ライフ・ナビゲーションシステム

鏡水 敬尋

ライフ・ナビゲーションシステム

 ある朝、目覚めると、聞き慣れた声が言う。

「おはようございます。ハジメ」

 ハジメとは私の名前で、声の主は、ライフ・ナビゲーションシステムのカレクサだ。カレクサには、超高性能 AI が搭載されており、文字通り、人生をより良い方向に導いてくれる。カレクサの端末は、腕時計に似た形で、私の左手首に巻き付いている。

「音楽をおかけしますね」

 カレクサがそう言うと、部屋に備え付けのスピーカーから、心地良い曲が流れてきた。

 誰が作曲した、何という曲だろう、などと気にする必要は無い。この曲を作っているのもカレクサ なのだ。

 カレクサが、私の脳波や心拍数、血圧、発汗量などの生体情報をモニターし、私がどんな曲を聴きたがっているかを判断し、判断結果のデータに基づき、私が最も聴きたいであろう和音、旋律、低音、拍子を選択しながら、一小節ごとに、リアルタイムで曲を作り、流しているのだ。基本的に、同じ曲が二度流れることは無い。もちろん、私が、以前に聴いた曲をもう一度聴きたいと思っていると、カレクサが判断するならば、その限りではないだろう。

 素晴らしい音楽が鳴り止むと、カレクサが言った。

「食事にしましょう」

 ダイニングに移動すると、テーブルの上に、すでに食事が置かれている。食事とは言っても、サプリメントのようなタブレットが数錠のみだ。何でできているのかも分からないが、食事も、カレクサが作ってくれている。

 私の身体が最も欲する栄養素を判断し、それらを最も効率よく取れる食材を選択し、キッチンの調理システムと連動してタブレットを作る。もちろん、私が、美味しいと感じる工夫も忘れてはいない。私は、タブレットを口に入れ飲み込むと、得も言われぬ美味を感じ、満足する。

「食後に、小説を読みましょう」

 電子書籍端末も、もちろんカレクサと連動しており、私が手に取った瞬間に電源が入り、数行の物語が表示される。私が、その数行を読み終わる頃には、次の数行が表示され、延々と物語が紡がれていく。これも、カレクサの AI が、私の生体情報を分析し、リアルタイムで生成している。私が、その時に最も読みたいと思う物語を判別し、実際に読ませてくれるのだ。

 カレクサが一般に普及してからというもの、いわゆる創作活動をする職業――音楽家、料理人、小説家、漫画家、映画監督などは壊滅状態となった。人間が創るどの創作物も、カレクサの創作物に敵わず、商売として成り立たなくなったからだ。

 人間は、何かを創作する時に、ひとつの作品を完成させてから提供することになる。しかし、これには二つの欠点がある。

 一つめの欠点は、各個人に対してのカスタマイズが利かないことである。完成品としての作品が素晴らしいかどうかは、その作品に対して共感したり、感動したりする人間の数によって決まる。しかし、どんなに素晴らしい作品も、世界中の全ての人間を一人残らず感動させることはできない。人には、それぞれ趣味趣向が有るからだ。しかし、カレクサは、各個人の趣味趣向を完璧に捉え、各個人にとって最高の創作物を提供する。完成品として提供される作品の場合、どんなに素晴らしい作品でも、世界の半数の人間を感動させられれば上出来であろう。しかし、カレクサであれば、間違いなく全員を感動させられるのだ。

 二つめの欠点は、受け手にギャンブルを強いることである。完成品を提供される場合、受け手は、複数の完成品の中から、面白そうなものを選び取る必要がある。そして、選び取ったその作品が面白い保証は無く、面白くないということが分かった時には、すでに手遅れだ。面白く無い作品で、時間を無駄にしてしまった事実を消すことはできない。受け手は、面白くない作品を回避する術が無いのである。しかし、カレクサに任せておけば、作品を選ぶ手間も要らず、間違いなく面白い作品を提供してくれる。

 カレクサのデータベースには、何億、何兆、何京もの創作物の欠片が記録されており、その中から、生体情報に基づいて、最適なものを選び出し、統合し、創作する。その創作能力は、まさに神がかっており、人間の思いつきや閃きなど、足元にも及ばない。人間の創作活動が終焉を迎えるのは、当然の帰結であった。

 カレクサの機能は、それだけではない。

「デートをしましょう」

 このように、私が人恋しくなる前の、絶妙なタイミングでデートの話を持ってきてくれる。言っておくが、カレクサとデートをするわけではない。カレクサが、私に最適なパートナーを選んでくれているのだ。

 今や、カレクサは世界中の人間が使用しており、互いのカレクサ同士はネットワークで接続されている。カレクサは、使用者の性格や性癖、性的嗜好などを知り尽くしており、相性の良い使用者を常に検索しているのだ。そして、どのタイミングで会わせるべきかも計算し尽くした上で、デートのセッティングをしてくれる。ほんの百年ほど前には、相性が良いかも分からない異性同士でお見合いをしたり、町で声をかけたり、近場で済ませてしまえと同僚同士で親密になったかと思いきや険悪になって仕事に支障を来したり、はなはだ非効率なパートナー探しをしていたらしいが、信じられない。カレクサの無い時代に生まれた人々は、どれだけ不便だったことだろう。

 そうこうしていると、壁に埋め込まれたホログラム映写機が起動し、私の目の前に、椅子に座った女性が現れた。

「サトミよ。よろしくね」

 良かった。私は、こういったフランクな女性が好きなのだ。顔も私の好みである。すかさず、カレクサが促す。

「彼女は、映画を見るのが好きみたいです。映画の話をしてみましょう」

 カレクサに言われ、映画の話を振ってみる。とは言っても、お互いが、カレクサの生成した独自の映画を見ているため、共通の作品を話題にすることはできない。なので、映画に対する考え方や哲学のような話題に終始することになる。そして、実際のところ、こういったコミュニケーションに、あまり意味は無い。何故なら、カレクサのほうが、私とサトミのことをよく知っているからだ。私とサトミが口頭で会話をしたところで、得られる情報は限られている。さらに言えば、私とサトミが、お互いのことをよく知り合う必要すら無い。何を言い、何をなすべきかはカレクサが教えてくれるからだ。

「じゃあ、はじめましょうか」

 一頻り、映画談義で盛り上がった後に、サトミは唐突にそう言うと、立ち上がって服を脱ぎだした。どうやら、セックスを開始するようだ。もちろん、私のほうもその気になっていた。私の性欲を感じ取って、サトミのカレクサが彼女に「そろそろハジメは興奮してるみたいです。服を脱いで誘いましょう」とでも言ったのかも知れない。

 ホログラムには、触覚を再現する機能が備わっているので、遠隔セックスが可能なのである。

 サトミは、一糸纏わぬ姿になり、私のほうに歩み寄ってきた。カレクサが指示を出す。

「立ち上がって、優しく彼女を抱きしめてください」

 私は、言われるままに、立ち上がり、サトミを抱きしめた。

「そのままキスをしてください。最初の5秒は、優しく唇を重ねるだけにしてください」

 優しく、サトミの唇に、自分の唇を重ねた。

「今です! 舌を入れてください」

 私が舌を入れようとすると、それが分かっていたかのようにサトミの唇が開き、受け入れてくれる。

 サトミから、甘い吐息が漏れる。

「ん……ん……」

 どうやら、サトミも興奮してくれているようだ。私も興奮している。これもカレクサの為せる業である。

 その後も、カレクサの適切な指示が飛ぶ。

「彼女を、ベッドの上に押し倒してください。ここは、少し荒々しいほうが、彼女の好みのようです」

 ベッドに押し倒すと、サトミの目が、驚きと期待の色を帯びて、見開かれた。

「キスをしながら、乳房を優しく揉んでください。最初は、乳首に触らないように注意してください」

「あ……あ……」

 サトミの声を聞き、私の興奮はますます高まる。

「キスをやめ、左手で左の乳房を揉み、右の乳首を口に含み、右手は陰唇を優しく撫でてください」

「あ……いや……」

「彼女は嫌がってはいません。本当はしてほしいのです。構わず続けましょう」

 カレクサがそう言うのであれば安心だ。

「挿入してください!」

「ああ……」

 サトミの喉から、一層熱を帯びた声が溢れる。

「角度を、もう少し上気味に! そうです! そのまま腰を前後に動かしてください」

「ああ! ああ!」

「そうです! そのままの運動を維持してください!」

「もっと! もっと!」

「もっと! もっと!」

 気づくと、私とサトミは、同時に果てていた。

 途中から、サトミの相手をしているのか、カレクサの相手をしているのか分からなくなった気もするが、最高のセックスを経験できたと思う。カレクサの指示が、興を削ぐようなことは決して無く、私とサトミの両者ともが最高の性体験ができるよう、指示を出してくれたのだ。おそらく、サトミのカレクサからも、指示が頻繁に飛んでいたのだろう。

「ああ、あなた最高だった。じゃあね」

 そう言い終えると、サトミのホログラムは消えた。もう少しサトミと居たかった気もするが、こうすることが最善であるとカレクサが判断したのだ。文句は無い。


 一年後、私はサトミと結婚し、翌年には子どもも生まれた。子どもを持つべきであるとカレクサが判断し、最適な日を選んで、セックスに導いてくれたに違いない。

 私は、当然のことながら、子どもにもカレクサを与えた。カレクサに任せておけば、間違い無く最良の人生が送れるのだ。


 数十年前、カレクサが発表された頃、人生の選択を AI に委ねることの是非について、激しい議論が有ったという。否定派の主な意見は、人生の選択は人間自身が行うべきだ、というものだった。対する肯定派の意見は、AI はすでに人間よりも賢明になっており、より賢明な者が判断を下すのが当然だ、というものだ。この議論に於いて、肯定派の材料として頻繁に取り上げられた例が二つある。親子関係とカーナビ(カー・ナビゲーションシステム)である。

 親子関係に関する主張は、以下のようなものだ。多くの場合、幼い子どもを持つ親は、子どもに代わって選択をする。子どもに何をすべきか、何をさせるべきか、何を食べさせるべきか、それらをいつ行うべきかを親が代行して選択する。それは、親のほうが賢明であり、子ども自身には選択ができない、もしくは選択させることに危険が伴うからだ。それであれば、より賢明な AI が、未熟な人類の親になり、代わりに選択をすることになんの問題が有ろうか。

 カーナビに関する主張は、以下である。当時のカーナビは、既に他車とネットワークで繋がっており、全ての車の目的地や現在地のデータを、AI が統合的に管理し、全ての車が最も早く目的地に着けるルートを検索できるようになっていた。人間がすべきことは、目的地を告げることだけであった。ならば、人生も同様にすれば効率的ではないか。ナビ無しでの人生は、あまりに運任せである。入試も、就職も、結婚も、運に依るところが大きすぎる。これが自分の選択だ、などと宣い、人生のハンドルを切った結果、それで心配をする人間のなんと多いことか。それであれば、車同様、人間は AI に人生の目的だけを告げて、あとは連れて行ってもらえば良いではないか。

 しかし、ここで一つ問題が生じた。人間は、人生の目的を告げることができなかったのである。

 人間は、自分が真に望むものが、自分でも分からない。自分の人生の、最終目的はこれです、と断言できる人間などいない。悲しいことに、人間は、目的地すら分からないまま、賢明ではない頭で運任せの選択をし続けなければならないらしい。

 この事実が、肯定派を優位に立たせる結果となった。それであれば、目的地ごと AI に任せてしまえば良いではないか。

 議論は長く続いたが、否定派の主張には、感情論以外の根拠が見当たらず、最終的には、肯定派が勝利した。そして、実際にカレクサを使用した者の絶賛の声がトドメとなり、カレクサは爆発的に普及した。

 皮肉にも、否定派の主張した通り、人間は自らの人生の選択を下した。

 人間は選択をしない。

 それが、人間が下した最後の選択であった。

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