第18話 時計の針
小人族の二人と別れた後、私とリヒト君はドルソの村から更に崖を下りて底へと辿り着いた。
ドルソには僅かに届いていた陽の光は完全になくなった。
霧も濃く、空気は湿っていて重たい。
真っ暗で耳がおかしくなるほど静かな場所――。
精霊の松明がなければ前後の感覚すら無くしてしまいそうだ。
ぼんやりと浮かび上がるくねくねと曲がった一本道を進む。
「リヒト君、大丈夫?」
「……はい」
足場が悪いのでリヒト君の手を引いて歩いているがのだが、話しかけても空返事だ。
恐らく村の人達のことを考えていると思う。
私も無駄に話しかけることを止め、二人の足音だけを聞きながら進んだ。
「着いたよ」
崖の底に着いてから五分ほど歩いた先。
サッカーフィールド程度の開けた場所が戦闘の舞台となる。
精霊の松明を崖の壁面十ヶ所にセットする。
誰が設置したのか知らないが松明の台座はある。
ゲームでは戦闘開始と共にセットしなければいけないが、今は現実なので事前に用意出来ていい。
高いところにあるため、戦いながらセットしていくのは大変だった。
「よし、これでOK」
漸く全体が薄っすらと見渡せるようになった。
小人族の二人に渡した松明の分の場所が思った以上に暗くてちょっと焦ったが……まあ、大丈夫……だと思う。
「お姉さん、あれは何ですか?」
リヒト君が指差しているのは戦場のど真ん中にある地中から突き出た黒い岩だ。
「あれは卵みたいなものね」
「卵? あれ、人影が……あっ」
村を彷徨っていた人影が現れ、岩の中へと消えていった。
人影は次々と現れ、全て岩の中へと入っていく。
「もしかして、影竜の卵ですか?」
「そうよ。始めは普通の岩みたいなんだけど、闇の精霊が集まって来て段々黒くなるの。もう真っ黒だから、いつ生まれてもおかしくないわね」
「今日の夜にでも?」
「私達が夜の十二時に居合わせたらね。でも、今日はリヒト君寝不足だし、早くても明日にしよう」
ゲームとしてはプレイヤーがいないとイベントの意味がないので、誰かがいないと始まらない。
現実となった今でも、その原理は大方適用されているように思う。
恐らく影竜戦の前の雑魚戦も、影竜が生まれるための事前準備として必要なものになっているだろう。
だから私達が行ったタイミングで影竜イベント開始、ということになるはずだ。
「でも、少しでも早く倒した方がいいですよね? 村の人達のために。僕、寝不足でも大丈夫です! 今日……」
「大丈夫じゃありません! 今日は駄目。明日ね!」
「…………」
焦ってもいいことはない。
村の人達には辛い時間が延びることになって申し訳ないが、リヒト君の安全を思えば無理はさせられない。
リヒト君は納得をしていない顔をしているが、頭では理解しているようでそれ以上は何も言わなかった。
「……さあ、最後の準備を始めましょうか」
「最後の準備?」
「そう、リヒト君のスキル習得」
スキルには二種類ある。
成長、レベルアップによって自動的に習得出来るものと、スキルを習得出来るアイテム――スキル水晶を使うもの。
リヒト君は装備などで能力の底上げは出来ているがレベルはまだまだ低い。
だから自然に習得出来ているスキルは殆どない上、今まで教えて貰っていなかったから使ったこともない。
覚えているけれど、使ったことのないスキルの練習が今からすることのまず一つ目。
あと、今からスキル水晶を使って習得出来たものも練習する。
戦闘を明日にしたところで付け焼き刃になってしまうが、あるのとないのでは全く違う。
「スキルを覚えるためのアイテムがこれ、スキル水晶。とりあえず、リヒト君のレベルで覚えられるものを全部渡すから。覚えていってね」
収集癖があるので自分が覚えているスキルでも一つは残して取ってあるし、あちこち行って貴重なスキル水晶も拾っているのでかなりの数だ。
でも、覚えるだけなら一瞬なので、リヒト君は私に言われるままにどんどんスキルを覚えていく。
「具合が悪くなったりしていない?」
「大丈夫です」
こんなに一気にスキルを習得することはあまりない。
頭が痛くなったりしないか心配になったが問題ないようだ。
この調子でどんどん――。
「あ、ごめん。それ違った」
「え? 今のですか?」
「そう。それ、習得出来なかったでしょう?」
「あ……MPが足りないので使えないみたいですけど、覚えることは出来ているみたいですよ?」
「え? ええ?」
今渡してしまったのは、エルフの固有スキルである上にリヒト君のレベルでは覚えられないはずのものなのだが……。
使うことは出来ないみたいだが、覚えることは出来たようだ。
ということは、リヒト君は本来レベルが足りないと覚えることが出来ないスキルも覚えることが出来て、種族固有のスキルも種族関係なく覚えられるってこと?
……これも精霊のおかげ?
勇者、やっぱり半端ないわ……。
だったら私も遠慮しない!
元々していないけどね!
「リヒト君、どんどん出すからね!」
「は、はい!」
自分が持っているスキルを全部渡す!
影竜イベントで戦っている間にレベルが上がり、途中から使えるようになるかもしれないし。
私とリヒト君は黙々とスキルを覚えることに勤しんだのだった。
スキルを覚え、スキルについて軽く説明をしただけで日が暮れてしまった。
ずっと暗いので気づかなかったが、かなり時間が経ってしまっていた。
練習はまた明日に持ち越しだ。
日中練習して夜に備えよう。
ドルソの村に戻ってきた私達は空いている民家を貸して貰った。
小人族の二人から話を聞いた村の人達から歓迎して貰い、食事も貰った。
暮らしが大変な中で用意して貰って申し訳なかったが、火が大丈夫だと分かったので料理は全く苦にならなくなったそうだ。
「ドルソの人達、少し回復していてよかったわね」
「そうですね」
リヒト君も安心したのか笑顔を見せてくれた。
よかった……。
「焦らなくてもいいからね」
スキルを覚えている時もどこか思い詰めている様子があって心配だった。
助けてあげたいのに出来ない自分がもどかしかったのだろう。
「装備もスキルも万全だし、レベルアップだってお姉さんに任せて!」
優しい良い子だから人の役に立ちたいのは分かるが、まだ小学生なのだ。
それも平和な日本で育って、こちらに来たばかり。
この世界の子供だってこんなに急に魔物と戦ったりはしない。
リヒト君は私の言葉を静かに聞いて頷いた。
分かってくれてホッとした。
「リヒト君は寝不足だし、明日に備えて早く寝ようか」
「そうですね」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
一本だけ持ってきた精霊の松明の火を小さくし、窓の近くに置いて私も横になった。
明日は夜通しの戦闘になる。
夕方にでも仮眠をとった方が良いだろう。
スキルの練習をして、しっかりご飯も食べて……。
予定を組み立てていると、私もいつの間にか眠っていたのだった。
ぱちっと音がなりそうなほど、突然はっきりと目が覚めた。
瞼を開けたはずだが、起きたのかどうか分からないくらい真っ暗だ。
火を小さく灯していたはずの精霊の松明がなくなっている。
……胸がざわりとする。
火力を絞った火の魔法で部屋を照らし、隣のベッドに目を向けると――。
「リヒト君?」
そこにあるはずの姿がなかった。
ベッドの布団に潜り込んでいるのかと捲ってみたが……いない。
リヒト君がいないベッドに触れてみると冷たかった。
ベッドから出て時間が経っている?
「…………っ!」
ハッとして時計を見る。
二十三時五十分。
…………まさか。
その可能性が浮かんだ瞬間、全速力で駆け出した。
違っているならそれでいい。
とにかく行かなければ間に合わない!
精霊の松明がないから暗くて足場が分からない。
大きな火の魔法をぶっ放して明かりにしてしまいたいが、そういうわけにはいかない。
苛々しながらも足場を照らす火の魔法を維持しながら進む。
普通に走って追いかけたんじゃ間に合わない。
危険だが崖の斜面を降りることにした。
岩の出っ張りに飛び移りながら下っていくが時折滑る。
擦り傷が出来ていくし、そこら中ぶつけてしまっているが構っていられない。
リヒト君はきっと崖の底にいる。
一人で影竜イベントをこなそうとしているに違いない。
影竜イベントは始まると途中参加は出来ないのだ。
開始に間に合わなければ、私は何も手出しできなくなってしまう。
リヒト君が一人で影竜を倒すのは無理だ。
私が間に合わなかったら……リヒト君が……!!
「ぐっ……!」
底が見えてきたので一気に飛び降りたが、途中で岩にあたってしまった。
崖の斜面を転がり落ちるようにして底に着いた。
身体が痛い気がするが、そんなことはどうでもいい!
細い道を全力で走った。
「リヒト君!」
精霊の松明に照らされた戦場が見えてきた。
その中心にある真っ黒な岩の前にリヒト君の姿があった。
時刻は五十九分。
良かった……間に合った!
早く私も戦場となるエリアに入らなければと駆け寄ったが――。
「精霊! お願い、お姉さんを足止めして!」
「!?」
リヒト君が叫んだ瞬間、私の身体が動かなくなった。
必死に動かそうとしてもピクリともしない。
精霊がリヒト君の願いを叶えているのだ。
サーっと自分の血の気が引いていくのが分かった。
「リヒト君駄目! お願いだから!」
「お姉さん、ごめんなさい」
リヒト君は真っ直ぐ私を見ていた。
「まだ、ネズミ一匹なんです。僕が自分の力で倒したのは」
ダンジョンで一生懸命倒したイビルラット一匹――。
私の中ではリヒト君はとても強くなっている。
ダグも投げ飛ばした。
過大評価ではなくて、ちゃんと強くなっているのだ。
でも、それは私が装備の性能を、スキルの効果を知っているから分かることで……。
リヒト君の実感では……彼の中ではまだネズミ一匹だったのだ。
「強くなりたい。お姉さんに守られているだけじゃ嫌だ。僕だってお姉さんを守りたい。困っている人を助けたい。だから……一人でやらせてください」
「待って!!!!」
時計の針がカチリと進む。
リヒト君の足元で影が蠢き始めた。
「待って! ああ……どうしよう……ねえ、お願い、待って、やだ、やめて!」
私とリヒト君の間に、見えない壁が出来ていく。
「お願い精霊! 今は私の言うことを聞いて! じゃないとあなた達の大事なリヒト君が危ないの! お願いだから離して!」
必死に叫んだが――。
「…………っ! リヒト君っ!!!!」
どれだけ藻掻いても、私の身体は動くことが出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます