ファンタジー習作

poti@カクヨム

第1話 森と魔物と私と彼女


 

 習作 Part.1 ある冒険者と新米の少女の話。



 荒い息。蹴立てるように森の中を走っている。

少女だった。地味で継ぎの当たった旅装を振り乱し逃げている。

まるで倒れかけた木のように、転ぶ事倒れる事構わずひたすら走っている。

荷物はとうに投げ出した。仲間は一刻も前に食われた。

命と着ぐるんだものばかりが残っている。

人を食ったやつらはとうに腹を満たしただろうか。

それとも追いすがってきているか。


 だが、何れにせよ。終わりが死である事は確かだ。

声はとうに枯れはて、吐息とも知れぬ音が残る。


 目の中に写っていた木立と、深い藪が急に暗転する。

次の瞬間襲ってきたものはあちこちを打つ地面。

ずきりとした痛み。血は逆流し、朦朧とした視界が広がる。

叫び声と生臭い化け物のにおいはすぐそこまで来ている。


 足つきの鉄鍋にジャガイモとベーコンを投げ入れて炒める。

ぱちりぱちりと油が弾ける。木の匙でかき回すと余ったエールを注ぎ入れた。

男の一人旅。料理が簡素であるのは致し方がない。

赤毛の年嵩の冒険者、ウォル=ピットベッカーは思案する。

旅程は順調滞りなく懐具合もそう悪くはない。

一人歩きの宿無しにしては豊かであると言ってもいいだろう。


 ぐつぐつと鍋が煮える。

なんでもない支度をして、これまでの人生を思い出さざるを得ない。

が、内省的な気分はよそった椀で押しやった。

結果は知れた。後悔もない。ただ追い求め続け、余人に理解されずともよかろう。


「ん」


そうしていると、手が止まる。


「誰かな」


三十歩ほど背後に向けて、振り向きもせずに言った。

それから、手頃な小石を二三拾い上げて立ち上がる。

呆然としたようにこちらを見ているまだ若いーーー十代程にも見える女の冒険者が伏し転がってこちらを向いていた。


「鍋が焦げる。こっちに来なさい。その様子じゃ、何日も食べてないんだろう」


 ただでさえみすぼらしい姿は泥だの枯れ枝だのが絡まって目も当てられない有り様だった。

なんだ、とウォルは座り直すと鍋をまた掻き回し、味見をした。

そして、手にしていた小石を藪目掛けて投げつけた。


 ぎゃっ、と低い声の悲鳴と焼き栗が弾けとぶような音が響く。

額が陥没し、目鼻から血を垂れ流す人型をした何かが倒れ出る。

何だろうか。生憎名前に心当たりは浮かばないが、恐らく数多い類人の魔物の一種だろう。

気配の数は減らない。ウォルの目が焚き火と少女を飛び越えて、

ぼんやりと藪のなかを捉えている。

後どれぐらい殺せばいいだろうかと数を数えていた。

さっき殺した何者かの魂、その欠片が体の内側へと数滴垂れる。


「鍋が冷める。来るなら早く。肉が足りてないんだ」


 がさり、という大きな音。ぺきぺきと枝をへし折り、落ち葉を踏む音が遠ざかっていく。

ウォルはいつの間にか抜きかけた帯剣を再び脇においた。

そして少女冒険者はへたり込んだまま動かない。

見れば、股の下から湯気が立っている。


 仕方なし。怯え、すくんだ娘の襟首を掴みあげる。

事情は飯を食べながらゆっくりと聞こう。

長く冒険者をやっていれば、こういう事も珍しくはない。

火の側まで運ぶとスープを入れた皿を置く。


「食わないのか、美味しいのに」


 少女がぽかんと呆けて口を開けている。

九死に一生。ややあって、はっとしたように膝を抱え込む。

恥じらいが先に出るようでは冒険の初心者なのだろう。

冒険者の判断を他所に、ぐずぐずとしたすすり泣き。

安心したのだろうと思いたい。


 思いもよらない闖入者に食料の備えのこと、旅程と周辺の地理を思い出しつつ杓子を回す。

ややあって、黙って汁物を啜っていた娘が話始めた。

いく宛もなく食い詰めた元町娘らしい。

冒険者の一群に入っては見たが上手くいかず、

その一党にしてからがさっきの魔物に食われて全滅ーーーよくある話だった。


「その、おじさんありがとう」


 ようやっとスープを啜り、人心地ついたのか、はにかみつつ言う。


「礼には及ばないよ。若い頃からの習慣でね」


 自分も匙を運びながら冒険者が答える。

焚き火が鳴った。


「それから。遅れたが、私はウォル=ピットベッカー。見ての通りしがない冒険者だ。君は?」

「リーアって呼ばれてた。リリィでもいいよ」


 無邪気なものだ。


「それじゃあ、宜しくリリィ」

「よろしく、ウォル」


 詳しいことは道すがらに考えればいいだろう。

ウォルは一人合点しつつ食事の後始末をし始める。

全く、旅と言うものは生活の方が却って忙しい。

ドワーフのように延びた髭をいじる。


「あの、それでさ」

「ん?」


 意を決した神妙面でリーアが切り出した。


「この近くに、水場か川って無いの?」

「あっても止めておいた方がいい。危ないから。火に当たって乾かしておきなさい」

「......気持ち悪いのに」


 旅の上に青い空。太陽が雲の上に控えている。雲間に行きつ戻りつ、

さりとて流れる姿は変わらない。

昼下がりの街道を二人連れの影が歩いていた。

湿った土を細かく跳ねながら、冒険者たちや見知らぬ旅人が相乗りする荷馬車とすれ違う。


「頑張れ。後ちょっとだ。もう少しで町につく」

「汚い、臭い。自分なのが嫌...」


 馬上にいない徒歩の旅といえば扱いが一段落ちる。

結局、丸一日以上、水場もなければ人家もない、森の中を歩きづめであった。

女子供連れといえば当然歩みも遅くなってのこの始末である。

改めてリリィの格好を見るに酷いものだ。

まるで沼から這い上がってそのまま乾かしたようですらあるが、詳しくは伏す。


 泣き言を挟み挟みに歩き続けて見えてきたのは、

街道に沿うようにして細く延びた町だった。

石葺き屋根の低い建物がむさ苦しく軒を連ねている。

宿場、荷役の営業所、それから有象無象。

冒険者とも雇われ兵ともつかない一団が、

関を構えてたむろしていた。


 少し待つように言うと、ウォルは彼らに向かって歩み寄る。

すると、布を重ねた厚鎧を着て、斧をもった男が肥満体を揺らしながら近づいてくる。


「見ん顔。余所者か?なり見る限り冒険者......あっちの嬢ちゃん、何かあったんか?」

「ええ。だからこの町に逗留しないと不味いんですよ」

「ふぅん......事情はよく知らねが、どうでもこうでも、これだこれ」


 破落戸はウォルの腰辺りのポーチに目をやると、馴れ馴れしく親指と人差し指で円を作る。

ちらちらと武器を晒しながら何人か近づいてきているのも見えた。

そうか、と冒険者が一息答える。

剣が鞘走り、破落戸の首だけが真横に飛んだ。

抜き払った剣は下がった片手の先から三日月のように延びている。


「来て取れ。幾らでも馳走してやる」


 声はあくまでも平静だった。

落ちていた首を拾い上げると、遠巻きに囲んでいるチンピラに投げ渡す。


「早く決めろ。交通の邪魔だ」


 悲鳴をあげて逃げていくチンピラ共を捨て置く。

ウォルはぶつくさとぼやき、後ろを振り向くとリーアに来なさい、と言った。


「......ウォルって何者?」

「ただのしがない冒険者だよ。

全く、時にああいう訳のわからん連中が勝手をはじめて困る」


 リーアは首がなくなった死体の懐を漁り、

転がっている斧をちょろまかしつつ、

絶対嘘だ、という一言を胸の内に仕舞った。


 信じられない事ばかりが起こる。

それこそ一山幾らで土くれの上を這い回る身の上にしてみれば、

全くもって理解できない事柄ばかりだ。

石くれを投げれば恐ろしい魔物が死ぬ。

剣を一振りすれば人が死ぬ。

成る程世間は広いなぁ、などと素直に思う程リーアも幼くはないが、

それはそれとして、酷く惨めな気分なのであった。

見れば、素っ裸で膝を抱えて眺める先には、部屋干しになった着た切りがぶら下がっている。


「ーーーぐすん」


 涙ぐんでしまう。改めて惨状を再確認したせいだろう。

金なし、服なし、宛もなし。八方塞がりである。

当然着替えも無いから裸のままだ。じっとしているしかない。

必要なものは金だ。稼がなければならない。

明白だが何もできない。色々酷い有り様だった水桶の有り様など、思い出すだけでその場をのたうち回りたくなる。


「さて、今日も無事に過ごせた事を三つ子の月に感謝しよう」


 一方で我関せずとウォルは帳面と日記をものしている。

一言も無いのは彼なりの気遣いかもしれないが、思い出す度顔色を変えるであろう事は間違いなく、考えない事にするより他に無い。


「ふむ」


ペンを回しながら呟く背は、リーアにはやけに大きい。

不可解不思議な男だ。冒険者、それは解る。

しかし、余りに不自由が無さすぎる。

その事事態が異常だ。旅というのは何時だって儘ならない。

一体全体何者か。好奇心は膨らむ一方だった。


 ぱたん、という音。日誌をウォルが閉じ、防水袋に仕舞う。


「ねぇ」

「ん、何かね」

「ウォルってどんな人?今までおじさんみたいな人に会ったことがないの」

「ただの冒険者だよ。余裕があるから今は優しく振る舞ってるだけ」

「ぱーっと使わないんだ」

「録の保証もないから。もし、リリィちゃん。この仕事を長く続けたいならこういう事はきちっとしておいた方がいいよ」

「......ケチなんだ。こんな女拾う癖」


 言って、僅か伺うように見上げるようだった。


「女の子には優しくしろと、師匠連が煩かったから」

「ふーん。......じゃあさ」


 じじ、とランプが鳴る。小さい影が傾いだ。


「例えばさ、着いていきたいって今言ったらどうする?」

「それは困るよ」


 即答だった。


「私の旅は終わりが全く見えてもいないんだ」


 リーアは口をへの字に曲げ、僅かの後言葉を続ける。


「一生冒険者なんてするの?危なくてどこにも住めないのに」

「終わりがなければそうなるだろう」


 やんわりとした拒絶。ウォルは傍らの剣に目を落としていた。

 しかし、リーアも冒険者だった。跳ねるようにベットから飛び出すと詰め寄って金切り声をあげる。


「着た切りで放り出すつもり!?あんまりよ!!体を売れっていうの!?」


 見も蓋もない泣き落とし。しかし実に正しい状況判断だった。

少女の肩が震えている。冒険者は黙したままだ。


「心配しなくても働くし!迷惑にならないようにするから!」

「参ったな」

「何がよ」

「......取り合えず前を隠してくれ。それからお互いに落ち着いて話そう」

「あ」


 結局、根負けしたウォルが折れる格好になった。

と、言ってもパーティーというよりは彼がリーアの保護者が割りとなる格好に近い。

理由としては単純で彼女を放り出した所で一月と持たず野垂れ死ぬ事は明白だったからだ。

慈善事業ではないが、仕事の手解き位はする必要もあろう。

どのみち、ここから皇都まではさして厳しい旅でもない。

皇立図書館。魔物生体研究所、そして一人の学者に会うことだ。

漸く、漸く探し求めていた事実の欠片。

あの事変の生き残りの足取りが掴めた。

トゥルスィ=アーキィ伯になんとしても会わねばならん。


 ーーーさて、そんな冒険者の思案を他所に

布団で丸まり頭を抱える少女が一人。リーアである。

ここ数日の行動を客観的に記述すれば、こうだ。

仲間が全滅して逃げている所でとんでもない相手に出くわし、粗相する程怯えた挙げ句、

その相手に助けられてくっついていくこととなった。

弁解の介入する余地がない。


 解った事といえばかの冒険者が殆ど類例を見ない善人である事と、アホみたいに強いであろう事だけだ。

この世において、凡そ強者というものは殺したものの魂を啜って出来上がる。

そうであるだけに、リーアにしてみればあの男の人生など想像もつかない。

よく殺されなかったものである。現状は、頭を抱え声もあげられないほど赤面している始末だ。

ようやっとまともな感性が甦って来たとは言えるが、始末が悪い事この上ない。

余りの恥ずかしさに死んでしまいたくすらある。

さもありなむ。


 青天白日。千切れ雲がぽっかり浮かぶ。

服がきれいなのはなんと素晴らしいことだろう、とリーアは思った。

生きてることは良いことだ。今を考えることにして、少女は今朝がたのお使いの事を思い浮かべていた。

冒険者に曰く「リリィ、宿の主に皇都で配達して欲しいものはないか訪ねて」

との事であった。


 成る程。これなら彼女とて経験がある。

ついでに、宿の一階といえば昼なお暇をした連中が朝からぐだをまいて屯していると相場が決まっている。

階段を降りるとーーー名前は確か昼から酒のみ亭、実にふざけた名前だ。

ともかく、階段を降りるとタバコの煙がもうもうと渦を巻く界隈を突っ切りカウンターの前に陣取る。


「おっちゃん、お葉書ない?」


 なんだなんだ何事だと朝酒を決め込んでいた幾人かの目が向いた。

見ない顔だ、余所者か、でもまぁ街道宿場だしよくある事か、と

彼らが思ったかどうかは定かではない。


 のっそりと現れた汚れエプロン姿の大男は胡散臭げにリーアを暫し眺め、

ややあって思い出したかのように口火を切る。


「ああ......昨日の。連れのウォルさんから話は聞いてる」

「うん、持っていくから何かないかって」

「それなんだけどさ」


 宿の主人は頬杖をついて辺りを見回す。

何をしているともしれないルンペン、冒険者、金のない旅人、行商人、幸せそうな酔っぱらいといった面々がいる。


「うち、代書屋じゃあないし配達は受けても荷物預かりもやらないんよ。だからお嬢ちゃん」

「リーア」

「じゃ、リーア。申し訳ないんだけど集荷やってもらえない?そうしたら口は準備できる伝がある」


 主人は一抱えほどももある大きな鞄を引っ張り出すと少女に押し付ける。


「はい?」

「ウチは名前と信用と、後お金を出す。あんたは働く。分かりやすいだろう?」


 ーーー駆け出しの冒険者とは、つまり流れの肉体労働者に等しい。

つまり、そんな扱いというわけだが、納得がいくかどうかとはまた別の問題である。

ぽつねんと朝の町に繰り出してみるものの気分は一行優れない。

有り体に言えば、大いに不満であった。


 しかし、文句をいっていても始まらない。

リーアは考え込むのを早々に放棄すると行動を開始する。

だが、所詮は端から端まで歩いても半日とかからない界隈だ。

早々に終わるだろう、と検討をつける。


 さて。結論を記そう。集荷作業は思いの外上手くいった。

そもそも手紙だの荷物だのを遠方に送り届ける手段は限られている。

専門の人間に頼むか、行商や冒険者、旅人に頼むか。

教会や商会の抱えた飛脚や運送専門の冒険者が運ぶのは

大体は証書だの、債権だの、布告だの、公文書やそれに類するものばかりだ。

為に、単なる手紙の類いを担うのは冒険者や運送業者に頼むのが一般的である。


 日が傾く頃ともなれば、鞄一杯の手紙が集まっているという寸法である。

ずっしりとした重みが今日一日の成果という訳だった。


 

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