から覗く、私を見つめる柔らかい黒の瞳。

 唯一私に親しげに声をかける物好き。

 気に掛けてくれている存在。

 何故私なんかに声をかけるのかは分からない。

 けれど彼女の言う通り。

 確かに私はさっき意識がどこかへ飛んでいた。

 だって、私はどこに居ても余りに悪目立ちし過ぎる。

 は見つけたけど近付けないし。

 本当、こんな人生……


「つまらない」


「え、確かにつまらない授業だったかもしれないけど、それは先生が居る所で言っちゃ駄目だからね?」


 私の呟きを返答だと思ったのか、そう返す彼女は私をしっかりと見つめていた。


 何気に先生に失礼なクラスメイトだな。

 返答じゃなくて、完全に独り言だ。

 今のはまずかったかな。

 私はそもそも先生の授業を聞いていないのであって、楽しいとかつまらないとかそれ以前の問題で、興味が無い……ってこれも失礼か。


「そう、ですね

 失礼しました」


「いやいや、私は注意しただけだから。

 それより……」


 気まずい、と言うように視線を右往左往させてから、私をじっと見つめる彼女。


「何か用事があるみたいですね。

 ここでは話せない内容ですか」


 面倒事はごめんだと思う反面、彼女の相談はあの子に近付ける唯一のチャンスでもあった。

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