03

「お前はこの世界をどう思う?」

「……使用人の僕には、過ぎる問いです」

「つまらんな。俺は楽しませろと言ったはずだ」


 ため息混じりに呟いた陛下が、ふたつ、みっつ、硝子玉を天秤の3番目の皿へ乗せて行く。

 複雑に絡み合った天秤はすっかりその順位を変え、3番目と4番目の皿の位置を反転させていた。


「お前は天秤を見たことがあるか?」


 不連続な問いかけは答えをくれない。

 取り留めない話題に混乱は増すばかりだ。首を横に振る。


「誰がこの世界を天秤だと決めたのか。何故この世は3番目だと断言出来るのか。本当はとっくに、下位へ落ちているやも知れんのにな?」


 陛下が硝子玉を増やす。天秤が沈む。

 きしきし、金具が軋む音が耳に障った。


「俺はお前が邪魔だ。だから手許に置いてやる」

「……は?」


 頭上から落とされた冴え冴えとした眼光に、単音しか口に出来ない。

 あまりの衝撃に停止した脳は、次々と降ってくる言葉の読解を拒否していた。


「何度も機会を与えた。しかしあれは寸でのところで人のままでいる。リヒトのなるべき姿は、傀儡だ。……コードもしぶといな。俺はお前たちが邪魔で仕方がない」

「何故……」

「花壇の手入れと同じだ。異種は景観を損ねる」


 沈み切った天秤が、3番目の皿を5番目の位置とを入れ替える。


 そんな、どうして? 僕はただ、お嬢さまをお守りして、みんなに苦しい思いをしてもらいたくなかっただけなのに。

 ただ平和に、毎日を享受できればと願っただけなのに。

 異種だと、邪魔だと、君臨者から突きつけられている。……なんで。


 僕が、余計なことを、したから?


「ッ、コード家のみなさまと、リヒト殿下を、お助けください……」


 掴まれた腕をそのままに、必死に頭を下げた。

 このままだと、旦那様もリヒト殿下も排除されてしまう。

 それはいやだ。何としてでも阻止しなければ!


 喉奥でくつりと笑う声が頭上で響く。

 僕の視界は、絨毯に埋もれるつま先に固定されていて、表情を窺うことができない。

 ただ、自分が消される恐怖よりも、周りの大切を消される恐怖の方が勝っていた。


「俺を癒せ。ソフィアを治せ。これが出来れば、コードには手を出さないでおこう」

「そんなッ!」

「あとはあれの解放か。……ならばクロエの子を探せ。ここへ連れてこい」

「っ、クロ、エ……?」

「ここに勤めていたメイドだ。セドリックとそう変わらぬ年の子がいるはずだ」

「ッ!!」


 陛下の要求に、びくりと肩が震える。

「ああ、」吐息混じりの微かな音を聞いた。

 恐る恐る顔を持ち上げる。

 愉悦に緩んだ目許は、三日月形を描いていた。

 陛下が厳かに唇を開く。


「心当たりがあるのか」

「……っ、あ、ありません。存じ上げません!」

「ここへ連れてこい。いいな? そうすればリヒトを解放してやろう」


 一層強く腕を握られ、目を合わされ念を押される。

 ぞっとするほど、底の見えない目だった。


 呆然とする僕から手を離した陛下が、扉の前にいる人を呼ぶ。

 へたり込みそうな身体をどうやって動かしたのか、よく覚えていない。

 重厚な扉の閉まる音を背に、瞬きも忘れて先ほどの応酬を反芻した。


 気がついたらリヒト殿下のお部屋の前まで案内されていて、状況を理解するのに、しばらくの時間を有した。




 *


「殿下、失礼します」

「ベル!」


 扉を開いた瞬間に、僕へと抱き着いたリヒト殿下が、ベストのポケットに四つ折の小さな紙を滑り込ませる。

 たたらを踏みそうな踵を懸命に耐えて、はたと気がついた。


「殿下、点滴外れたんですね!」

「うん! やっと!」


 これまでベッドと点滴に繋がれていたリヒト殿下が、ご自身の脚で歩かれている。よかった!

 にこにこと微笑んでいたリヒト殿下が、僕の顔を見詰め、表情を曇らせた。


「ベル、顔色悪いよ? どうしたの?」

「……いえ」


 瞬時に索敵を行い、天井の人と、廊下の見張りの位置と人数を把握する。

 特に天井の人から遠退くように、さりげなく足先をソファへ向けた。

 殿下が僕の行動に従う。


「……ごめんなさい。まだ、整理がついていないんです」

「……そっか」


 殿下をソファへご案内して、アイボリーの色をしたブランケットを手に取る。

 事前に坊っちゃんとお嬢さまからお預かりしていたお手紙を忍ばせて、彼の膝へとかけた。

 やわり、蒼の瞳が緩められる。


「ありがとう」

「殿下こそ、お顔色が優れません。眠れていますか?」


 覗き込んだ彼の目許には、隈ができていた。

 やつれているように見えるし、髪にも艶がない。

 リヒト殿下は困ったように笑みを浮かべた。


「うん……、あんまり」

「少し、お休みください。時間になったら起こしますので」


 リヒト殿下は、王城で暗殺未遂に遭っている。

 食器は銀製に変わり、お水しか飲まれなくなった。

 彼は警戒している。このまま王城に居続ければ、リヒト殿下が衰弱する方が早いだろう。


 現に、寝所に誰かいる。

 敵か味方か以前に、趣味が悪い。

 こんなもの、神経が磨耗するに決まっている。

 何としてでも助け出したい。でも、どうすればいいのだろう……?


 不意に、先ほどの背筋の凍る応酬を思い出してしまった。

 落ち込んだこちらに気付いたのか、殿下が僕の腕を引く。

 腰を屈めた僕に、彼がいたずらを思いついたときのような笑みを見せた。


「ベル、ここに座って! ひざまくらしてよ!」

「ええっ。趣味じゃないです。絶対寝心地悪いですよ」

「趣味とかの問題なんだ……。ほら、主人からのお願い! ベルも寝てくれていいから」

「寝ませんよ。そんな怠慢なことしません」

「とにかく座ってよー!」


 ぐいぐいと腕を引っ張られ、渋々殿下の隣に腰を落ち着ける。

 すぐさま、こてんと頭を倒した殿下に膝を乗っ取られたので、ブランケットの位置を調整した。

 えへへ、無邪気な笑い声が聞こえる。


「……そんなに楽しいですか? 僕個人としては、こういうのは女の子にやってもらってこそだと思うんですけど」

「ベルの中にも、男女差の認識ってあったんだね? てっきりないものだとばかり」

「どういう意味でしょうか!?」

「いやその、ベルって忠犬が過ぎるから、女性の影がなさすぎて……」


 いっそ妖精さんなのかなーと。ブランケットを引き上げながら、もごもご呟いた殿下の、おでこを無言でぐりぐりする。

 失礼な。確かにお嬢さまと坊っちゃんを第一に考え、任務に忠実にあるように、足枷となるような結婚願望も恋愛感情も捨て置いているけれど。

 人から指摘されると、ちょっともやっとする。


「ごめん、ごめんって、ベル!」

「さっさと寝ましょうか、殿下」

「ベルが雑だよ~!!」


 えーん! 僕のお腹側へ身体を倒した殿下に、捲れたブランケットを整える。

 前屈みになった際、微かな囁き声を耳が拾った。


「今の立場がもどかしいよ。きみを慰めることもできない」

「リヒト殿下……?」

「……ごめんね。……脚、しびれたら、起こしていいからね」


 最後はへらりと笑い、リヒト殿下が瞼を閉じる。

 よっぽど不眠を拗らせていたのか、しばらくの後には、吐息は寝息へと変わっていた。


 彼の髪を梳きながら、ぼやりと壁を見詰める。

 うっかり視界の端に赤いぬいぐるみが映ってしまい、咄嗟に視線を逸らせた。

 ……ゆっくり、息を吐く。


 国王陛下から出された、リヒト殿下の解放の条件。

 『クロエ』という女性の子……恐らくノアさんの引渡しだ。

 そして旦那様を、コード家を排除させない条件が、陛下ご自身と、王妃殿下であるソフィア様を癒すこと。


 ……無茶だ。

 結局僕の願いは叶えられていない。

 無理難題を要求され、身動きを封じられている。

 何でそんなことを……?


 視点をリヒト殿下まで戻し、ぼんやりしたまま右手で髪を梳く。

 身動ぎすらしない彼は、くうくう寝息を立てていた。


 ……リヒト殿下は、どこまでご存知なのだろう?

 彼は現状の都合から、迂闊な話をすることができない。……彼の意見を聞きたい。


 はたと、陛下の交換条件の中に、僕自身の解放が明言されていないことに気がついた。

 泣きそうなくらい、心細い思いを抱く。

 せめてリヒト殿下をお救いして、それからお嬢さまをお守りするまでは、陛下の命に従いたくない。

 今年の冬の景色も、来年の春の景色も、お嬢さまにお届けしたい。

 まだお傍にいたい。


 理不尽だ。不満を訴える胸中を塞いだ。

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