誰の為の祈り

ぺんぎん

セシル

どこから話せばいいのか分かりません。だから、全部、聞いてもらえますか。


姉さんに手を引かれて、故郷を離れた。お気に入りの本は手から離れて、道の隅っこに汚く転がった。父さんからもらったその絵本は、僕の故郷のように黒く焼けて煤だらけだった。何度も何度も振り返ったけど、そのたびに暮らした家も遊んだ草原も遠くなっていった。僕が好きだったものは全部故郷の町においてけぼりのまま、僕と姉さんだけが離れた。家の大きな暖炉も、広くて秘密基地みたいだった図書室も、一緒に遊んだ友達も、なにより好きだった頭を撫でてくれた使用人のお兄さんも。戦争は僕の両親と、家を奪った。僕の家族は姉さんだけになった。


ダリの町にたどり着くと、部屋をひとつ借りて、そこで暮らし始めた。ダリは穏やかな町だった。隣のおばさんも、羊を飼っているおじさんも、パン屋のおかみさんも、みんな優しかった。姉さんは働き口を紹介してもらって、毎日、日が暮れて遅くまで働いていた。僕も役に立ちたくて、毎日どこかへ出かけては使いをして小銭をもらっていた。とても貧しくて滅多に美味しいものは食べられなかったけど、二人で暮らせればそれでよかった。


あるとき、ダリ一帯を収めている領主様が亡くなって、かわりにその息子が領主になった。暮らし始めて数年が経った冬頃だった。そのころから、姉さんはときどき遠くまで出かけて行き、帰りが遅くなることがあった。姉さんは仕事ばかりだから、どこかで羽を伸ばしているのだろう。そう思って、何も聞かずにしばらくそんな生活が続いた。帰りが遅かった理由を知ったのは、翌年の春頃だった。家の中に陽が差し込み見始めたころ、玄関の扉が叩かれた。開けると、小さな家に似つかわしくない上等の服を着た領主の執事だと名乗る男がいた。ダリの領主の花嫁に、姉さんが選ばれたのだと。僕は姉さんを見上げた。

そのときになって初めて、姉さんは口を開いた。

「実は、去年から内緒で領主様とお会いしていたの。偶然町で行き会って、お話する機会があってね。」

花のような可憐な笑みで、姉さんは、クロード様のお嫁さんになるの、と言った。

二人は初めて会ったとは思えないほど懐かしさを覚えて、急速に距離を縮めていったのだという。回数を重ねるごとに、離れがたくなる。領主様は姉さんのことが忘れられなくて、ついに、結婚の約束をした。それが先週のことで、領主様はいてもたってもいられずに執事を迎えにこさせたのだと。

「ジゼル様、領主様のもとへお連れ致します。もちろん弟君もご一緒に、とのことです。外に馬車を用意してありますので、どうぞ」

執事は恭しく姉さんの手をとって外へ導いた。僕は何も言えないままそのあとを追って、部屋を出た。


瞬く間に町に二人の結婚の噂は広まった。もともと可愛らしく働き者で有名だった姉さんと領主様との結婚に、誰も反対する人はいなかった。領主様の館に招かれてから、姉さんと僕はそこで住むことになった。僕には広い個室が与えられ、ダリに逃げてくるまえの暮らしに戻ったみたいだった。しばらくして、姉さんは領主様と結婚した。正式な領主の妻として夫を見守る姉さんは、僕と暮らすために働いていた頃よりずっと余裕があって、幸せそうだった。


そうやって暮らして、僕は十四歳になった。山の中腹の開けた土地に建てられた館は広い庭と訓練場、畑や厩、地下室に図書室など僕の興味をそそる物ばかりだった。秘密裏に設けられている地下牢まで発見して、僕は少しばかりこの館の魅力に抗えないような気持ちを持った。領主様の名前はクロード・ダリといって、一目見ただけでも忘れることはできない、優しげで気品のある人だった。妻の弟である僕を気にかけてくれていた。優しくて、領主としての誇りも能力もあって、姉さんを深く愛している。そんな人だった。姉さんの最も心配事である僕のために、剣の師匠と学問の師匠を見つけてくれたのもクロード様だった。クロード様は若くて、姉さんとそう年は変わらない。

僕は兄さんができたようで嬉しくて、剣のことや勉強のことをお茶に時間に話していた。

「ああ、セシル。今日の剣の稽古は終わったのか。じゃあお茶にしよう、今日は遠方から取り寄せた茶菓子があるんだ」

人の良さそうな笑みは惜しげもなく僕に向けられる。姉さんも呼んで、三人で午後のお茶の時間を楽しむ。それが僕の生活で一番楽しくて、安らげることだった。

クロード様は一人っ子だったからか、僕を可愛がってくれた。姉さんはそんな僕たちを見て目を細めて笑った。姉さんの苦労が報われて幸せな日々が続いていることに、僕は安心していた。そして、違和感に気がつかないまま、月日は飛ぶように過ぎていった。


いつからだろうか。僕は館での生活に息苦しさを覚えるようになった。もちろん、誰のせいでもない。僕のせいだ。姉さんとクロード様は結婚して、夫婦になっている。それは公然の事実だ。姉さんの結婚が決まった時に一番に喜んだのも僕だし、義理とはいえ兄さんができると喜んだのも僕だった。血のつながりはなくとも仲の良い兄弟のように見えると、館の使用人も話していた。純粋に彼のことを尊敬していた。領主として若いながらも懸命に人々のことを考え、ダリがもっと栄えるように、平和であるようにと力を尽くす彼のことを心から敬服していた。


それが恋に変わるなんて、誰が思いついただろう。


お茶の時間以外にも、稽古をつけてやる、と剣の相手になってくれた。目当ての本を探し当て、図書室で読み耽っていた僕がそのまま眠ってしまって、目が覚めると、毛布とともに彼の好きなカモミールの匂いが残っていた。

師匠から僕の成績がいいと話を聞いて、頭を撫で褒めてくれた。狩りに行こう、と僕を誘って遠出したこともあった。時折みせる柔和な笑みに胸の奥底が疼いた。恋をしたことはまだなかったけど、多分、これがそうなんだろうか、と考えることがあった。


姉弟が同じ人を好きになるのは、とても残酷なことだ。

「ねえ聞いてセシル。私、子供が出来たの。あなた叔父さんになるのよ。」

ふわりと花のように笑って、心底嬉しそうな姉さんは、僕の手を取って握った。

おめでとう姉さん。生まれたら一緒に遊んであげる、女の子なら姉さんみたいに綺麗に。男の子ならクロード様みたいに立派な人になるだろうね。

口から言葉はぽろぽろと溢れ出してきた。本当によかった。姉さんが幸せで。どうしようもなく幸せな二人で。

僕に手出しなんかできない二人で。

僕はそばにいながらその幸せな家庭が築かれて行くのを黙って見ることしかできなかった。子供が生まれれば、僕は邪魔になってしまうだろう。いくら妻の弟とはいえ、ひとつの家族が出来つつある館にいつまでも厄介になってはいられない。適当な働き口か、学校か、仕官の道か、はたまたどこかへ一人で旅立つか。身の振り方に頭を悩ませて、どうしようと迷ってみる。だけど彼の顔がふと頭をよぎると、この館も離れがたくなってなかなか言い出せずにいた。

あの人のそばにいたい。願うことはそれだけ。だけど、僕がいつまでもこの家族の邪魔をしていてもいいのだろうか。姉さんの夫は領主様だ。対して僕は姉さんにくっついてきたお荷物なのだから、そもそも、感謝こそすれどそれ以上を望むところは何もないのだ。第一、こんな思いは汚いのだ。姉さんにも話せない重大な秘密だ。クロード様に分かってしまったら、どれほど軽蔑されることだろう。本来ならこんな思いは女性に対して向けるべきなのだ。僕は僕の心を何度も疑ってみた。もしかしたらこれはなにかの間違いで、一時的に優しくしてくれるクロード様への感謝が勢い余って好意だと捉えてしまっているのかもしれない。だけど、意識すればするほどお茶の時間に僕の瞳を見つめたり、剣の稽古で体が密着したりするたび、心臓が痛いほど脈打つのだ。優しく頭を撫でられる時間を幸福だと感じてしまうのだ。これ以上ないくらいに満ち足りて、それでいてその手が離れていく瞬間から何かがかけ落ちてしまい、再び熱望してしまうような熱狂的な想いが恋ではないというのだろうか。

その時読んでいた本の一節に、僕は深く共鳴した。

『好きな人ほど離れがたく、自分が制御できなくなるのを感じ、荒れ狂う恋の嵐を押さえつけようと試みるのも無駄なことだと悟った。あの人の愛する人になれるのなら、何を犠牲にしたって構わない。神様さえ欺いて、底なし沼にはまって抜け出せなくなったとしても』

何度、姉さんになれたら、と。口には出せない卑しい願いが、喉から手が出るほど欲しているもの。でも彼らには子供がいるのだ。もうすぐ、生まれてくるのに。幸せの絶頂にいるのに。



僕は思い悩むたび苦しくなって、ある日クロード様に直接話してみることにした。

「僕は、いつまでここにおいてもらえるのでしょうか。いつまでもクロード様の好意でここにいるわけにはいきません」

そう言うと彼はきょとんとして、言った。

「君の好きなだけいるといいよ。私はジゼルだけでなく、君のことも大好きなんだ。簡単に出て行くなんて言わないでくれ、可愛いセシル。だが・・・・・・・そうだね。君が独り立ちできる年齢になってジゼルに認められれば、この館を出ることを許してあげよう。だからそれまでは、私たちのそばにいてくれ。いいね?」

彼からの許可は、それまで思い悩んでいた僕の心を楽にさせた。独り立ちができるようになるまではここにいていいのだと。むしろ、独り立ちができればすぐにでも出ていけるのだと。ならば、できるだけ早く一人で生きていけるようにしなければ。はやく、ここから出られるように。

そうやって僕は一層剣の稽古に励み、生きていくために必要な技術を身に着けようと必死に本を読みあさった。

脇目も振らず与えられた課題をこなし、唯一の居場所から早く立ち去るために。彼らの幸せから、目を背けるために。


それからしばらく立ち、事は起こった。

もともと体の強い方ではない。子供を産むまでの間は、安静に。そう言われていた姉さんの容態が、ある夜半、急変した。激しく苦しみだして、館は騒然となった。ふもとから医者が急いで呼ばれてきて、クロード様は一晩中姉さんのそばにつきっきりで眠らなかった。僕は部屋の隅で医者を手伝いながら、クロード様が弱々しく姉さんの手を握るのを見ていた。空が白み始めるにつれて、どんどん姉さんの顔はうす白くなっていく。クロード様はすがるように何度も何度も姉さんの手を強く握って、頭を撫で、そっと抱きしめていた。


完全に日が昇った頃、姉さんの呼吸は止まった。儚く散っていく花のように、あっけなく。医者はかえり、使用人たちも、姉さんを迎えに来た執事も、僕も、そしてクロード様も、ひとつの命が消えるのを留めることはできなかった。姉さんが結婚してから、三年目の出来事だった。


ジゼル・ダリ、つまり姉さんが亡くなってから館は急に冬が来たみたいだった。館のある山の頂上付近には、領主家の墓群があって、そこに姉さんも入れられた。クロード様は一切笑わなくなった。領主の仕事も執事に任せたまま、部屋から出てこない日もあった。メイドが噂しているのを聞くと、夢にうなされながら何度も何度も姉さんの名前を呼んでいるときもあるらしい。はつらつとして元気だったクロード様の、生気を抜かれた人のように何をすることもなく、ぼうっと宙を眺めている姿が痛々しくて、僕は部屋から出ることをやめた。話しかけることもなく、必要最低限の外出だけで、クロード様から逃げるように息を潜めた。館は静かになった。姉さんを慕っていたメイドは多かったから、綺麗に手入れされて、姉さんの使っていた部屋はそのままになった。


僕は、しばらくなにかしようなんて気が起こらなかった。ひどく気だるい虚無感と、何もなくなった自分がどうして生きているのか不思議に思う気持ちがあるだけだった。ただ、クロード様に顔を見せると姉さんを思い出させてしまう。死んだ妻にそっくりの義弟をたびたび見かけることほど今の彼にとって辛いことはないだろう。だから部屋にこもりっきりで、一切外に出なかった。貪るように本だけを読んで生活した。姉さんを慕っていたメイドの一人が世話を焼いてくれ、外に出ようという気になったのは数ヶ月経ったあとだった。


「ジゼル様の服をセシル様のものに仕立て直してはいかがでしょうか。いくつかは似たようなデザインで作る形になりますが、身につけられるものですし、幸いサイズもジゼル様と同じです。この館を出られることになっても持っていけるものです」


フランというメイドはすでにクロード様に服を仕立て直す許可を取っていた。勧められるままに姉さんの使っていた部屋に押し込まれた。用意されていた服をあてがわれ、ああでもない、こうでもないと会話を続けるうちに、姉さんとの思い出が蘇った。領主の娘として生まれた姉さんは、幼い頃から何事にも優秀で、いつも母さんの自慢の娘だったらしい。僕が生まれてすぐに母さんは亡くなってしまって、そこからは姉さんに面倒を見てもらっていたから、今更ながらに姉さんが死んだことを受け入れていない自分がいた。わかってはいるけど、どうにも理解ができないで、これまでなんとなく考えることをやめていた。考えをかき消すように、手にとった服を肩に合わせて鏡をみた。

「本当にジゼル様とセシル様は似ていらっしゃいますね。もともと、可愛らしいお顔立ちですもの。御髪の短いジゼル様のようで・・・。そちらの服を仕立て直すことになさいますか。それなら―――」

フランが言いかけ、ふと言葉を止めた。一点を見て、動かなくなっている。僕もつられてその目線の先を見やった。閉めていたはずの扉は開いていた。扉に手をかけたまま、呆然と立ち尽くすクロード様は、僕の方を見つめたまま微動だにしていなかった。

「ジゼル・・・・・・」

ふと漏らされた言葉に、驚いて顔を上げる。クロード様は喜びのこもった目で僕を見ると、迷いなく僕の方へ進んでくる。次の瞬間、僕は為すすべもなく彼に抱きすくめられていた。腕に込められた力は存在を確かめるように強い。ジゼル、ジゼル、ジゼル・・・・・と繰り返し姉さんの名前を呼んで、息が苦しくなるほど抱きしめられる。その手は少し震えているように思えた。

僕はセシルです、と言い出せる様子じゃなかった。必死で僕を離すまいと回された腕。姉さんを深く愛していたからこそ、見境のなくなるほどなにかを見失ってしまったクロード様。一時に比べると落ち着いて、仕事にも戻った。だから僕も部屋を出たのに、姉さんを思い出させるようなことをして、僕は一体何がしたいんだろう。

「今までどこにいたんだ。私には君しかいない。私を残して、もう、どこにもいかないでくれ」

すがるような吐息で吐き出された言葉。絶望的な恋心を抱いていた僕には、じん、と甘い痛みをもって心に染み込んでいく。彼が求めているのは姉さんだ。姉さんに似ているこの顔だ。決して僕自身じゃない。だけど、この僕を求めてくれる。姉さんが生きていたなら叶わないはずの願い。いま僕がどこかへ行ってしまったら、彼は一体どうなってしまうのだろう。姉さんがそんなこと望むだろうか。僕の願いと姉さんの望みが一致するなら、それは最善の選択になるんじゃないか。

自然と、両の腕をクロード様の背に回していた。いずれ僕はこの館をでなくてはいけない。身寄りのない僕は姉さんがいたからここにおいてもらえただけの話だ。それが少し、伸びるだけ。彼の気の済むまで僕が姉さんの分を生きるだけ。


「クロード様。僕で気持ちが慰められるのなら、そばにいます」

力をゆるめ、彼は体を離して、僕を見つめた。そして

「ジゼル。」といとおしげに言った。僕の向こう側を見ている瞳で。

今この瞬間から僕は姉さんになる。姉さんの愛した僕の愛する人のために。僕はジゼルになる。

性別が違うことなんて気にしなくていい。僕の中にある姉さんの気配が彼に伝わればそれでいいのだから。


そのときから、僕はジゼルを演じた。剣の稽古も勉強もやめて、姉さんが好きだった花を育てた。お茶の時間には姉さんのカップを使ってお茶を飲んだ。彼は日に日に心を回復していくように見えた。以前よりももっと仕事に精を出すようになった。フランが仕立て屋に頼んで僕のものに作り直した姉さんのドレスは、そのままクローゼットに仕舞われたまま。


(あれ。これは誰のティーカップだったっけ)

ある日、お茶の時間にクロードとお茶を飲んでいる時に、自分のものでもクロードのものでもないカップが並べてあるのを見つけた。不思議そうに見つめると、クロードはそれを手に取って言った。

「セシルのカップだよ。きっとメイドが間違えて出してしまったんだろう。しまっておこう」

ああそうか、と納得しかけて、はっと我に返る。

僕はだんだんと、姉さんを装って生活するうちに、ときどき自分が姉さんであるかの様な錯覚を起こすようになった。今自分が来ている服は男物ではなく、中性的な、どちらとも見えるものを好んで着ている。伸ばした髪も姉さんと同じ群青色。口調も男っぽい言葉ではなく、丁寧に。気をつけて生活しているうちに、それが本物の自分だと思い込むようになっていく。後戻り出来ない状況に陥っている。そんな自覚はあったけど、それをどこか他人事のように傍観している自分がいた。彼に愛されているなら満足だ。それがセシルではなくジゼルとしてでも、事実は変わらない。奇妙にも、館の人間も僕を姉さんとして扱った。そうすることがこの館にとっていちばん幸せで平穏なことだと言わんばかりに。クロード様の執事は、哀れみをもって僕に接している。彼の主人を壊れかけさせてしまった僕の姉さんと、それをなんとかつなぎ止めている弟の僕。彼の気持ちは、わからない。僕はぐるぐると混乱する頭の片隅に、それでも自分を捨てきれずに時折、図書室で本を読んで、暇を潰した。姉さんはそんなことしなかったけれど、本質を変えることは、どうもできないようだった。


変化が起こったのは、年の終わり頃だった。

館に新しい使用人が雇われた。アランという人の良さそうな好青年で、おろしたての服を着て、緊張しながらクロード様に挨拶に来ていた。同じ部屋でくつろいでいた僕を見つけると、アランは、不思議そうな顔をしてこちらをじっと見ている。それに気づいたクロードは、僕を自分のほうに引き寄せてアランに向き直った。

「アラン、恥ずかしがり屋だからあまり見つめると照れてしまうよ」

クロードは愛おしそうに僕の肩を寄せた。その様子を驚いて見つめていたアランは、じり、と後退りをして、それでは、と焦ったように退室してしまった。


「君があまりにも綺麗だから、新人には毒のようだ。ジゼル、おいで」

招かれるままその肩にもたれかかると、大きな手のひらが頭を撫でる。ずいぶん伸びた髪は結ぶことを許されなくて、下ろしたままになっていた。髪を弄び、ときおり頬に滑り落ちる指の感触に目を閉じる。

幸せよ。

そう言った姉さんの言葉を思い出した。そうだろう。この人にこんなに愛されて、幸せじゃないはずがない。

この関係は歪んでいる。僕はもういない。この館の人間も、もう僕のことは見えていない。それでも僕と彼が満たされているなら、全てはそれでいいのだ。

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