*第四の不思議

「次は~。理科室の人体模型だっけ?」

「うん」

 向かいながら尋ねる健に匠が答える。三人は、北側の一階にある理科実験室を目指していた。

「四番目は、お決まりのやつだよね」

 健は両手を頭の後ろで組んで前方を歩いている匠の背に発する。

 匠は応えるように右手を軽く揚げた。彼はサンディブラウンのカーゴパンツに薄手のクリーム色のシャツを着ている。

周防すおう。下になにを着ているんだ?」

 シャツの下に見える黒い生地は耕平の目には普通のインナーと違う質感に思えた。

「ボディスーツだよ」と健。

「ボディスーツ?」

「薄くて丈夫で通気性も良いんだって」

「へえ」

「オヤジさんの趣味だよ」

「父親の?」

「匠の親父さん。元自衛官だから」

「え、そうなの?」

「あれ、知らなかった? どっかの国の救援に行ったときに、大きな怪我しちゃって退職したんだってさ」

「そうなのか」

 耕平は驚いて匠の背中を見つめる。

 彼の父親は居酒屋を経営していると聞いてはいるけれど、元自衛官だったとは知らなかった。

 周防匠の父親、周防 昭人すおう あきとは、駅の近くに妻のすみれと居酒屋を営んでいる。二階と三階が住居となっており、地下にはジムがある。

 繁盛しているのは器量の良い妻と自衛官OBのたまり場となっているためだろう。



 ──そうこうしているうちに、理科実験室の扉の前に三人は立った。例のごとく匠はコピーキーの束を取り出して鍵穴に差し入れる。

 木製の引き戸がきしみを上げて開き、身構えた三人は懐中電灯を手に足を踏み入れた。

「異常はなさそうだ」

「ちょっと待って。何か聞こえない?」

「聞こえるね」

 耳をそばだてていると、何やらギシギシとぎこちない音が近づいてくる。なんていうか、大きな木の人形を動かしているような、そんな音だ。

「匠、あれ」

 健の指差した方向に目を向けると、百二十センチメートルほどの人体模型がゆっくりとこちらに歩いてきていた。

「嘘だろ」

 耕平は驚愕に目を見開き声を震わせる。だが、三人はそれ以上の出来事を目にして無言で立ち尽くした。

 関節の硬い人体模型はバランス移動によって、かろうじて動いているような状態で慌てて逃げ出す必要のないほどにのんびりとした動きをしている。

 とはいえ三人が呆けているのは、そのせいではなく──

「落としてるよ」

「落としてるね」

 半分に開かれた体からは、歩く度に内臓がポトポトと落ちて最終的には、ガシャーン! とバランスの崩れた内臓が重力により一気に床に散らばった。

 ここで人体模型が動かなくなる。どうやら、内臓が全て落ちた事で気分的に動けなくなったらしい。

 初めの恐怖はなんだったのかと耕平は顔をしかめる。

「はいはい。じっとして」

 匠は木で出来た内臓を拾い上げて人体模型に詰め込んだ。けれども、押し込めても動けばまた落ちるの繰り返しでらちがあかない。

「いっそのことロープ巻き付ける?」

 手伝っていた健が飽きてぶーたれた。

「もっといい方法がある」

 匠はそう言って耕平に目を向ける。

「なに? なんだ?」

「体を貸してやってくれないか」

「ああ、なるほど」

「なるほどじゃないよ! なんで僕が!?」

「大丈夫」

 匠は笑みを浮かべて耕平の背中をぽんと押した。

「へ?」

 人体模型と目が合ったその瞬間、人体模型がカクンと肩を落とし、耕平の頭がガクリと垂れる。

「およ?」

 健が小首をかしげて耕平の顔を覗き込んだそのとき、覇気のない瞳を輝かせてすっと頭をもたげた。

「憑かれた?」

「見事に憑依されたね」

 彼は霊媒体質だと思っていたんだ。匠は口の端を吊り上げて嬉しそうにつぶやいた。

 眺めていると、耕平に取り憑いた霊は何やら準備を始めている。

「なんだろ? 何かの実験かな?」

 過酸化水素水オキシドールと二酸化マンガン、それに使用する実験道具を机に並べていく。

「どうやら、酸素を造り出す実験のようだね」

「それって、中学の“おさらい”でやる実験じゃん」

「この男の子は、入学して実験前に転校したらしい」

 実験が出来ずにずっと心残りだった。

「──それって、死んでないの?」

「うん。死んでないよ」

 目の前にいるのはいわば、生き霊というやつだ。

 死んでもいないのに七不思議に組み込まれた異例の待遇である。人体模型に憑いていた事が要因ではあるけれども、それは致し方ない。

「転入先で出来なかったの?」

「その頃には実験は終っていたんだろう」

「これって、そんなに残念がるような実験なのかな」

 生き霊を残すほどのものとは思えないんだけど……。健は目の焦点の合わないながら実験を進めている耕平を見つめた。

「早く元の体に戻してあげないとね。生き霊を飛ばしたままのこの子は、いつも疲れているはずだから」

 今、この子が何歳なのかは解らないけどと付け加える。

 そうして二人は実験の様子をじっと見守った。

「あ。酸素が出てきた?」

 水の中に小さな泡が浮いてくる。

「成功したね」

 匠の言葉に突然、耕平の膝がガクンと折れた。健がそれを支え、匠は実験道具を片付けていく。

「え? これで終わり?」

「うん、終わり」

 なんだ。あっけないなあ。

 ていうか、ほぼこの学園とは関係ないやつだ。耕平の言うように、高い確率が続いている。

「ハ!? 僕は一体?」

 我に返った耕平が飛び起きる。

「おかえり。つぎ行くよ~」

 状況がわからない耕平は、薄い意識のまま理科実験室をあとにした。

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