02

 ※残酷描写注意



 両手にナイフを持ったベルナルドが、身軽な動作で敵を切りつける。

 次々と湧き上がる影の間をすり抜け、彼のナイフは的確に視認している形状の急所を切り裂いていた。


「ベル! こっちだ!!」

「クラウス様!」


 聞こえた声に視界を巡らせ、ベルナルドがクラウスの姿を確認する。

 剣を片手に手を振る彼の近くには、第一班の面々が揃っていた。

 リヒトが駆け出し、新たに生まれた敵を切り伏せる。


 クラウスが辺りに氷柱つららを降らし、敵を一掃した。

 鋭利な切先に貫かれた敵が、びくりびくりとのたうつ。

 術師が顔を背けた。


「ベル、大丈夫!? 怪我してない!?」

「まだ開始早々です。大丈夫です、大丈夫です……!」


 心配そうにベルナルドの様子を確認するリヒトに、複雑そうな顔が検分を受ける。

 これから90分かあー。ベルナルドの顔はそう物語っていた。


「星屑の設置は?」

「終わりました。……何だか、入った当初よりも、空気が濁ってますよね?」

「だよなあ? 俺、暗雲立ち込める城に見えるわ」

「あそこはいつでも暗雲立ち込めてるよー?」

「王城っつーのも大変なんだな」


 合流した面々が意見をかわす。

 周囲を見回したクラウスとリヒトの目には、王城の景色が映っているらしい。


 ギルベルトへの通信を終えたアルバートが、具合悪そうな顔で口を開いた。


「全員の認識を共有しておく。順に景色と対立が何に見えているか、挙げていけ」

「坊っちゃん、お顔色が……っ。大丈夫ですか……?」


 おろおろと困惑するベルナルドに、アルバートがため息をつく。

 短く息をついた彼が、小声で早口に呟いた。


「スープの女。引き取られた先の家。スープと洗剤と吐瀉物のにおい」

「お労しい!!」

「無茶すんなよ、アルバート……」


 ナイフを下げたベルナルドが、ひしと主人へ腕を回す。

 従者の服に染みついた、気に入りのレモンバームのにおいに、僅かながらアルバートの具合が回復した。


 口を開いたついでに、クラウスが手を挙げる。

 普段の爽やかさを半減させた表情で、ため息がつかれた。


「城。幼少期のお前ら」

「ショタコンか」

「ちっげーわ」


 げんなりとした顔で、クラウスが茶々を一蹴する。

 辺りを注視していたエンドウが、早口で告げた。


「俺は自分とこの田舎だ。お袋さんと俺を襲った野郎に見えるぜ」

「だ、大丈夫ですか、それ!?」

「おう。ボコボコにしてやるよ」


 好戦的な笑顔を見せるエンドウが、再び辺りに注意を配る。

 他の彼等に比べれば、一番身軽な装備である、黒のグローブを鳴らした。


「僕は領地の景色に見えます。敵は……マネキン? 人形です。何か腕とか足りない」

「ベル、大丈夫? どうしてそう闇深いものを見てるの?」

「え。ですけど、多分誰よりも攻撃に対する罪悪感は薄いですよ。特に幼児」

「抉ってくるなー」


 ベルナルドの視覚情報と追撃に、クラウスが真っ暗な天井を見上げる。

 これまで一切会話に入ってこないノエルへ、ベルナルドが声をかけた。


「ノエル様はどうですか?」

「……家と、母親です」

「あ、闇が深い」


 俯くノエルの顔色は悪かった。

 剣を持つ手は小刻みに震えており、平常心から遠く見える。


 エンドウが彼の背中を景気良く叩いた。

 びくりっ、ノエルの身体が跳ねる。


「大丈夫だ! ここはお前さんの家じゃねえ。まやかしだ」

「……わかっています」

「ノエル様、具合が悪くなったら、坊っちゃんを連れて補給ポイントにお入りくださいね」

「……はい」


 湧き上がる影に身体をびくつかせたノエルが、即座にそれの胸を刺す。

 ますます彼の震えがひどくなった。


 悠長にしていられない時間に、リヒトが口を開く。

 シャツの第一釦を外した彼が、首の後ろに手を回した。


「ベル、後ろ向いて」


 訝しげに従ったベルナルドの首に、金古美のチェーンが通される。

 アンティーク調の赤い石のペンダントを留められ、ベルナルドが不審そうな顔をした。

 クラウスが口許を引きつらせる。


「えっ、殿下、それ」

「城。ベルに見える。間違えて本物を討ちたくない」

「闇が深い!!」

「星屑作ってる時間もないし、それ持ってて。なくしちゃだめだよ?」


 優しげな顔でリヒトが微笑むが、ベルナルドの顔色は悪い。

 徐にペンダントを裏返しにした彼が、余計に顔色をなくした。


「天使のレリーフじゃないですか、やだー!!」

「うん。うちの紋章」

「おおう……、王子の兄ちゃん、気前いいな……」

「リヒト殿下の王位継承権に関わるな、それ」

「やだーッ!!」


 涙目のベルナルドに構うことなく、彼の服の下へペンダントを滑り込ませたリヒトが、にっこりと微笑む。

 剣を取り、軽快な仕草で右手を払った。

 一列に並んだ術式が白光を放つ。大胆な一掃だった。


「じゃあ、またあとでね!」

「殿下! あんまりです!!」


 明るく笑ったリヒトが手を振り、軽やかに駆け出す。

 最早泣いているベルナルドは、今にも倒れそうだった。

 エンドウが彼の肩を組み、クラウスが黒髪を撫でる。

 よしよし、励ました彼等も散開することにした。




 *


 時間が経つに従い、エリーゼが一掃した敵が再起するのか、無尽蔵に沸き上がる影にギルベルトは辟易していた。

 誰かが上げた悲鳴に耳を傾け、懐中時計の文字盤を見詰める。


「なあ、ユージーン。法則があると思うか?」


 呟いたギルベルトが、彼を背に武器を振る黒髪の人物を見上げる。

 はたと瞬いた琥珀色の瞳は、その人物が彼の従者でないことを認知した。

 ユージーンの髪は長く、一纏めにされているが、彼の髪は襟足で揃えられている。


 決まり悪そうに片手で顔を覆い、ギルベルトが爪先で床を数度蹴った。

 彼を囲うように、割れた地面が鋭利な岩を突き出す。

 バディの彼が短い悲鳴を上げた。


「……床が損傷しない。焦げあとくらいはつくか?」

「ギルベルト様!? 体力温存してくださいって言いましたよね!」

「すまんな、ユー……アーネスト」


 振り返った黒髪の彼は、ユージーンのように眼鏡をかけていた。

 三年生であるアーネストは、大人しそうな見た目をしており、ギルベルトの無意識は勝手に彼の名前を書き換えている。


 自身が倒錯し出したことを悟ったギルベルトは、首を竦めて嘆息した。


 不意に耳許で聞こえた友人の声に、指揮官が耳に手を添える。

 方々に飛ばした石の小鳥を指先で旋廻させながら、彼が口を開いた。


「どうした? アルバート」

『敵の量はどうだ』

「多いな。今ユージー、……アーネストが押さえてくれている」

『大丈夫か、お前』

「名前を間違えるだけだ。お前こそ、声が疲れ切っているぞ?」

『……同じ箇所に停留すると、敵に捕捉されるようだ。動き回っている彼等に比べ、僕たちの方が敵に襲撃されている』

「なるほどな。なあ、床に焦げあとはつくか?」

『いや、……ノエルにやらせる』

「頼むぞ。ベルナルドかクラウスを呼んで、すぐにその場を離れろ。ユージーン! 動くぞ!」


 振り返ったアーネストが複雑そうな顔をする。


 通信を切ったギルベルトが、再度大地の牙を生やした。

 引き千切られた影が掻き消える。


「長く留まると、敵が沸くそうだ。とりあえずは動き回るぞ!」

「……わかりました」


 薙刀に近しい形状の槍を引き、アーネストがギルベルトの周りを警戒する。

 石の小鳥で周囲に得た情報を伝えた指揮官へ、彼が疑問を向けた。


「ギルベルト様は、対立が何に見えますか?」

「お前は何だ?」

「……いじめられっこだったんで」


 表情を暗くしたアーネストが、眼鏡のブリッジを押し上げる。

 溢れてきた敵に一瞬肩を跳ねさせた年上の彼が、歯を食いしばって槍を突き刺した。

 蒼白な顔をしている。


「そうは見えないな。迷いなく潰している」

「そりゃあ、あなたを守れなんて言われたら、死に物狂いで守ります、よ!」

「ははっ、ありがとな」


 薙いだ影が掻き消える。


 ギルベルトが後ろを振り返り、床を蹴った。

 細く鋭い岩が、迫る影を貫く。

 並ぶそれらが、ずるると自重で傷口を深めた。


「ギルベルト様! 温存!!」

「わかってるって! はー……、ユージーンはまず死にそうな顔をする。怒りっぽいこっちはアーネスト。よし」

「怒りっぽいって、何ですか!?」

「うわぁ、聞かれてたか!」


 食ってかかるアーネストに、ギルベルトが即座に両手を上げる。

 降参を示す彼が話題を逸らすように、前方を指差した。

 揺らめく影が立ち上がる。


「確かに歩いている方が、敵が少ないな!」

「お願いですから、温存していてください。あなたに倒れられたら、俺たちが困ります……」

「わりぃ」


 アーネストが突き出した槍が、一体、二体、影を潰す。

 三体目に柄を掴まれ、彼が両脚に力を込めた。


 手首を返して遠心力をかけ、拘束が外れた瞬間に長物を回し、石突で影を殴る。

 よろめいたそれに刃が食い込んだ。


「……はっ、」

「アーネスト!!」


 息をつく彼を後輩が呼ぶ。

 切羽詰ったそれに即座に身を引くも、彼の身体に影が衝突した。

 短い悲鳴を上げたアーネストが、影を蹴り飛ばす。

 彼の肩には裂傷が生まれていた。

 何処か鈍い動きで槍が振られる。


 アーネストの周りに、火の粉が舞った。


「触んな、つったろーが! ええ加減にせぇや!!」


 破裂した緋色が影の足許から噴き出し、飛散する。

 唖然とするギルベルトの手首を掴み、アーネストが走り出した。


「はよ走ってください! 敵の行動パターン、変わりました!」

「お、おう。……お前、随分人が変わるんだな?」

「訛り馬鹿にされとるんです! 言わんでください!!」


 ずれる眼鏡を苛立たしげに投げ捨て、眉間に皺を寄せたアーネストが烈火を舞わせる。

 彼の剣呑な顔は、視界の不良からだったが、鬼気迫る彼の様子にギルベルトは怯んだ。


 何故彼がいじめられっことして成立しているのだろう?

 ギルベルトの中で、小さなミステリーが生まれた。




 *


「コードくん!? 大丈夫ですか!?」


 痙攣する胃と、ひりつく喉が苦しさを訴える。

 もう吐くものなんて残っていないのに、記憶にこびりついた臭気が立ち込めて、また吐き気を催す。


 ……食欲がわかず、食べなかったことが幸いしたのだろう。

 手の甲で口許を拭う。


 ひっ、ノエルが短い悲鳴を上げた。

 彼の目はうろうろと辺りをさ迷い、恐怖に引きつった顔をしている。

 その後ろに、スープの女の姿を見た。

 ロッドの柄を固く握る。


「ノエル! 屈め!!」


 咄嗟に屈んだノエルの頭上、女の側頭部目掛けて、横薙ぎにロッドを振る。

 頭蓋が割れる感覚と、肉を潰した手応えが、またしても吐き気を誘った。

 ぐっと喉奥で耐え、場所を変えようとノエルを促す。


 彼の目は虚空をさ迷っていた。

 へたり込んだ姿は、正気とは思えない。


「……はんせいしつ、はんせい、はんせい、しつ」

「ノエル!!」


 はっと肩を跳ねさせたノエルが、慌てて立ち上がる。

 忙しなく左右に振られる顔に、彼の視界には一本道しか映っていないのかと推測した。

 僕の手首を掴んだ彼が、突如走り出す。


「コードくん、みず、せんぱいが、てーぶるに、」

「ノエルッ、落ち着け」

「てがみ、てがみが、てがみがとどいて」


 彼が僕の手を離して、両手で剣の柄を握った。

 普段の演習時の様子からかけ離れた、粗雑な太刀筋。


 僕の目には、スープの女が密集しているように見える。

 狭くて薄暗い部屋に、みちみちと。


 対立戦が始まって、どれだけ時間が経っただろう?

 何体倒しただろう?

 何度吐いただろう?

 ノエルは、いつから怪我をしていたのだろう?


 散漫になった注意力が、僕の足を引っ張った。思わず体勢が崩れる。


 動かない右足に視線を落とせば、スープの女が床に寝そべってこちらを見ていた。

 三日月形に細められた目と、吊り上がった口の端。

 振り乱した髪には、どろりとしたスープが絡んでいた。

 僕の足首を掴んだ彼女が、ぐっと上体を起こしてこちらを覗き込む。


『寒いでしょう? お腹空いたでしょう? スープを作ってきたの』


 次の瞬間、頭に衝撃が走った。

 ぐらりとぶれた視界に代わり、聴覚が音を拾う。


『何てお行儀の悪い子かしら。流石は雌豚の子ね』

「うるさいッ」


 吐き気が込み上げてきた。

 ロッドを持つ手が震える。

 固定された足首を捻られた。

 瞬間的に走った鋭い痛みに、喉が悲鳴を上げる。


 頬を叩かれた。記憶に残っている限り、暴行はたくさん受けてきた。

 脇腹に爪先が食い込む。

 背中を踏まれて、無理矢理吐かされた。

 その度に叩かれて蹴られた。


「コードくん!」


 スープよりも更に熱い温度が肌を撫で、嘲笑が中途半端に途切れた。

 蹲る僕を無理矢理立たせたのはノエルで、彼の怪我はまた増えていた。


 何処をどう走ったのか、覚えていない。

 意識が鮮明になったとき、義姉の制御する壁の中にいるのだと悟った。


「コードくん、水、飲めますか?」

「……ああ」


 ノエルから差し出されたボトルを受け取り、口をゆすぐ。

 正直何も口にしたくなかったが、ひどく体力を消耗していた。


 膝を抱えた彼が、身体を小さく縮める。

 小刻みに震える彼の手には、懐中時計が握られていた。


「最悪です。30分すら経っていません」

「……傷、手当ては」

「こんな小さいのに構っていたら、あっという間に底をつきます。それよりコードくん、足、どうするんです」


 ぶっきら棒な指摘に、右足首を確認する。

 掴まれたままの形で皮膚が変色しており、動かす度に鋭い痛みを感じた。


「火傷と捻挫のようだ」

「水、冷やしてください。体調悪くなったら困ります」

「……わかった」


 ノエルの素っ気ない口調に、黙々と従う。

 彼は断った手当てを、僕は優先的に受けなければならない。


 感傷的になるそれを振り払い、自身の不始末を総括に伝えた。

 今まで何処にいたのか、飛び出してきた小鳥がぴいと鳴く。


「……コードくん、先輩が来ました」


 防護壁に張り付いていたスープの女たちが、氷柱によって撃ち抜かれる。

 小刀を鞘に収めたベルナルドが、慌てた様子で僕の前に屈んだ。

 敵を一掃したクラウスが、壁の外で周囲を警戒している。


「坊っちゃん、ノエル様、お加減は!?」

「……右足」

「お労しい!!」


 悲鳴を上げたベルナルドが、適当な僕の手当てを的確なものへと仕上げる。

 彼等の得た、エンドウ周辺の報告事項を聞きながら治療を受けたが、途中痛みのあまり聞けていなかった。恨むぞ。


 膝に顔を伏せたまま微動だにしないノエルに、ベルナルドが近付いた。

 嫌がる様を物ともせず、手当てが行われる。

 不貞腐れたノエルが、ガーゼと絆創膏を貼った顔を背けた。


「ベル、敵の数が増えてきた。場所を変えるぞ!」

「わかりました。坊っちゃん、歩けそうですか? お供しましょうか?」

「必要ない。何か不具合があれば、連絡する」

「畏まりました。では僕たちは、リヒト殿下のご様子を確認してきます」


 恭しく頭を下げたベルナルドが、予備のナイフを空のホルスターに揃えて、クラウスを呼ぶ。

 背の高い彼が、周囲に氷柱を降らせた。

 ベルナルドがナイフを手に飛び出し、スープの女の首を掻き切る。


「また後ほどご連絡に上がります! ご武運を!」

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