第2章 猫は至上の生き物です
2-1 本格アフタヌーンティ
――ピピピッ、ピピピッ。
「なんで目覚ましが鳴る……」
今日も寝たのは明け方近かった。
気持ちよく寝ているところを起こされるなんて。
アラームを止めてまた寝ようとして、慌てて飛び起きる。
「そうだった……」
もそもそとベッドから這い出て、大あくびをしながらボリボリとあたまを掻き、浴室へと向かう。
シャワーを浴びると目も覚めてきた。
「あれ?」
シャンプーのボトルを手に取りながら、首が横に倒れる。
かなり軽くなっていたからそろそろ詰め替えないと、などと考えていたのに重い。
「こんなことまでやってくれるんだ……」
松岡さんのサービスはきめ細かい。
伊達に執事コスプレはしていないと思う。
「たださ、男なんだよ……」
家政夫契約を結んで早一ヶ月。
いまだに私は、松岡さんに慣れずにいた。
「……はぁーっ。
今日も一日、なんとか乗り切ろう……」
私の口から落ちるため息は、海よりも深い。
いつも通り簡単に化粧をして着替える。
家政夫なんて頼むから、こんな面倒なことをしないといけない。
そもそも家政婦さんで当初の予定通り田辺一美五十二歳だったら、まあ多少は着替えたりはするものの、すっぴんでもよかった気がする。
――キーッ。
「こんにちはー」
自転車の止まる音の後、ガラガラと玄関が開いて松岡さんが顔を出す。
「本日もよろしくお願いいたします」
靴を揃えて上がってくる彼はやはり、執事服姿だった。
この真夏にジャケットまで羽織っているし、さらにはママチャリ通勤だ。
絶対暑いに違いないとは思うけれど、いつも彼は汗ひとつかいていない。
もしかしてサイボーグ?
なんて疑った私に罪はないはずだ。
「お茶の準備ができましたら、声をおかけいたします」
「……よろしくお願いします」
彼の仕事は三時からお願いしているので、お茶の準備からはじまる。
台所に松岡さんが消えていくのを確認しながら、私も仕事部屋のふすまを閉める。
仕事部屋の中は相変わらず足の踏み場もないほど散らかっていた。
彼にはここは、絶対立ち入り禁止だと言い渡してある。
女性にTLノベル作家だとバレるより、男性に知られる方が危険が大きすぎる。
「お茶の準備が整いました」
びくんと肩が跳ねる。
いつまでたっても声をかけられるたび、過剰に反応してしまう。
「は、はい。
いま行きます!」
慌てて行った茶の間には、お茶の準備が整えてある。
――アフタヌーンティの体裁で。
三段のケーキスタンドにティセット、ちゃんと下にはおしゃれなテーブルマットまで引いてあった。
「どうぞ」
松岡さんが紅茶を注いでくれる。
「……ありがとうございます」
カップに口をつけた途端、いい匂いがする。
紅茶はいまは買い置きしてくれているから自分でも淹れてみたものの、こんなに香り豊かにはならなかった。
紅茶を飲んでケーキスタンドの上の、胡瓜のサンドイッチをつまむ。
他にのっているのはスコーンと今日はオレンジのタルト。
スコーンには松岡さん曰くなんちゃってだけど、クロッテドクリームとイチゴジャムが添えてある。
これは、完璧なアフタヌーンティなのだ。
――ただし、和室でちゃぶ台、正座で給仕する執事もどき付きだけど。
「……むかつく」
サンドイッチはただ胡瓜を挟んだだけとは思えないほどおいしいし、スコーンはよくあるぱさぱさのと違ってしっとりさくさくだし。
タルトだってオレンジの酸味とクリームの甘さがよくマッチしている。
悔しいが、取材で行った一流ホテルのアフタヌーンティに引けを取らないどころか、へたするとこっちの方がおいしい。
そしてこれらはすべて――松岡さんのお手製だったりする。
「なにか?」
意地悪く、松岡さんの右の口端が僅かに持ち上がる。
「なんでもない!
お茶のお代わりください!」
熱くなった顔をごまかすようにカップを押しつけた。
あの日、あとから書類を確認したら、二つも年下だと知って愕然としたものだ。
「あの。
いつも思うんですけど、これって業務外なんじゃ……」
私が彼に頼んでいるのは家の掃除と買い物などの雑務、あとは夕食作り。
アフタヌーンティやお茶を淹れるなんてことは業務に含まれていない。
「ああ。
業務に支障のない範囲で、私の趣味としてさせていただいておりますが」
「そうですか……」
趣味ならいいのか?
けれどこれのために毎回、でっかい荷物を抱えてくるのは大変じゃないんだろうか。
ティセットはうちにあった、例のイチゴ柄のあれだが、ケーキスタンドは松岡さんの持参。
話によると彼のアフタヌーンティが楽しみすぎてわざわざ買ったお宅もあるということだけど……わからなくもない。
ケーキやサンドイッチは作ってきているようだった。
だからうちに来るときはいつも、大きな保冷バックを自転車に積んでやってくる。
「あの、材料費は大丈夫なんですか」
夕食の材料費代は渡してあるが、アフタヌーンティ代なんて出していない。
まさか、手出しとかいうことはないよね?
「いただいた予算の範囲でさせていただいております。
もしやめてほしいなどということでしたら、次回からはやめますが」
「……いえ。
お願いします……」
アフタヌーンティはすでに、私の中で密かな楽しみになっていた。
これがないならもう来ないでいいと断っても……よくない。
「かしこまりました」
右の口端をちょこっとだけ持ち上げて莫迦にするように笑うのは、ぜんぜんこっちを敬っていないと思うけどね?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます