1-3 ハウスキーパー

「それで足、捻挫したんですか!?」


打ち合わせで来たTLティーンズラブノベルのラズベリー文庫編集部、足をひょこひょこ引きずる私に担当の桃谷ももやさんは心配そうだったが、理由を聞くと大笑いしだした。


いや、桃谷さんは人事だからいいかもしれないが、……あれから、大変だったのだ。


トイレはかろうじて間に合ったものの、足の痛みは酷くなる一方。

肩こり用の湿布があったはずだと探すけど、散らかり放題の家の中から見つかるはずもない。

泣く泣く両親に助けを求めたところ、来てくれはしたが二十四にもなって説教された。


そもそも、父は私のひとり暮らしに反対だったのだ。

とうとう、次、こんなことがあったら家は取り壊し更地にして売りに出すとまで通告された。


それだけは――絶対に避けたい。


「そんなに笑わなくたって……」


火が出そうなほど熱い顔を落ち着けようと、淹れてもらったアイスコーヒーを飲む。

時間がたって氷が溶け、薄くなったアイスコーヒーはおかげで、少しだけ平常心を取り戻せた。


桃谷さんとはここ一年くらいの付き合いだ。

けれど元文芸にいたというのが信じられないくらい明るく押しの強い性格で、あっという間に私の懐に入られた。

他にもいくつかお世話になっているTLノベルの編集はいるが、たぶん彼女が一番打ち解けている。


「だって、閉じ込められたのこれで二度目?

でしたっけ?」


「……三度目」


つい、行儀悪く咥えたままのストローを吹いてぶくぶくさせてしまう。


――そう、崩れた物で閉じ込められたのはこれで三度目。


一度目は素直に両親に助けを求め、今回ほどじゃないけど怒られた。


二度目はトイレだったから、助けを呼ぼうにも携帯を持っていない。

なんとかドアを蹴破って脱出し、もう二度とこんなことが起こらないようにと固く誓ったはずだった。


――が、今回の三度目。


父の最後通告も仕方ないといえる。


「あの家、どうにかしないとダメですよ」


「……そーですね」


元来、家事が苦手なのと仕事の忙しさが相まって、家の中は酷い有様だ。

きっと、泥棒に入られたって気づかないと思う。


「そうだ、ハウスキーパーとか雇ったらどうですか?」


「ハウスキーパー?」


「ちょっと待っててくださいねー」


立ち上がった彼女の、栗毛色の髪が揺れる。

色白でお目々ぱっちり、綺麗にお化粧して仕事だから抑えめとはいえ、可愛い服を着た彼女は世の男どもから見たらまさしくお姫様だろう。


その一方で私は、外に出てもやっぱり伸ばしっぱなしの黒髪を一つ結びだし、化粧も軽くBBクリームを塗って粉をはたき、口紅を塗っただけ。

服だってある程度きちんと見えていればいいと、適当にウニクロで買ったシャツとスカートだ。


こんな女、王子様の方から願い下げだろう。


……わかってはいるんだけどね。


幼い頃から王子様を待ちわびている割に、努力が全く足りていないのは。


いや、見た目の努力以前に家から全く出ないのが問題なのだ。



人付き合いの苦手な私は小学校も中学校も高校も、大学でさえも狭いコミュニティの中で過ごしてきた。

ぎりぎりぼっちではなかったが、いじめられっ子に転落する境界線上にはいた。

いや、きっと、この王子様ネタ妄想体質を知られていたら、間違いなくいじめられていただろう。


ただ、この妄想体質のおかげで大学時代に出したラズベリー文庫のコンテストで賞を取り、いまでは大藤おおふじ雨乃あまのというTL小説家で食べていけている。

きっと普通に就職したところでまともに働けていけた自信もないし、妄想体質には感謝しかない。


「お待たせしましたー」


少しして戻ってきた桃谷さんは、私の目の前に一冊の雑誌を置いた。


「うちで出してる、主婦向け雑誌なんですけど。

今月ちょうど、ハウスキーパーの特集をやってるんですよ」


ぱらぱらと雑誌をめくり、すぐに該当のページが開かれる。


「週一回数時間からお願いできるみたいですし。

頼んでみたらどうですか?」


特集の中で実際に利用してみたインタービューでは、〝大満足〟とか〝早く利用すればよかったと後悔している〟などという字が躍っている。


「ハウスキーパー、ね……」


自分で片付けられないのなら、誰かに頼むしかないのはわかっている。

わかってはいるが、週に一度数時間とはいえ、他人と一緒に過ごさなければいけないのはけっこう苦痛。


「でも、自分で片付ければいいし……」


「それができたら三度も閉じ込められる、なんてことはなかったと思いますけど?」


「うっ」


意地悪く桃谷さんから笑われると、返す言葉がない。


「それにそもそも、そんな時間がないんじゃないですか。

うちだけでも年内締め切りで三本、お願いしていますよね?

それ以外にも他の出版社さんからも依頼を受けていると思いますし。

そうなると時間がないのは当然です」


「そう、なんだけど……」


このままだと、あの家を取り上げられかねないのはわかっている。

わかっている、が……。


「快適な環境を整えて、快適に小説を書いていただくのも私の仕事です。

だ、か、ら」


わざわざ、一音ずつ区切って強調してこられても。


「ハウスキーパー、頼みましょう?

それでいままでよりさらにいい作品を、たくさん生み出しましょう!」


「……結局、こき使う気ですか」


「あたりまえです」


悪びれることなく桃谷さんがにっこりと笑い、苦笑いしかできなかった……。

 


「あ、忘れていました」


打ち合わせも終わり帰り支度をはじめようとしたら、桃谷さんに止められた。


「最近ですね、作家に対する嫌がらせが続いてるみたいなんですよ」


「嫌がらせ、って?」


書籍通販を主としたサイト『Nyamazonニャマゾン』で、悪質なレビューをつけられたとか、SNSで誹謗中傷を書かれたとかいうのは珍しくもない。


「それがけっこう、シャレにならないもので。

……猫の死体が送られてきたり、とか」


「……なにそれ」


思わずぶるりと身体が震える。

レビューや誹謗中傷は割り切るしかないと諦められるが、それは……怖い。


「うちの出版社だけじゃなく、よその出版社さんでも同様の被害に遭ってる作家さん、いるんですよ。

それで、警察には届けを出しているんですが」


警察沙汰になっているのなら、遠からず捕まる……よね?


「でも作家といえば少し前に、あんな事件があったじゃないですか」


「あ……」


あの、世間を騒がせた、ネット小説家殺人事件はまだ記憶に新しい。


投稿サイトのコンテストで大賞を取り、書籍が発売される直前に作家が殺された。

しかも本を買ってほしいとのメッセージとともに死体が飾り付けられた写真が、SNSに投稿されていた……という話もあるが、真偽のほどは定かではない。

警察も否定しているし。


でもそれで話題になって売り上げが伸びたとなると、皮肉な話だ。


「あの作家さんも嫌がらせに悩んでいたみたいなんですよね。

犯人もまだ捕まってないですし、今回の件も一概に無関係とは言えなくて。

大藤先生も気をつけてくださいね」


「……はい」


返事はしたものの、気をつけろって言われたってどうしていいのかはわからないが。

とりあえず、戸締まりだけはちゃんとしよう。

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