第18話良いところ

「ユウ、支度出来た?」

「あっ! はい!」


 優は新品のスーツに袖を通した。かしこまった格好をすると気持ちが張りつめて自然と姿勢まで良くなる。姿見で確認すると、見立ててもらったスーツは優にとても良く似合っていた。くるり、と鏡の前で回ってみてから、優は自室のドアを開けた。ドアの前にはランスが立っていて、彼も黒いスーツを身に纏っていた。とても似合っている。


「ユウ、いつもと違って格好良いね」

「いつもは格好良くないですか?」

「ふふ。だって、いつもは可愛いもの」


 頭を撫でられてどきりとする。その手が、首元に伸びてきた時はもっとどきどきとした。


「ネクタイ、ちょっと曲がってる……」

「あ、すみません」


 ネクタイはランスの物を借りた。何でもネクタイを集めるのが趣味らしい。個性的な柄のものが多かったが、優は柄の無い青いものを選んだ。ランスもシンプルな赤いネクタイをしている。


「それじゃあ、行こうか」

「……はい」


 手を取られ、外に出る。今日は黒い無難な鞄を持ったランスは家に鍵を掛けると、鍵を丁寧に鞄の中にしまった。そう、今日はランスの言っていた「良いところ」に行く日だ。出掛けるのは夕方からだと聞いていたので、準備はゆっくりと行うことが出来た。

 ――格好良いなあ……。

 スーツはその人の魅力を倍増させる効果があるのかもしれない、と優は思った。普段から格好良いランスが、今日はとてもとても魅力的に見える。


「ユウ、どうかした?」

「い、いえ……」


 見惚れていました、なんて言えずに優は言葉を濁す。ランスは一度だけ首を傾げてみせたが、また優の手を取って歩き出した。

 ――いったい、どこに連れて行ってくれるのだろう……。

 優の心は期待で膨らんでいた。


***


「うわあ……」


 優は感嘆の溜息を漏らした。

 二人が辿り着いたのは、街の外れにあるレストランだった。看板に「オンアラルド」とある。そうか、店の名前だったのか、と優は思った。

レストランはちょうど海に面していて、大きな窓ガラスから夜の海が一望できる。遠くの方で灯台の光が揺れる度に、波がきらきらと輝いた。

 テーブルと椅子は木製で、レトロな感じが店内に合っている。店の中は決して派手ではないが、落ち着いた雰囲気で、どこかに置いてあるのだろう、スピーカーからピアノとヴァイオリンの音色が心地よく響いていた。

 店内に他の客の姿は見られない。貸切状態だ。

 ランスは、椅子を引いて優をエスコートした。礼を言って優は椅子に腰掛ける。ランスも向かい合うように座った。


「ここね。一日一組しか入れないんだよ」

「そうなんですか!?」


 そんな立派なところに連れて来てもらって良いのだろうか……優は心を少し曇らせた。自分には不釣り合いな気がしてたまらない。そんな優の心を汲んで、ランスは笑顔で言った。


「いつもユウにはお世話になっているからね。お礼がしたかったんだ」

「お世話だなんて……俺、何も出来てない」

「食事の用意も洗濯も、少しずつ覚えてくれているじゃないか。とても助かっているんだよ?」

「ランスさん……ありがとうございます」


 会話の合間に、御馳走がどんどん運ばれてくる。にんじんのさっぱりしたサラダから始まり、牛肉をとろとろに煮込んだもの、鶏肉の蒸し焼きなどの肉類、そしてデザートにはチョコレートのケーキや青色の不思議なゼリー……どれも少量ずつなので、すぐに腹が膨れてしまう優にとってありがたかった。これも、ランスが事前に配慮してくれたのだと思うと嬉しくなる。

 食後、ランスはワイン、優はオレンジジュースを飲んで喉を潤していると、不意に室内の照明が暗くなった。テーブルのろうそくの灯りだけが、ふんわりと二人を照らしている。


「停電でしょうか!?」

「いや、そうじゃなくてね……」


 ランスは立ち上がり、優の隣まで足を運んだ。なんだろう、と優は首を傾げる。ランスは、いつものように優の頭を撫でながら、ゆっくりと口を開いた。


「……絵の件のこと。本当に気にしてない?」

「えっ?」

「僕が、新しい絵を描き始めたこと」


 いきなり何を言い出すのだろう。優はそう思いながら答えた。


「はい。気にしていませんよ。俺の絵は、また今度仕上げて下さい。それで良いです」

「ユウ……君は優しいね。それに比べて僕はとても心が狭い……ユウのこと、独り占めしたくて仕方が無いなんて我が儘を言って……」

「……して下さい。独り占めでも何でも。俺は、そんなランスさんが好きです。絵に一生懸命で、俺に優しくしてくれて、とても頼りがいがあるし……そんな人に、独り占めされるなら本望です」

「僕も、何事にも一生懸命な優が好きだよ。大好きだ……愛してる」

「ありがとうございます。俺も、です」

「これからも、ずっと、僕を見ていてくれる?」

「はい」


 ランスは、その場に跪いた。

 驚いて優は動きを止める。


「ユウ……こんな僕だけど、必ず、幸せにするから……」

「ランスさん?」

「僕の……永遠のパートナーになって下さい。どうか僕と結婚して下さい」

「……えっ」


 そうか、この言葉を言う為に、ランスはいろいろと用意をしていたのか。優は納得した。本当にサプライズで優にプロポーズする為に、ずっと内緒で……。

 じわり、と優の視界が滲む。

 悲しいわけではない。嬉しくて嬉しくて仕方が無い。

 優は涙を我慢して、言葉に詰まりながら返した。


「俺で、良ければ……よろしくお願いします……」

「ユウ……!」


 ランスが優に抱きついた瞬間、店の照明がぱっ、と灯った。そして、大きな拍手が湧き上る。見ると、従業員全員が手を叩いて二人を祝福していた。優は照れ臭くて、ランスの胸に顔を埋めた。ぱちぱちぱち。鳴り止まない拍手に二人は顔を見合わせる。


「ユウ……」

「はい……」


 優しいくちづけを交わした。

 歓声が上がる店内で、二人はしばらく抱き合ったまま、幸福な感情に浸っていた――。


***


 帰り道、照れ臭そうにランスが笑いながら言った。


「あの店は、その……有名なんだ」

「有名?」

「あの店でね、プロポーズしたカップルは一生、幸せに暮らせるって……」

「そうだったんですか」


 だから、電気が消えたり拍手をしたりと演出が凝っていたのか、と優は思った。普通のレストランでは、こういったことは難しいだろう。優はランスの心意気に感動しながら、繋いだ手を強く握った。


「あの、婚姻届ってあるんですか?」

「コンイントドケ? 何それ?」

「無いんですね……。それじゃあ、その……結婚したって証明はどうやってされるんですか?」

「証明? 当人たちが合意ならそれで終わりだよ。ああ、結婚式をするカップルも居るけどね。ユウはどうしたい? 式、挙げる?」

「うーん……恥ずかしいですね。皆の前で、発表するみたいで」

「ふふ。そう言うと思った」


 ランスは微笑んで優の頭を撫でた。


「いつか、小さなパーティをしよう。それなら恥ずかしくないよ」

「そうですね。パーティなら、小規模で出来ますし、それなら大丈夫です」

「ユウを自慢のパートナーだって自慢するんだ」

「それは……やっぱり恥ずかしいので無しです!」


 笑い合いながら足を進める。

 幸せだ。

 これからは、ずっと幸せな時間が続くのだと思うと心があたたかくなる。

 優は立ち止まった。


「どうしたの? ユウ」

「ふふっ」


 笑いながら優はランスの頬にくちづけた。その大胆な行動に、ランスは硬直してしばらく動けなくなった。


「ランスさん、大好きです!」

「……僕も! 世界一、愛してる!」


 二人の声が通りに響く。けれど、そんなことは気にしないで二人は声を上げて笑った。

 誰かが窓から見ているかもしれない。

 しかし、そんなことは気にしていられない。

 ランスは優の顎を軽く掴み、深い深いキスをした。背伸びをして優はそれに答える。

 ――普段なら絶対駄目だけど、今日くらいは良いか……。

 お互いの息が上がるまで、二人は自分たちの世界に浸った。ランスの目が、少し鋭くなる。


「ユウ、帰ったら君を愛したい。良い?」

「もう十分愛されていますけど……良いですよ。愛して下さい」

「……ありがとう」


 キスの合間に囁かれた声は、優の頭の奥を甘く刺激した。

 未知なる感覚に襲われながら、優はランスのぬくもりを全身で感じ取っていた。

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