10
「行け!!」
「お嬢さま!!」
猟銃を構えたハイネが、低い声を轟かせる。
部屋へ転がり込んだベルナルドは、距離感の掴めない手でミュゼットの腕を引き、ハイネの横を駆け抜けて階下を目指した。
「……ぁぁあああッああアアア!!! どいつもこいつもおおおぉぉお!!!」
男が怒声を張り上げる。
秩序を無視した魔術が階段を切り落とし、粉塵を巻き上げた。
飛び移るには距離が離れており、落ちれば一階まで転落してしまう。
……ここまで来て。少年は歯噛みした。
「しつけぇ野郎だな。……モテねぇぞ」
「うるさい!! うるさいうるさいるさいうるさイッ!! その子を返せ!!!」
「てめぇのじゃねぇよ」
低く吐き捨て、ハイネは引き金を引いた。
銃声が空気を裂き、窓の向こうの青空を震撼させる。
いずれも銃痕は男を外し、頭を掻き毟った配達員は無秩序に魔術を展開した。
「祝福を!! 祝福をッ! しゅくふッおれのだ! おれのなんだって!! だってそういってた!!! 見るなみるなみるなあぁあああああッ!!!」
複数の足音が階下を鳴らす。
怒号が隔絶された空間に現実感を呼び、ベルナルドはうっかり肩の力を抜いた。
「お前ら殺しただろ!? 全部あたまつぶした!! なんでいるんだよ!? 見るなみるなあ! なあっそこにいるんだって!! みるなよぉお」
「ベルッ!!」
「ッ、逃げろ!!」
半狂乱に叫ぶ男は、手すりから身を乗り出し、ベルナルドの前へ降り立った。
すかさず少年の手首を濡れた手で掴み、踵へ体重をかける。
「きみがおれに、『だいじょうぶ?』っていったんだ」
「——ッ!?」
切り立った段差から、突然の浮遊感に全身が包まれる。
階上から転落した男は、ベルナルドを道連れにし、階下へ身を投げ出した。
喉が割れんばかりの悲鳴がミュゼットから上がる。
駆けつけた騎士団員らは息をのみ、少女は床に膝をつき、必死に腕を伸ばした。
だぷんっ! ふたりの落下した先から、気泡が上がる。
歪んだ空間はばしゃんと水音を立て、咳き込む音とともに辺り一面を浸水させた。
「……ベル、俺、できた。……水の魔術、もう使えねーって、思ってたのに……」
震える声で伸ばした腕を下ろしたクラウスは、泣きそうな顔をぐっと堪えながら、ベルナルドの元へ駆け寄った。
脱いだ上着を彼の背にかけ、咳き込む背中をやさしく撫でる。
同様に仰向けに転がり咽せる男を、騎士団員が拘束した。
「クラウス様……っ」
ほっと息をついたミュゼットの胸を、光の柱が貫く。
でたらめに生えるそれは誰かの首を、腹を、背中を透過し、隙間を埋めるように乱立していた。
「あはははははははは!!! 祝福を祝福を祝福を祝福を! あなたに祝福を!!」
拘束された男は哄笑を上げる。
ベルナルドは弾かれたように顔を上げ、その色を蒼白にさせた。
階上から猟銃を構えたハイネは、しかし走る光によって銃身を落とされ舌打ちした。
焼き切れるような痛みにミュゼットの身体は痙攣し、騎士らの多くも同様にのたうち回る。
「何だよ……ッ、往生際が悪いにもほどがあんだろ……!?」
光に触れないよう、懸命に避けるクラウスが悪態をつく。
規則性を失ったそれは突如彼の真横を焼き、薙ぎ払わんばかりに秩序を切り裂く。
咄嗟に水で作った壁へ、光が差し込まれた。
屈折したそれを見て、ベルナルドはハッとする。
「クラウス様! 光を反射させてください!!」
「そこまでの耐久力ねーわ!! やるけども!!」
凝固した水面は鏡のように周囲を映し、照射された光を反射した。
同時に水鏡は崩壊し、一瞬の反射光が直進する。
発生源である男を貫いたそれは、かひゅっと濁った音を響かせ、衝撃により全ての光が断たれた。
距離感の掴めない目で駆けるベルナルドが、男の懐へ飛び込む。
「がっ」
男諸共床を転がり、仰向けに転倒する。
呻いた男は、震える手でベルナルドの肩を掴み、血の気の引いた顔で微笑んだ。
「……ねえ、……人、刺したの、は……はじめて?」
身を起こしたベルナルドの下には、男の腹から生えるナイフの柄があった。
深々と突き刺さったそれは、男に浅い呼吸をさせ、けれどもどこか恍惚とした笑みを浮かべさせる。
「ころ、したい、と、……思ったの、……はじめて?」
「いいえ」
ぴしゃりと言い放った少年は、伸ばされた手を払い落として立ち上がった。
かたく両手を握り、決して泣くまいと顔を歪めて叫ぶ。
「人を刺したのも、殺したいと心から思ったのも、あなたではなくウサギ男がはじめてです! 今回はお嬢さまの護衛として職務を全うした、僕の私情の一切絡んでいない、ただの業務です!!」
取り押さえられた男は目を瞠り、形相とともに色を変えた。
「二度と忘れられないようにしてやる!! 寝ても覚めてもおれにうなされろ!! お前はおれから一生逃げられねぇんだよぉお!!!」
身をよじって暴れる男の拘束は厳重で、二度の失態は許されない。
暴れ回る男は重症であり、担架が持ち出された。
遠のく罵声が聞こえなくなり、ようやくへたりと少年は膝をついた。
周囲は階上に囚われたふたりを救出するため騒がしく、嗚咽を殺して涙を流すベルナルドの背を、屈んだクラウスがそっとあやした。
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