ニッケ
ぺんぎん
ニッケ
「ニッケ」
ぼくはニッケが帰ってくるのをずうっと待っていた。この町の子どもはみんなニッケが大好きだった。ニッケは旅から帰ってくると、小さなはたをあげて、船つき場の青い小舟にぼくたちを乗せて、旅の話をしてくれた。海のにおいをむねいっぱいにすうと、ニッケといっしょに旅をしているみたいだった。ぼくはなによりその話が好きだった。
ニッケはいろんなところへ旅をした。一日じゅう太陽のしずまない国や、おどろくほどたくさんの砂でかこまれた島、しらうおのような砂はまがとおくまで続いている海がん。ぼくたちのあたまより大きくて真っ赤なフルーツや、色とりどりの魚、ゆかいなおどりが大好きな人たちの話。どこかのジャングルでサルと友だちになった話。北の海でクジラをみた話。ニッケの話は、とてもわくわくして、ぼくはまい日、ニッケが帰ってこないかと船つき場まであの青い小舟をさがしに行った。
あるとき、ニッケは長いあいだ帰ってこなかった。
ニッケが帰ってきたのは、月があたまの上までのぼったころだった。みんなが夢をみているころ、ぼくはニッケのことをかんがえていてねむれなかった。なんとなくまどの外を見てみると、ニッケのあの小さなはたが上がっているのが見えた。ぼくはニッケだ!とおもった。ぼくはパパとママが寝ているベッドからこっそり抜け出して、夜の町をはしり出した。こんどはどこに行っていたんだろう?なにを見てきたんだろう?だれかと友だちになったのかなあ?
ニッケの話をかんがえると、ぼくの足は風のようにはやくなった。
船つき場につくと、青い小舟がとまっていた。ニッケはそのすぐちかくで星をながめていた。ぼくはそうっとニッケにちかづいた。
「ニッケ」
ニッケはくるりとふりむいて、びっくりしたようにぼくを見た。
「こんなまよなかに、いったいどうしたんだい」
ニッケはわらって、おいでおいでとぼくをよんだ。ぼくはうれしくなって、ニッケのとなりにすわった。
空には大きなお月さまが、あらいたてのお皿のようにぴかぴかとかがやいていた。
「おかえりニッケ、こんどはどこへ行っていたの?」
「そうだねえ、とおい国へ行っていたよ」
そういってニッケは、ぼくにこんどの旅の話をしてくれた。
「とてもひろくて、たくさんの人がいた。きみが十人分くらいの高さのゾウに、きれいな服をきた人たちが乗っていて、手をふっていたよ。とてもあついところだった。旅のラクダが背なかににもつをのせて、のっそり、のっそりと砂ばくを歩いていくんだ。キャラバンといって、とおい所へものをうりに行く。ときには海をわたった国まではこんでゆくんだ。ひるのあいだはあつすぎて歩けないから、夜に歩いていたよ。砂のおかがずうっととおくまでつづいていて、そのむこうからきれいなお月さまが顔を出しているんだ」
ぼくのあたまの中は、ニッケの行ったばしょのことでいっぱいだった。ぼくもニッケといっしょにあの青い小舟にのって旅ができたら、どんなに楽しいだろうと思った。
「ねえ、ニッケはどうして旅をしているの?」
ぼくがきくと、ニッケはすこしこまったようなかおをした。
「大切なものをさがしているのさ」
「大切なものってなあに?」
ニッケはうーん、といって、ごろりとねころがった。
「それはとてもむずかしいしつもんだ。ちょっと、きみもねころんでみて」
ぼくはいうとおりにとなりにねころんだ。
目のなかいっぱいに、こぼれおちそうな星がきらきらとひろがっていた。
「きみの知っている星はあるかい?」
ニッケは夜空をみていった。
「うん、あれが北きょく星!」
「そうだ。ぼくみたいな旅をするひとにとって、いちばんだいじな星だ」
「じゃああれが、ニッケの大切なもの?」
「ちかいけれど、ちがうよ」
ニッケは北きょく星をゆびさした。
「みちにまよったとき、あの星をめざしてすすめば、かならず北へいける。ぼくは北のいちばんはしっこの、雪と氷におおわれた国のオーロラを見にいきたいんだ」
ぼくはだまってニッケの話をきいていた。
「ぼくの大切なものと、きみの大切なものはいっしょだと思うかい?」
ぼくは首をよこにふった。
「ぼくも、大切なものがなにかわからないんだ。だけど、きみとぼくの大切なものがいっしょじゃないということはわかる。どこかで見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。だから旅に出るのさ」
ぼくはニッケの話はとてもむずかしいと思った。けっきょくニッケは、なにかをさがして旅をしているのだということしかわからなかった。けれどぼくは、その夜のことを、二人だけのとくべつな夜だと思って、パパにもママにも友だちにも、だれにも言わなかった。
つぎの朝、パパとママは、
「きのうの夜はどこへ行っていたの!かってにでていっちゃ、だめじゃない!」
とカンカンだった。ぼくはニッケにあいにいったことをひみつにした。
「しんぱいするから、もうかってに出て行ったりしないでね」
ママはさいごにぼくをぎゅっとだきしめていった。ぼくはごめんなさいをしたけど、ほんとうは、またニッケにあいにいきたかった。
ニッケがしゅっぱつする日、ぼくはみんなと遊ぶのをやめて、船つき場に行った。
ぼくもニッケといっしょに旅がしたくて、かばんいっぱいにたべものをつめこんで、走っていった。
「ニッケ!」
ぼくが船つき場につくと、もうニッケはしゅっぱつしようとしているところだった。ぼくはあわてて走っていった。
ニッケはぼくを見るとにっこりわらってくれた。だから、ぼくはしんけんなひょうじょうで、ニッケにおねがいした。
「パパもママも、いつもしごとばかりだし、あれもしちゃいけません、これもしちゃいけませんっていうんだ。ぼく、パパとママみたいな大人になりたくない!ニッケみたいに、いろんなところに旅をしたい。ねえニッケ、ぼくも旅につれていって」
ぼくは、せいいっぱいのきもちをこめてニッケにいった。
けれどニッケは大きなこえでわらった。
「きみはもう、大切なものをもっているから、旅に出なくても大丈夫」
「ぼくの大切なものって、なに?」
「大人になったらわかるさ」
そういって、ニッケはぽんとぼくのあたまをなでた。
「さあ、しゅっぱつだ」
ニッケは舟にのりこみ、ほをたかくあげた。ゆっくりと舟はすすみはじめた。つよい風がぴゅうぴゅうとふいて、ニッケをのせた青い小舟はどんどんぼくからはなれていった。
「さようなら!」
ぼくはニッケが見えなくなるまで、ずっと手をふっていた。ニッケの小さなはたも、風になびいてひらひらと手をふっているようだった。
ぼくはあれから、ながいあいだニッケをまっていた。けれど、ニッケはもうかえってこなかった。ニッケのさがしていた大切なものがなにかはわからないまま、ぼくは大人になった。
大人になると、ぼくは仕事をしなければいけなかった。まい日、家にかえるともうくたくただった。ニッケの旅の話をきいてわくわくしたきもちは、どこかにいってしまっていた。
ぼくはけっこんして、子どもが生まれ、パパになった。
ある日、子どもがぼくにいった。
「パパ、おもしろい話をして」
ぼくはニッケのことを思いだした。色とりどりの魚や、砂ばくのキャラバン、サルの友だち、北の海のクジラ……。もういちどわくわくがもどってきたみたいだった。
「これは、ニッケというひとの旅のお話しなんだけどね」
ぼくは子どもに、ニッケの旅の話や、あのとくべつな夜のことを話した。
ぜんぶはなしおわると、子どもは目をきらきらさせて、ぼくにきいた。
「ねえ、ニッケがさがしていた大切なものってなあに?」
ぼくはニッケのことばを思い出していた。
「大人になったらわかるさ」
ニッケ ぺんぎん @hoshimitsukasa
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