最後のクリスマス
やたがらす
最後のクリスマス
ガタゴト、と電車に揺られる。周囲は仕事帰りの人たちで、いつも通り溢れかえっていた。いや、いつも通りとは言い難い。
目の前にいる二人組は、片方がもう片方をまるで手すりのように支えにして立っていた。
この馬鹿みたいに混雑したラッシュの中でも、カップルと呼ばれるような人たちはいる。混雑した電車の中でも二人だけの世界に没頭してしまっているみたいだ。あー、なんか気まずいものを見てしまったなーと思って、視線を逸らす。けれど、視線の先にも似たような人たちがいた。
「ねぇねぇ、クリスマスに予定ないとか、マジないよな」
「うっわ。かわいそう」
そんな会話も聞こえてくる。別になんとも思わない。何とも思わないのだけれども、訳もなくドッと疲れる。ただでさえ疲れているのに。
気を紛らわすために開いたスマートフォンでラジオを聞く。特にこのラジオ番組を聴く、という訳でもなく、前回聴いていた局の放送が耳に飛び込んで来る。
『今日は平成最後のクリスマスですが、皆さん、どのようにお過ごしでしょうか??』
少々荒くラジオの電源をオフにする。
……言われなくても分かってる。今の自分は少々気が立っている。こんな時に心を沈める方法はただ一つ。美味いコーヒーを飲む事だ。
***
……確かにコーヒーは美味い。美味いのだが……。お気に入りの店で一服していたが、コーヒーが苦く感じる。あぁ、精神状態が味覚にも影響するのだな、とそんなつまらない事を実感する。
この店も周りを見渡してみれば、カップルだらけだった。まぁ、自分が通されてた席がカップルに挟まれてしまったせいでそんな風に感じるんだろうけど。そりゃ、そうだ。一人席なんかそうそうないし、そうなると通されるのは必然的に二人席。二人席には二人組の客が座る。当たり前だ。店内もクリスマスのBGMで溢れていた。まぁ、クリスマスの時期だから流すだろう。当たり前だ。
別に平成最後だ、と言われたって特に何もしない。というか、そもそも何かをする気もない。はいそこ、恋人が出来ない負け惜しみだろ、とか言わない。そんなセリフは聞き飽きた。
カップを両手で包み込み、目を閉じて深く息を吐く。……別に寂しいとは思わない。ただ、単に鬱陶しいと思う。自分はそれでいいと言っているのに、周囲は「そんなはずないだろ」と言う。自分にも大切にしたい、と思う相手はいるし、その相手に会うのに「クリスマスだから」なんて理由なんていらない。
どうして、クリスマスだから、と一人でいる事を咎められなくてはならないのか。クリスマスなんて、鬱陶しい。
「だったら、いっそのこと壊せばいい」
やけにはっきりした声がして、驚いて顔をあげる。
「……っつ!?」
目の前には、仮面で顔を隠した、黒いタキシードとマントで身を包んだ怪盗のような人物が座っていた。急に現れた奇妙な格好をした人物に、身を固くする。こいつ、どこから湧いてきやがった??相席か??いや、だとしても普通店員が声をかけるだろう、普通!!
そこまで考えてはたと気付く。
「夢……か」
確認するように問いかけると、仮面の人物はニンマリと笑った。
「正解。そう。私は夢の中の概念のような存在さ。あぁ、寝てしまったからって慌てなくてもいい。どうせ、君の周囲の人たちは君の事なんて見やしないんだから」
ふふん、と笑うといつの間にか彼の目の前に置かれていたコーヒーカップに口をつけた。彼、とは言ってみたものの、正直性別は分からない。本当に、概念というものみたいだ。一体、何という夢を見てしまってるんだ、自分。とにかく、目の前の人物を、怪人、と仮称しよう。
まぁ、怪人の言うことにも一理ある。どうせ起きても、苦いコーヒーを飲むだけなのだからここでやり過ごすのもありだ。自分のコーヒーを一口啜る。夢ということもあってか、自分の記憶の中にある極上の味がした。よし、ここにいる理由はできた。
「それで?壊そうっていうのは?」
ソーサーにカップを置きながら尋ねると、怪人は両肘をつき、口元を隠すように指を組んで詰め寄ってきた。
「分からないのかい?クリスマスを、さ」
「……どうしてそれを望む?」
怪人は大げさにおどけて両手を広げた。
「簡単だよ。クリスマスを壊す、という概念が私だ。クリスマスを壊したい。そう思うのが私なんだよ。それに何故を求めたらおしまいだ。だって、それがなくなったら、私は存在できなくなってしまう。」
「だったら、何で自分なんだ?」
「そりゃあ、君、簡単な事だよ。君はクリスマスを望んでいない。そうだろう?」
「自分が……?」
「そう、さっきも言ってたじゃないか。クリスマスなんて、鬱陶しいって」
そう言われると、ぐうの音も出なかった。確かに思った。
「でもそんな事、どうやってやるんだよ?」
「ふふふ。その気になってくれて何よりだ」
「そうとは言ってない」
「さぁ、どうだろうねぇ?私はクリスマスを壊すための存在だ。君が願えば、ほら——」
怪人がパチン、と指を弾くと自分のコーヒーカップが宙を飛んで割れた。
「簡単だ」
もう一回怪盗が指を弾くと、また新たなカップに注がれたコーヒーが目の前に現れる。
「ここは私の空間だ。だから、なんでも私の思うがままなのさ」
「要するに、お前はランプの魔人、と言ったところだな」
「ほう、君はそう思うのか。それも間違っていない。けれど、私はこの格好が気に入っててね。この仮面やマント、カッコいいだろう?」
怪盗は立ち上がってくるりと回った。隣でおかしな格好をした人が立ち上がって回り出したのにも関わらず、周りの人間は一切なにも言ってこない。流石は夢だ。
「お前の格好はどうでもいい。それよりも、だ。仮に自分がお前の望み通りクリスマスを壊すことを願ったとして、だ。お前はそれでどうなんだ。お前という存在が消えるんだぞ?」
「概念にしか過ぎない私を心配してくれるのかい?君も優しい奴だねぇ。でもいいんだ。私が消えれば、世界は平和になるんだから!」
怪人は怪盗の如くマントを翻したかと思うと手を掲げ、高らかに謳う。
「だって考えてもごらんよ!!クリスマスがこの世界から消えるんだ!!!街中からは浮かれる奴らが消え!!!テレビも騒がなくなる!!君はいつも通り、電車で平穏なラジオを聞くことが出来、美味なコーヒーを飲める!君にクリスマスに予定はないの、と聞いてくる輩も消えるんだ!!そう!!クリスマスさえ消えれば!!!」
一息に言い終え、怪人は少し息をついた。
「どうだい?素晴らしいだろう??君にはそれを出来るだけの力が与えられてるんだ!!さぁ、願うんだ!!平成最後のクリスマスが!!最後のクリスマスになるんだ!!」
気がつけば、周囲からは人が消えていた。何もない真っ暗な空間に机と椅子が2つ、それに怪人と自分、コーヒーカップだけが存在しているようだった。コーヒーをゆっくりと飲み干し、ソーサーに置けばとカチャリという音までがやけに響いた。
「確かに、お前が消えれば幸せになるな」
怪人は目を輝かせた。……あいにく、仮面の下に隠れてその目は見えないのだが。
「そうか……!そうだよな!!君ならそう言ってくれると信じていたぞ!さぁ!!はっきりとお前の願いを口にするんだ!!!」
怪人が詰め寄って叫ぶ。怪人の興奮した呼吸が、顔面に当たる。その顔を見据えながら、口を開く。
「あぁ、願いを言うよ。自分は、クリスマスが消えることを———望まない」
怪人の笑顔がピシリと固まる。
「な……なぜだ!なぜだなぜだなぜだ!!クリスマスが消えれば!!お前が望む世界が来るんだぞ!!」
激昂する怪人の言葉を冷ややかに聞く。気がつけば、空になったはずのカップにはコーヒーが注がれていた。満足しながら、再度コーヒーを啜る。
「確かに。自分はクリスマスを鬱陶しく思うよ。周りはどうこう騒がしいからね。ただ、だからと言って消えて欲しいとは思わないよ」
「だから!!なぜだ、と言ってる!!!」
怪人の声は悲痛そのものだった。よく見れば、怪人のマントは破れていた。最初からそうだったのか、そうじゃないか分からないけれども。
「だって、クリスマスが消えたら、楽しいこと一つ減るだろ?」
「なぜだ……さっき鬱陶しいと言ってたじゃないか。矛盾する」
「うん。確かにそうだね。けど」
念じれば、自分のスマートフォンが現れた。軽く操作をして、メッセージアプリを開いて怪人に見せる。
「ほら、これは友人からのメッセージだ。大切な人と過ごした、と書いてある。こんなメッセージがたくさん来ている。普段だったら、こんな小っ恥ずかしい話、聞かせられないだろ?でも、クリスマスならこうやって言うことが出来る。それに、クリスマスだからって一歩を進められた人たちもいるかもしれないしな。素敵じゃないか」
「でも……」
怪人は肩で息をしながら机に両手をつく。怪人の体は微かに震えていた。その背中に向かって語りかける。
「お前は他人の幸せを祝えないほど卑屈な人間じゃないだろ?」
パキン、と音がした。怪人は動揺したのか、肩をびくりとさせて顔をあげた。仮面には、ヒビが走っていた。
「別にクリスマスに限らず、周りの人たちが幸せなら嬉しい。クリスマスならその幸せを大々的に言えるし、祝えるだろ?」
ピシリ、とまた音が走る。怪人は唇を噛む。
「クリスマスが嫌いだったわけじゃない。とやかく、赤の他人にクリスマスなのに、と言われるのが鬱陶しかっただけなんだ。だから自分は——」
コーヒーを最後まで飲んで再度口を割る。
「いや、まだ早いか。言ってしまえば、お前とも口が聞けなくなるんだからな。お前の正体についても察しはついている」
仮面が悲鳴をあげると同時に怪人が顔をあげる。仮面は、最後の意地とでも言うかのように怪人の目元を覆っていた。
「変だと思ってたんだ。お前は私のことを知りすぎている。そりゃあ、突然現れた夢の中の存在だし、納得はしたよ。でも、違うんだろ?決定打はこれだ」
カップを怪人の前に差し出す。カップは満杯になっていた。怪人はこちらにまで聞こえるほど、歯を軋ませた。
「最初、ここは自分の思うがまま、だと言った。けどそれは私にも言えることだった。つまり、お前は私だろう??」
今度はパリン、と盛大に仮面が割れる音がした。カラン、と仮面が地面に落ちる音がする。現れたのはほかでもない、自分自身の顔だった。
「……ダメだったか……」
怪人——自分——は肩をうなだれた。
「お前の気持ちは分からないでもないよ。お前は、私の一部だったわけだからね。だから言うよ」
泣きそうな顔をした怪人に向かって、はっきりと告げる。
「私は、クリスマスを壊したくはない」
その言葉を放った途端、怪人の姿は薄くなり始めた。
「ははは……。君ならいけると思ったのにな……」
「悪いな。自分は大切な人の幸せまでは奪えないし、何より、自分にとって大切な人が幸せなのを見ているのが好きだから」
「ふふ……そっか。君も大人だな……」
会話を交わしていくうちに、怪盗の影は薄くなる。
「一つ訂正をしよう。君は私をお前自身の影と言ったが、少し違う。私は、クリスマスを壊したい、という願いを具現化したものだ。願いというただの概念に過ぎなかったものが、君によって増幅され姿を持つまでになったのだ」
黙ったままでいると、怪人は話を続けた。
「こうやって願いを断られたのは初めてじゃない。さっきも別の人に声をかけたが断られてしまったよ」
はは、と怪人は乾いた笑いをする。
「クリスマスが壊れても、壊れなくても、私という存在は消える。私は消えることが宿命なはずなのに、何故だろうな。こんなに悲しいのは」
もう目を凝らさないと怪人の姿は見えない。ただ、怪人の目から光が一筋見えた気がした。
「悲しくていいんじゃないか?自分の存在が否定されるのは、誰だって悲しい」
「……全く、君は、優しいやつだな……」
怪人はそれだけ言い残すと完全に姿を消した。
***
びくん、と首が震えるのを感じた。
「いってて……。寝てたわ」
やはり、自分はカフェで両手をカップに添えたまま寝てしまったようだ。時間にしてどれほどなのかは分からないが、少々首が痛い。こんな姿、他人に見られたら恥ずかしいほどこの上ない。しかし、怪人の言っていた通り、周囲の人たちは自分たちの世界に夢中なようだった。
凝りをほぐすついでに店内をぐるり、と見渡す。あの怪人が自分なら、怪人が声をかけた相手はおそらく自分も知っている相手……。
見つけるのは苦ではなかった。コーヒーカップを持って席を立ち、そいつの元へ向かう。
「よっ、久しぶり」
声をかけた相手は怪訝そうに自分の方を見たかと思えば、嬉しそうに手をあげた。
「なんだ、お前か。奇遇だな」
「そうだな。たまたま見かけたから、つい」
「そっか。お前、誰かと待ち合わせとかは?」
「ないない。リラックスしたくて来ただけ」
「ふーん。まぁ、俺だってそうなんだけど」
「そっか。じゃあ、一緒にお茶しようか」
「はっ。これも何かの縁だしな」
***
たまたまカフェの中で出会った友人と別れて独りで街を歩く。相変わらず、クリスマスのライトアップは眩しい。二人組でゆったり歩く人ばかりなせいか、普段通りに歩く自分はちょっと浮いていた。
自分が何もしなくても、今年のクリスマスは終わるし、来年のクリスマスもやって来る。毎年、その年のクリスマスはその年最後のクリスマスだ。あんまり、こういった表現は聞かないけど。けれど、今年が平成最後のクリスマス、と言われていたくらいだから、次は〇〇最初のクリスマス、と言われるんだろう。そして、多分その最初で最後のクリスマス、いかがお過ごしでしょうか?と言われるんだろう。
けれど、それで幸せな人たちがいるのも確かな事。その人たちが自分にとっても大事な人たちなら、自分も幸せ。
ブブッとスマホが震えた。画面を開くと、友人がクリスマスにプロポーズを受けたとの事だった。……全く、こんな事言われたら嬉しくってにやけじゃうじゃないか。
メリー・クリスマス。聖なる夜に、願いを。
こんな事を言ったら、あいつは拗ねるかな。じゃあ、仕方ない。あいつの幸せは自分が願うよ。お前が、消える苦しみを味わないで済むように、と。
最後のクリスマス やたがらす @yatagara_3
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