明日になったって

有人

第1話 クロウ

1.

 ここ最近日課になっている朝一の中庭での剣の素振りと、食堂での朝食を終えた僕は、城内中郭にある執務室に戻ってきた。まだ春先の朝も早いうちだけど、部屋の中は少し暖かい。ベルトから下げていた剣を外して奥の壁に立てかけ、棚の上の水差しからコップに水を注ぎ一息ついた。

 椅子に座り、分厚い板で調度された机の上に広がる書類、本、開封された手紙を見渡す。昨日のままだ。少し散らかっているけど。僕は机の手前に置かれたメモ用紙を手に取り、昨晩書いた内容を見直す。

 今日は何から手をつけようか。メモした順番にこなしていくのも良いが、一気に片付けてしまうとそれはそれで明日以降が暇になってしまうからやっかいだ。時間はある。しかし急の案件がいつ舞い込むともわからないから、時間の余裕を作っておくに越したことはない。そうしたら街に出て散策するのも良いし、ついでに実家に顔を出してみるでもよい。

 メモの内容を見ながら今日の流れを考えてみた。一番価値のある案件は何か。自分の役割と照らし合わせてみる。これだ。この調査をしよう。僕は上から3つ目のメモ書きを丸で括った。

 魔力調査室。王都やその周辺で起こる不可解な事件から、魔力の痕跡を探知して、魔王軍斥候部隊が関わっているかを調査するため、3ヶ月前のある事件をきっかけに設立された。この部屋でこの仕事を任されてから早3ヶ月。以前いた総務隊の雑用部隊とは真逆なくらいに自分で1日の内容を自由に組み立てられる。その理由は、3ヶ月前の事件で魔王軍の斥候とその部隊を僕を含む王都の兵やある人物とともに討ち払ったために、しばらくは大きな事件もない事が挙げられる。もし3ヶ月前の事件のレベルが毎日続く状態だったら、総務隊雑務に近いくらい少しの睡眠と膨大な仕事に追われていたことだろう。

 1日の流れを組み終わり、コップの水を一口含んだ時だった。調査室の扉をノックする音があり、誰何の声が上がった。

「どうぞ。」

 僕は近づいて扉を引いた。

「やあ、元気そうだね。」

 入り口にいたのは僕よりも少し背の高い茶髪茶目。黒い革鎧にカタナを手にし、切れ長の澄んだ目をした男、クロウ・カシマだった。王都北東に位置するカシマの里の里長代行。カシマ人と王都の王族親戚筋とのハーフ。僕が魔力調査室員になるきっかけとなった男であり、それを機に親しくなった友人でもある。身分は彼の方が上だが、何故だか気が合い、お互い親しく話している。

「2週間ぶりかな? 」

 彼は机の入り口側にある椅子に座り、部屋の中を見渡しながら話した。僕は彼に水を進めると、彼はそのまま手で制した。

「前より本や品物が増えたかな。何か調査中かい?」

「そうだね。でも今回も多分白だと思うよ。その確証を得るためにこれから現場を見直すつもりだった。そっちは?」

 僕は扉を閉めて机を挟んだ窓際の椅子に腰掛けた。さっきと同じ位置だが、徐々に太陽の光が差し込み始めていた。

「大臣に書簡を渡してちょっとした打ち合わせをね。もう済んだのでここへ足を運んだわけだ。特に何か調査中でなければ街で聞いた気になる事件を君の耳に入れて起きたくてね。」

 気になる事件––。彼がそう言うのなら、それはおそらく魔族の斥候に絡むかもしれない案件だった。つまり僕の出番でもある。すぐに頷くと、彼は足を組んで話し始めた。

「王都東側に湖へ続く小川があるだろう。今朝そこで水死体が発見されたのだが、何故か焼死体でね。丁度通りかかったので調査していた兵士に聞いてみたものの、最近3日間で火事どころかボヤ騒ぎすらなかったそうだ。」

「4日以上前に焼死体になった可能性は?」

「遺品から2日前に失踪した近隣の住民だと判った。今朝方起きたばかりだったので兵士も私もそこまでしかわからない。」

「うん。水の中に焼死体か。気になるね。案内してほしい。今日の案件はその後で良いよ。」

 僕は奥に立てかけた剣と机の上の筆記用具を手に取った。


2.

 クロウに案内された場所は、王都東側を流れる小川を渡る3つの橋の内、一番南側––湖に一番近い––の橋付近だった。小川は大人の膝くらいまでの深さの浅い川で、雨が一番多く降った時でも腰まで来ないくらいの穏やかな川だ。これは王都北方にある門の街と北東部のカシマの里の間から南に向けて流れ、王都東側の城下町内を通って南部に広がる湖へと至る。

 辺りを見回すと、件の現場はもう片付けられたようで、遺体を引き揚げたと思われる場所には弔いの花が何束か添えられていた。僕とクロウはそこへ向かい簡単に祈りを済ませると現場付近を見渡した。

「やれそうか?」

「ああ。現場の保存は必要ないよ。」

 クロウの問いに頷いた僕は、目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。瞼を閉じることでより伝わる肌と空気の触れ合う感覚。それを自分の体の外側へ、ゆっくりと拡大していくイメージ。囁きも詠唱も祈りも要らない。イメージがこれ以上拡大できない範囲まで拡がると、僕はゆっくりと目を開けた。

「うん。魔力の痕跡はあるね。橋の上に霧消仕掛けてるのが1つ、橋の脇の川の水面から川下に細く流れているのが一つ。最後はそこからここまで引きずったような薄いのが一つ。一番新しそうなのはここにあるやつだね。つまり、被害者は何らかの魔力によって焼かれ、川に落ち––あるいは落とされ––、今朝になって僕とクロウの立つ川辺に引き上げられた。」

「他には?」

 辺りを見回した僕はもう一つ痕跡を見つけた。それは橋の上から薄っすらと僕らとは小川を挟んで対岸をつたい、南の湖の方へ続いていた。薄っすら消えかかってはいるが、追跡は可能だろう。

 クロウはそれを聞いて一つ頷くと、僕とともに小川に沿って城下町を南に下り、今にも消えそうな魔力の痕跡を追った。


 僕らは王都を離れて1時間ほどにある湖畔で、魔力の痕跡の源を見つけた。大の大人が両手一杯広げたくらいの大きさの炎の塊が、僕らの胸元くらいの高さで浮いていた。色は紫がかった白。クロウを見ると彼もこちらを見て頷いた。炎自体は彼にも見えるようだ。視線を戻すと炎は少しだけ揺らめいて消えてしまった。


3.

 それからしばらく湖畔の周囲を探索したものの、消えた炎を発見する事はなかった。僕とクロウは昼過ぎには魔力調査室の執務室に戻り、過去の文献を漁ったり、知識豊かな文官を当たるなどして、あの炎の正体を探ろうとした。

 僕が執務室で300年前の魔王討伐戦争の文献を漁り、次の書物を机の上で開いたとき、外での情報収集に当たっていたクロウが戻ってきた。

「歴史管理官ボルカイト殿の情報だ。300年前の魔王討伐時を記録した勇者殿の文献がある。名は『討魔記』という。その本にそれらしき記載があるらしい。ただ、複数種類の記載があったという話だ。」

「ありがとう。ちょうど今から見る本がそれだ。探して見よう。」

『討魔記』は、300年前に魔王を討伐した勇者が故郷の村に戻った後、魔王討伐の旅の内容を記した書物だ。魔族や魔獣、魔人に関する記録も多く、魔力調査室の仕事をこなす上で役立つ資料の一つだった。もっとも、ここにあるのは何回か写本されたものであり、オリジナルは勇者の子孫であるその村の長が保管している。

 王都付近にいた頃や魔物との戦闘が激化していくあたりを中心に調べてみると、僕とクロウが目にした炎に似ている記録が3種類見つかった。

「怨嗟の念が炎になった魔物、炎の魔霊、そして、炎を操る魔族だね。可能性としては魔物が高いかな。魔霊は火山群にしか住まないし色は赤に限られる。各地に潜む魔王の斥候は魔族ではなく魔人の部類だしね。斥候にそこまでの魔力があったとしても自分から動かないだろう。」

「同感だ。斥候に関しては以前倒したデビットショットが証明している。魔物であれば私でも対処できよう。あとは...」

「どこにいるか。」

「うむ。」

 さらに調べたところ、やはり炎の魔物が犯人だろうということがわかった。文献にも紫のような白い炎のことが記載されていた。出現時間は真夜中から昼まで。彷徨いながら怨嗟の対象を見つけて炎の魔法で襲いかかり、大きな水場に行くと消えてしまうという性質。まさにそのままである。再出現は今晩真夜中、先ほど消えた場所と同じ。つまり、湖の湖畔だ。

 対策は教会の聖水と宮廷魔道士の水術を施した武器での攻撃。全ての準備を終えた僕とクロウは、その日の夜中に湖畔で待機した。

「出たぞ。」

 クロウの言葉で、彼と同じ方向を見ると、先ほどまで何もなかった暗がりの空間に、紫がかった白い炎の魔物が明るく浮いていた。 距離は近い。クロウが近づきながら水術の施されたカタナを抜き、もう片方の手に持っていた小瓶の蓋を開けて中の聖水を刀身にかけた。

「いざ。」

 クロウが足早に炎の魔物に近づいて、カタナを振り下ろす。

 炎はあっけなく真っ二つに割れ、地面に落ちることなく散った。炎が消えて再び夜の帳が下された湖畔に、僕とクロウだけが残された。


4.

 執務室に戻った僕らは、安いワインで軽い祝杯を挙げた。城勤めをしていても、舌触りの良いワインなんて国の祝辞の時くらいしか飲めない。コップの半分ほどまであおった僕は一息ついた。

「しかし、今回の魔物はえらくあっけなかったね。」

「うむ。あの後、特に再生する兆しもなかった。勇者殿の記録通りだな。」

 クロウはワインを飲み干すと、満足したように頷いた。

「後のことはやっておくよ。炎の魔物と被害者との関係と動機、あと魔物化した原因もね。」

「私は里に戻るとしよう。また何かあったら手紙をくれ。すぐに駆けつける。」

「ありがとう。」

 言うなりクロウは手を振りながら執務室を出てしまった。そういえばこういう人だった。用事が済むとすぐに去ってしまう。カシマ人だからというわけでなく、これは彼の性分なのだ。

 僕はワインの残りを飲み干すと、中間報告書をまとめ始めた。昨日やろうと思っていた案件を片付け忘れていたのを思い出したのは、報告書をまとめ上げたあとだった。


おわり

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