日暮怪談
スズミ円点
第1話 カーステレオ
これは、Nさんがいつにもなく、仕事からの帰宅が遅くなった時に体験した話。
Nさんの職場は自宅の隣街にあったが、その間には大きな山があった。そのため、通勤は、その山道と峠を超えなければならず、いつも自家用車で職場へ向かっていた。
その日、Nさんの残業は、三月の暮ということもあって深夜にまで及び、山道に入った時には既に午前一時を超えていた。それでもNさんは、疲労から来る変な高揚感や、翌日は休日ということもあって、上機嫌だったという。カーステレオで音楽をかけ、学生時代のドライブを思い出しては、速度を悪戯にあげたりして、運転を楽しんでいた。危険極まりない行為であったが、幸い対向車も前方を行く車も、後方からやって来る車もいなかった。
気楽勝手に走っていたNさんだったが、それでも、山の中腹に差し掛かる頃には、冷静になった。というのも、その山道には崖際に大きな弧を描くカーブがあり、Nさんの走っている車道は、崖側であった。ガードレールは敷かれているが、それでも、勢いが過ぎれば、崖下へ落ちることはあり得る道だった。
Nさん自身は事故現場に遭ったことはなかったが、それでも時折そのカーブ付近には、事故発生の看板や花束などが置かれていることをよく目にする。職場でも、その山道のカーブは、魔のカーブとして有名だった。
Nさんは速度を少し落としながら進んだ。道端の看板には、注意書きがいくつも続き、やがて前方の視界が開ければ、右へと大きく曲がる道と、そこに立つ、申し訳程度のカーブミラー。その先に暗闇が広がる。いよいよと思った時、Nさんはカーブミラーの根元に、目がいった。
車の明かりが、一つの花束を照らした。朝には置いていなかったものである。周囲には事故発生の看板は立っておらず、花束だけがぽつんと置かれていた。
Nさんはそれを見るなり、今日は誰かの命日なのだろうか、という考えが過ったそうだ。お気の毒にと思いながらいつも通り、ハンドルを切る。特に危なげなく曲がりきり、平坦な道が真っ直ぐ続いている。またNさんは速度を上げた。
ふと、キュルキュルと擦れるような音がカーステレオから聞こえた。かかっている音楽が途切れ途切れに再生され、時折砂嵐のようなノイズが入る。Nさんは直ぐに、故障かと思った。しかし、小さいディスプレイは明かりのついたまま、曲のタイトルもしっかり表示されている。調子が悪くなったのかと、一度電源を入れ直す。すると音楽はまたいつもの様に、普通に流れ始めた。
なんだったんだ。そう思って視界を前方へ戻すと、突然、目の前に女性が立っているのが見えた。白い衣服が光を反射しているのが、分かる。
Nさんは慌ててブレーキを踏んだ。タイヤが地面を擦るすさまじい音が響き、そして車体が大きな衝撃を受け、続けざまガタンと上下に揺れ、それからわずかばかり進んで停まった。
人を轢いてしまった。Nさんは直ぐにそれが分かったという。一瞬のことで茫然するも、Nさんは慌てて、車から飛び出して、後方へ回り込んだ。衝撃の大きさに即死だったんではないかと嫌な想像が過るが、しかし、後方には、何もなかった。血痕も、女性の姿もなく、車のライトに照らされた道が真っ直ぐ先程曲がってきたカーブまで続いているだけ。そんな馬鹿なと思い、慌てて車の前方へ駆け込む。けれどもやはり何も見当たらない。車の下を覗いてみても、結果は同じ。加えて、車には人がぶつかったような凹みも、傷も、痕跡一つなかった。
Nさんはそれでも、どこか納得できなかった。ぶつかった時の衝撃はともかく、タイヤで何かを踏み越えた感触は、絶対に気のせいではないと思えたからだった。
もしかしたら見てしまったのか。そんな考えが、先程見た花束の光景と合わさって過った。異様な寒気を感じたというNさんは慌てて、車に戻った。急いで帰ろうと、アクセルを踏み込んで、走り出す。気分を無理にでも盛り上げようと、いつの間にか落ちていたステレオに電源を入れる。しかし、音楽は流れず、またしてもノイズが走っていた。Nさんはこんな時にと思い、ボリュームのつまみをあげる。その途端、スピーカーから、耳をつんざくほどの甲高い女の絶叫が響いた。
ああああああ、と喉が張り裂けそうな声。Nさんはたまらず、電源に手をかけるが、ステレオは落ちることなく、ずっと女の声を流し続ける。
痛い痛い痛い痛い熱い熱い熱い、叫び声はいつしか、そう何度も何度も繰り返す悲鳴に変わる。Nさんは恐怖と理解に苦しむ出来事に、逃げるように車の速度をあげる。が、増々女の声は強くなっていく。 熱い熱い熱い痛い痛い痛い。もうそれが、ステレオから出ているのか、誰かが直接声に出しているのか、Nさんには分からなかった。体は固まったように動かず、ただ速度だけを必死にあげる。
もう助けてくれ。そう思った時、一際、大きな声で、停まってぇぇ! という声を聞いた。その瞬間、Nさんは咄嗟にブレーキをかけたという。
またしても盛大な音を立てて、車が止まる。Nさんはそのまま、暫くの間、放心状態だったそうだが、いつの間にか、声が聞えなくなっていることに気が付いたという。
Nさんはその後、怖くなって運転することができなくなってしまい、レッカー車を呼んで運んで貰って、朝方に帰宅できた。
翌日、日が昇っている時間に、Nさんはあのカーブと真っ直ぐ続く一本道を見に行ったが、やはりそこには人を轢いたような跡は何もなかったが、花束もなくなっていた。
結局、あの声は何だったのか。Nさんがそれについて、とある話を聞いたのは、あれから半年後、飲み会の席でこの体験を披露した時だった。
二十年以上前、あの山道で一人の女性が車に轢かれたそうであったが、運転手はそのまま怖くなり、停まらずに逃げようとした。しかし、不幸にも、女性は衣服や髪の毛が車に引っかかり、約数キロにわたって引きずられてしまったという。
そう、酔いが醒めてしまったという上司の顔を見て、Nさんもまた心底怖くなったという。
「僕も、きっと彼女を引き摺ってたんですかね」
Nさんはそう神妙な面持ちで、この話を結んだ。
今でもNさんは、同じ職場に勤めているが、深夜の時間帯は絶対にあの道を通らない様にしているという。
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