第19話

「いや、気にしてませんから。また気絶させられましたけど、全然気にしてませんから、本当ですから」


「なら唇を噛みしめて恨めしそうな顔をするのを早くやめてください!もう涼宮さんが来ちゃうから!」


 なんと、俺は今そんな顔をしていたのか。顔に手をやってみるも、鏡がないから見えないし分からん。そうこうする間に、みくるさんは姿を隠していた。


「お、涼宮!涼宮じゃないか?元気そうだな、ちょっと髪が伸びたんじゃないか?」


 俺は涼宮の後姿を見つけて声をかけた。涼宮はギョッとしたように振り返り、俺の顔を見てまたギョッとした。


「あんたなんて顔してんのよ。その辺に落ちてた腐ったレモンでも舐めた?それとも最初からそんな顔だったかしら」


 …いや、マジで今の俺どんな顔してるんだよ。そして誰が最初からそんな顔だこの野郎。


「冗談よ。あとなれなれしく名字を呼び捨てにすんな」


「…あぁ、分かったよハ~ルヒちゃ~ん♪」


 顔面をグーで殴られた。顔を押さえてしゃがみこむと、涼宮が馬乗りになってきた。


「痛っ!痛い!冗談!冗談だって!やめっ、やめろっ!無言で殴るな!マジっぽいから無言だと!マジでキレてるっぽいから無言だと!!!」


「マジでキレてんのよ!!!この!この!」


 的確に人体の急所を殴ろうとしてきた。俺には未来人の未来が懸かっているというのに何なんだこの野郎。いくら女子を殴らない主義の俺でもいい加減反撃しないとは限らな痛いごめんなさい許して!


「あらあら。まだ陽も高いのに二人とも大胆ね」


 聞き覚えのある声がして涼宮の暴力が止まった。恐る恐るガードを解いて涼宮を見ると、涼宮はこちらを見ず、別の方を睨んでいた。俺もそちらに目をやると、またしても朝倉委員長がニコニコと俺たちを眺めていた。天使…天使がいた。


「けど、どうせならもう少し人目のつかないところの方がいいと思うな」


 天使と思ったら悪魔だったらしい。えっ、俺これ人目のないところに連れていかれるフラグなんじゃ…。そう考えていると、じりじりと涼宮の体が俺から離れだした。朝倉委員長から視線を涼宮へ戻すと、涼宮の攻撃対象が俺から朝倉委員長へと向かいつつあるのが見て取れた。


「ハルヒちゃんハルヒちゃん。委員長もこういっていることだしさ、ちょっと場所を変えようぜ?」


 朝倉委員長に向かいつつあった涼宮の目が、ゆっくりとまた俺に戻ってきた。反射的に顔をガードする体勢をとる。女子が放っていいさっきじゃないだろこれ。


「ねえ涼宮さん」


 朝倉委員長が涼宮の肩に手を置いてぼそぼそっと何か囁いた。少し間があり、涼宮は俺から離れて何事もなかったようにスタスタと歩き去ってしまった。


「災難だったみたいね」


 仰向けになっている俺の横にしゃがんだ朝倉委員長がそう言ってハンカチを差し出した。俺はそれを断り、袖で顔をごしごしと擦る。いや、助かったよ。危うく反撃して涼宮を泣かしてしまうところだった。朝倉委員長は笑い声を一つ。


「見かけによらず優しいのね」


 どう見ても優しさの塊であるこの俺を捕まえて『見かけによらず』とは朝倉委員長も手厳しいな。


「涼子でいいよ。わたしがいったのはそっちじゃなかったんだけどね」


「そうなのか。分かったよ、涼子。前も言ったけど、助けてくれて本当サンキューな」


 涼子がしばし固まった後、何かのツボにはまったように声をあげて笑った。なんだなんだ、俺は冗談を言ったつもりはないんだが。


「あなた、本当に面白い人ね。けど、『涼子』はやっぱりやめよっか。クラスメイトの前では今まで通り朝倉委員長って呼んでね。周りに誰もいない時に呼びたかったら呼んでもいいけど」


 くくっとまたツボにはまったように笑いながら、りょう…もとい、朝倉委員長はそんなことを言った。よく分からないが、その方がいいならそうしよう。俺は立ち上がり、じゃあまたと立ち去ろうとすると名前で呼ばれた。


「キョンでいいよ。みんなそう呼ぶし、正直名字で呼ばれるより馴染みがあるから」


「あら、そうなの?ふぅん、じゃあキョン君って呼ぶわね。それでだけど、あなた明日以降もこんな感じで涼宮さんにちょっかい出すの?」


 ちょっかいって…。まあそうだな。なにせ俺は人には言えないがとある目的があって。


「ふぅん、そうなの。まあ詳しく聞かないわ。けど、今日みたいな感じで明日からもやるつもりなら、ちょっと考えた方がいいよ。見かけたら少しくらいは助けてあげるけど、わたしだって涼宮さんにあんまり嫌われちゃうのは困るし」


 俺だって涼宮に嫌われるためにやっているわけじゃないんだが。けどそうだな、明日からはもうちょっと加減してやってみるよ。そう何度も助けられてばかりなのも格好がつかないしな。朝倉委員長は返事の代わりに笑った。


「助けたって何度も言ってくれるけど、わたしがあなたを助けたのは今回が初めてのはずじゃなかったかしら?」


「え?いや、この前坂でさ、俺が涼宮に腕を折られそうになっているのを助けあー!!!!そうだった今回初めて助けてもらったわありがとうな涼子けどもしかしたらまた助けてもらう時が来るかもだけどそん時はよろしく頼むな!!!!!」


 口を滑らしかけた俺が慌ててまくしたてるように話し終えると、朝倉委員長はまた何かのツボにはまっていたように笑っていた。あっぶね、前に助けてもらったのは今より先の出来事だった。幸い誤魔化せたようだが、これ以上何かボロを出さないうちに退散しよう。俺がまたなと言って去ろうとすると、「キョン君」と呼ばれた。振り返ると朝倉委員長がにっこりと両手で〇を作っていた。確か前もそんな感じだった気がする。よく分からないが、俺も敬礼をしておいた。何だったんだろう。



 その後、みくるさんと合流した俺が翌日の放課後へ時間遡行をし、またしても涼宮にタコ殴りにされているのを朝倉委員長に助けられたりするのはまた先(翌日)の話だ。

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