04

 あらあら、ミュゼットはため息をついた。

 人の行き交う廊下の先に、フロラスタ家の令嬢ローゼリアがいる。

 数人の取り巻きとたむろする彼女は、ミュゼットの姿を見つけた途端に大仰なため息をついた。


「嫌ですわ。どこぞの貧乏貴族がこちらを睨んでいますの」

「まあ、ローゼリア様、お可哀相」


 扇子越しにひそひそとかわされる声は、内緒話とするにはよく響いた。

 通り過ぎる生徒が怪訝そうな顔をし、またある者は好奇に満ちた顔をする。

 動線を塞ぐそれは、良くも悪くも視線を集めた。


 ミュゼットの後ろに控えていたアーリアが元からない表情を消し、隣にいたリサ・ノルヴァが泣きそうな顔をする。

 背後から放たれる殺意の波動を感じながら、ミュゼットは内心ため息をついた。


 どうして彼女の侍従は、こうも戦意が高いのだろう?

 ミュゼットが愛で倒しているベルナルドですら、薄らとした笑顔を貼りつけて、瞳孔を開いているときがある。

 勿論、よーいどん! でナイフを抜ける体勢でだ。


 そこまで戦闘意識をみなぎらせなくとも、何故こうも喧嘩腰なのだろう?

 ……喧嘩と呼ぶには、次の瞬間には血飛沫が一面を汚しそうではあるが。


 ——わたくしがしっかりしなくちゃ。

 どんなことがあっても、わたくしが止めなくちゃ!

 彼女は自身を奮い立たせた。


 それにしても、とミュゼットはローゼリアを見遣る。

 わざわざご苦労なことですこと。


 ローゼリアはミュゼットを『貧乏貴族』と罵るが、ミュゼットはコード公爵家の愛娘だ。

 公爵家が貧乏であれば、下位貴族の立場はどうなるのだろう。


 確かにコード卿は倹約家であり、ミュゼット自身も贅沢を好まない。

 きらびやかなドレスにも、美しい宝石にも、彼女は興味を持っていなかった。


 ベルナルドはミュゼットがどのようなドレスを纏っていても賛美の言葉を贈るが、仰々しいドレスを前にすると萎縮してしまう。

 従者として職務を松任する姿が、ミュゼットには物足りなかった。

 それよりも、気軽な格好をしているときの方が、ベルナルドは親しげによく笑う。


 彼の好む菓子類を取り寄せても、従者だからとベルナルドは食べようとしない。

 アルバートがいれば分け合って食べるが、それまでだ。

 けれども、ミュゼットが自ずからクッキーを焼いてみせれば、ベルナルドは非常に喜ぶ。

「防腐処理を施して、未来永劫劣化しないよう大切に保管いたします」と嬉々として告げられたときには、さすがのミュゼットも頭痛を覚えた。

「そんなことしなくても、また作るわ。だから全部食べてちょうだい!」

そう言われたベルナルドは、渋々ながらも言いつけ通り全て食べた。

 おいしいです、と笑いながら食べた。


 宝石よりも、ありふれた花の方が、ベルナルドは喜ぶ。

 特に領地で見かける花には、一等の興味を示す。


 高級な食材をふんだんに使った料理より、素朴な食事を彼は好む。

 ただ話がしたい。一番近くで、声を聞きたい。


 ベルナルドが喜ぶ点を繋いでいけば、自然とミュゼットの生活は贅沢から遠退いた。

 彼女が何かしていれば、すぐにベルナルドが気付き、傍へ寄ってくる。

 ほんのちょっとの不便が、ふたりで過ごす時間をくれる。

「お嬢さま、何かお手伝いすることはありませんか?」

 柔らかな声音で尋ねる彼の笑顔が、ミュゼットにはなにものにも変えがたかった。


 だからこそ、そんな彼との時間を、これ以上邪魔しないでほしい。

 お願いだから、諦めて。

 ミュゼットの思いは、そこに集約されていた。


「全く、何故あの女がAクラスなのかしら? 制度を見直すべきですわ」


 やれやれとため息をついたローゼリアが、蔑む顔を扇子で隠す。

 ユーリット学園の実技クラスは、魔術の能力によって組み分けされる。

 しかし、ミュゼットのような安息型は希少性が高いため、自動的にAクラスへと振り分けされていた。

 ローゼリアはそれが気に入らない。

 彼女はミュゼットの何もかもが気に入らなかった。


 舞台役者のように腕を広げたローゼリアが、扇子をぱちんと鳴らした。

 視線が集う中、朗々とした声音で、彼女が口角をつり上げる。


「聞きまして? あの女、かの対立戦の最中に、ひとり安全なところへ避難していたのですって」

「ッ、ローゼリア様!!」

「あら、図星ですの? 無様に取り乱して、実に滑稽ですこと」


 鼻で笑うローゼリアに、ミュゼットが青褪める。

 ざわざわと野次馬が囁き合った。


 ――対立戦の内容には、緘口令が敷かれている。

 世間は学園の生徒が主軸となって戦ったことを知らない。

 何故ローゼリアは秘匿すべき内容を知り、言い触れているのだろう?


 彼女はフロラスタ公爵家の人間だ。

 数多の貴族が集うこの学園で、軽率に王命に背いたことが、ミュゼットには信じられなかった。

 声も出せないミュゼットをどう解釈したのか、ローゼリアが満足気に笑みを深める。

 弱者を甚振る愉悦の顔。彼女の声が益々大きく遠くへ伸びる。


「わたくし、対立戦参加者の方に直接伺いましたの。みんなが恐ろしい思いをされている中、ミュゼット・コードはのうのうと、死地へ下りることなく、勇猛果敢な戦士たちを見殺しにしたのですって」

「何を仰っておりますの、ローゼリア様……」

「あら、見苦しい。冷血女が何を慌てておりますの? ご自身の所業でしょう?」


 周囲がざわめく。

——対立戦って、学生からも選定されて、パレードが、騎士が行ったんじゃ、なんてことだ。様々な憶測が広がる。


 ますます狼狽するミュゼットに気を良くし、ローゼリアが嗜虐的な笑みを浮かべた。仰々しく腕が広げられる。


「みなさまにも、よぉく聞いていただきませんと! ミュゼット・コードは窮地へ落ちた際、仲の良いお友達も従者も簡単に見捨てる、血も涙もない女なのだと!」

「ミュゼットちゃんはそんな子じゃありません!! フロラスタ様、ご自重ください!!」

「まあっ、伯爵家風情が、わたくしに盾突きますの? あなたこそ自重なさい。対立戦にも加わっていないくせ、何を知った風な口を利きますの? 口を慎みなさい。万年Cクラスの出来損ないが!」

「ッ!!」


 震えるノルヴァが叫ぶも、冷ややかに切り捨てられ、取り巻きが冷笑する。

 頬を真っ赤に染めたノルヴァは涙目だったが、それでもローゼリアを睨んでいた。

 金の巻き毛を払ったローゼリアが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「何ですの? その反抗的な態度。あなたの故郷をなくしてあげてもよくってよ」

「……これ以上、ミュゼットちゃんをいじめないでください」

「誰が口答えしろと言いましたの。……わかったわ。ノルヴァ領なんて田舎で地味な土地、興味ないのだけど……」

「お姉さま、お下がりください」


 青褪めるノルヴァを片手で制し、ミュゼットが前へ出る。

 その顔は、普段通りの微笑だった。


「ローゼリア様、場所を変えましょう。立ち話ではみなさまのお邪魔になりますわ」

「まあま、聞かれては困る話でもございますの? 隠れてこそこそ、本当陰険な女ですこと」

「時間は有限にございます。その陰険な女に付き纏われる時間を減らすためですわ」

「何ですって?」

「……自分ら、なにしてますん」

「アーネストさん……」


 彼女等へ声をかけたのは、対立戦参加者でもあるアーネストだった。

 対立戦で投げ捨てた眼鏡を新調させた彼が、半眼で彼女等を見下ろす。


「演説会開くんでしたら、ここじゃない方がいいですよ。めっちゃ道混んでます」

「ご、ごめんなさい。すぐに退きますわ」

「アーネスト! 丁度よかったわ!」


 喜色の声を上げたローゼリアがアーネストを呼ぶ。

 彼と彼女、そしてノルヴァは3年生と、同じ学年に属していた。

 嫌そうな顔をするアーネストへ、ローゼリアが語りかける。


「あなたも対立戦参加者でしたわよね? でしたら、ミュゼット・コードが如何に冷血で悪逆無道であったかを証明してくださいませんこと!」

「……なにゆうてますん」


 ますます顔をしかめたアーネストが、ミュゼットを見下ろす。

 両手で顔を覆っている彼女は絶望していた。


 人の口に戸は立てられない。

 何とかしてこの話を事実無根だと表明しなければ、最悪家に問題を運ぶこととなる。

 それも、これだけの貴族の子息子女に聞かれたとあっては、意識の払拭も口止めも難しいだろう。

 ミュゼットは必死に頭を回していた。


 その間も懇切丁寧に、嫌味を上塗りして、ローゼリアがアーネストへ先程の話を披露している。

 どんどん渋面になっていく彼の顔に、ミュゼットは焦っていた。


「さあっ、あなたの口からも聞かせてちょうだい! ミュゼット・コードは仲間を見捨て、ひとりのうのうと生き残ったのだと!」


 ローゼリアの語る中だけですら、既に話が誇張され、暴走している。

 これでは、生存者がミュゼットただひとりだと言っているようなものだ。

 悪女とされた彼女が頭を抱える。

 肯定すれば王命に背き、否定しても聞き入れてもらえない。

 ミュゼットは窮地に立たされていた。


 アーネストが口を開く。さっぱりとした声だった。


「……そんなん、俺ら生徒、みんなそうですけど?」

「は?」

「いや、は? だってそうですやん。なんで騎士団の人らがおって、俺らが前出て戦わなあかんのです?」


 アーネストの言葉に、ある種異様な空気に包まれていた廊下がぴたりと止まった。

 唖然、口を開けて停止するローゼリアが、ぎこちない動作でアーネストを指差す。

 黒髪の彼は眼鏡を押しやり、至極普通の、不思議そうな顔をしていた。


「な、何を言っていますの? け、怪我人は? あれほど怪我人がいたでしょう!!」

「そりゃあ戦地ですよ。怪我のひとつふたつしますって」

「ほら見なさい! その女のどこに怪我がありますの!? やっぱり恐れを成して逃げたんですわ!!」

「俺も無傷ですし、他にも怪我しとらん人、ようさんいますけど……」


 困った様子でアーネストがミュゼットを見遣り、肩を竦める。


 ミュゼットは愕然としていた。

 あの混戦の中、負傷していない人間など、小ホールにいた者たちしかいない。

 ミュゼットを庇おうとしているアーネストに、彼女は小さく息を呑んだ。


「大体、フロラスタ様に話したっていう、その参加者の人、誰なんです?」


 独特の発音で、アーネストが首を傾げる。

 ひくり、ローゼリアの口許が引きつった。


「誰でもよろしいのではなくて!?」

「そーです? じゃあ、この話終わりましょうか」

「ま、待ちなさい!!」


 立ち去ろうとした彼を、ローゼリアが引き留める。

 彼女を見下ろした眼鏡の向こうは、冷めた温度をしていた。


「そんなに気になるんでしたら、教官とかギルベルト様とか、他の人たちにも聞いたらどうです? みんな同じことゆうと思いますけど。

 ま、そんなん言い出したら、身体張った騎士さんら、かわいそうですけどね」


 今度こそローゼリアの横を抜け、アーネストが人垣を越える。

 各々顔を見合わせた野次馬たちもぱらぱらとその場を立ち去り、密やかな声で囁き合っていた。

 残されたローゼリアが、苛立ちのままに地団駄を踏む。


「不敬! 不敬ですわ!! あの男の言葉遣いも、そこの女の態度も、不敬よ!! 全員路頭に迷わせてやるわ!!」


 彼女の扇子が両手で握られ、しなを作る。

 ばきりっ、折れたそれを引き千切り、ローゼリアが怒声を上げた。


「お嬢様、参りましょう」

「……ええ」


 アーリアの囁きに促され、ミュゼットが憐れむ顔を伏せる。

 震えるノルヴァとともに、彼女たちも散らばる人混みに消えた。

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