05
「お帰り、ベル。今日は遅かったね」
「ただいま戻りました。すみません、……説明すると長くなる出来事がありまして」
「うん?」
学生寮の最上階。
リヒト殿下のお部屋に入り、学園の制服のまま頭を下げる。
柔和な笑みを浮かべる殿下が、不思議そうに小首を傾げた。
この頃再び執務室へ篭られている彼は、何やら色々と書類をさばいている。
授業へは出たり出なかったりと不規則で、途中でお戻りになられることが度々ある。
……乙女ゲームのメイン攻略キャラなのに、こんなに学園に不在でいいのだろうか?
首を捻るも、そういう仕様なのか、よく思い出せない。
「ベル?」
「あっ、すみません。お茶をお淹れします」
「ありがとう。その前に着替えておいで」
「失礼致します」
一礼して、執務室を後にする。
お借りしている部屋の明かりを灯し、夜に沈んだ空気を払拭させた。
鞄を置き、ジャケットを脱ぐ。
窓に映った自分の姿に、街明かりがちらつく外を一望した。
……やっぱりあの赤いの、見えない。
ネクタイを外して手早く着替えを済ませ、お茶の準備に向かった。
「ふふっ、そんなことがあったんだ」
「そうなんです! リズリット様、見た目は優男なのに、何処にあの筋力が眠っているんでしょう?」
「不思議だね」
左手に茶器を携え、リヒト殿下がくすくす笑われる。
彼は、左利きを右利きに矯正したタイプの人らしい。
ペンやハサミ、カトラリーなどは、右を主軸に使っている。
けれども剣などは、本来の利き腕で使っているらしい。
聞けば、「ハサミとか右用のものって、左じゃ使えないから」らしい。
試しに左手でハサミを使ってみたけど、驚くほど切れなかった。
殿下に武器屋さんでのお話をする。
楽しそうな彼は相槌を打ってくれ、にこにこと今日あったことを聞いてくれた。
「あと、エンドウさんって、本当に女性なのでしょうか……?」
「うーん、リズリットはそうだって言ってたし、本人も否定してなかったよね」
「とても男性らしい……といいますか、男前な方ですよね……」
常々思ってしまう、噂の編入生の性別の謎。
うっかりすると、同性ではないかと思ってしまうほど、エンドウさんは男らしい。
むしろ男の人より男らしいんじゃないだろうか?
「そうだね。ぼくこの前、エンドウに『綺麗な手が汚れるぜ』って落ちた消しゴム取ってもらったよ」
「何て気障な……」
「席が隣だからね。色々気にかけてくれるよ。あとこうやって、髪を掬われて……」
屈まされた僕の髪に、そっとリヒト殿下の小指が通る。
はたと硬直するこちらへ優しく微笑みかけ、彼が唇を開いた。
「『ついてたぜ』って」
「殿下がたぶらかされてるー!!」
「面白いよね、エンドウって。まだあるよ」
両手で顔を覆った僕に、殿下がけらけら笑う。
こ、これは、ある意味リヒト殿下が攻略されている……?
僕が知ってる乙女ゲームとは、趣旨が180度違うみたいだけど、殿下が攻略されている……!?
「前にちょっと肌寒かった日があるでしょ? あのときにくしゃみしちゃってね。エンドウってば、自分のジャケット脱いで、ぼくの肩にかけてくれたの」
「そのようなことが……!」
「悪いと思って返そうとしたんだけど、『俺の面子守ると思って、手助けしてくれねぇか?』だって。あの子女の子にもてるだろうねー」
しみじみと呟いた殿下が、茶器に口をつける。
ソーサーを鳴らしたそれを見送りながら、着々と攻略されている彼に戦慄した。
これは、リヒトルートに入っているのかな……?
「でも、ベルもエンドウと仲良いよね?」
「そ、そうでしょうか……?」
「彼……っていっちゃった……。エンドウ、よく『従者の兄ちゃん』って話してるよ」
ついに殿下の口からも『彼』呼称が飛び出した。
ますます噂の編入生が謎の存在へと近付く。
けれども、僕、そこまでエンドウさんに話題提供した覚えは……あ。
「……隣を歩く機会があると、肩とか腰とか支えられます」
「ああ、うん。ぽやっとしてるところが、田舎のお母さんを思い出して放っておけないんだって」
「そうだったんですか!?」
初耳なんですけど!?
驚く僕を見上げ、殿下が楽しそうに笑う。
そ、そんな。じゃあこれまでの、何だかちょっと困ったなあといったときに助けてくれたエンドウさんは、然るべき意思を持って助けてくれたということなのかな!?
わ、わあ!? 今度お礼の菓子折りお渡しします!!
じゃあ、あの『危なっかしいな』とか。
『余所見しなさんな。前向きな』とか。
手を引かれて、『繋いでな。はぐれたら厄介だぜ』とか……。
これらの何が問題って、いつもエンドウさんが右に立って、僕のことエスコートしているところだよね!!
エンドウさん、立ち位置逆!
僕、従者! エスコートする側!!
思い出したら恥ずかしくなってきた!!
あ、あれ? 待てよ……?
まさか僕、攻略されてる……?
「ベル?」
「あっ、い、いえ! エンドウさんに、何かお礼をしなければと思いまして!」
「律儀だね。なにが喜ばれるだろうね? 前に、『焼き鳥食いたい』って言ってたけど」
「おじさんくさい……」
両手で顔を覆って、めそめそする。
何故だろう、おすきな食べものなんてお聞きしたことないのに、「辛子明太子」って答えられそうで既につらい。
今度しっかりお尋ねしよう。
甘いもの苦手なタイプのにおいがするし……。
愉快気に笑ったリヒト殿下が、書類を捲られる。
……そろそろ控えよう。思った以上にお時間を頂戴してしまった。
殿下のお仕事の邪魔をしてはいけない。
はたとヒルトンさんのお話を思い出し、心臓が大きく脈打つ。
星祭りまでに緊急で会議を開かなければならないほど、『対立戦』が迫っている。
……殿下がこうして書類に追われているのも、対立関係なのかな?
いつから殿下は執務室に篭られていたっけ。
結構頻繁に入ってるから、転機みたいなのがわかりにくい……。
あと、ゲームといえば。
……坊っちゃんの武器は、ゲーム画面でどんなのだったっけ?
「――ベル?」
「あ、は、はい!」
「考えごと?」
こちらを振り仰いだリヒト殿下が、柔らかな表情で尋ねる。
――彼は君の嘘を許さないよ。ヒルトンさんの声が脳裏で再生された。
はたと一度口を閉じ、言葉を選ぶ。
「……お仕事中、ご相談ばかりで申し訳ございません」
「いいよ。どうしたの?」
「……旦那様が急遽王都へお越しとのことで、殿下のお仕事は、それ関係なのでしょうか?」
秒針の跳ねる音が耳につく。
普通に考えれば不敬にも当たる切り出し方だが、他に良い言い回しが思い浮かばなかった。
小さく吐息を漏らしたリヒト殿下が、そのまま微かに笑う。
優雅に口許に手を当てた彼が、重厚な椅子の背凭れに身を預けた。
「うん。正解。ミスターに聞いたの?」
「っ、はい」
「星祭りの辺りで、対立が来るんだ。もう少し猶予があると思っていたんだけど、観測台が進行を伝えたから、もっと早まるかもしれない」
「そんな……っ」
リヒト殿下からもたらされた情報に動揺する。
――それじゃあ、実技に真剣の使用許可が下りたことも、対立に備えてのこと?
そんな、ゲームではもう少し後の出来事じゃなかったっけ?
わからない。けれども結末は、全て収穫祭で揃えられている。
「ぼくと、きみと、ミュゼットは確定しているよ」
「お嬢さまもですか!?」
「うん。特にミュゼットは、守りに特化しているから」
「そんなっ、ですけど! お嬢さまは……ッ」
「ベル」
こちらを向いた殿下に手を握られ、言い募ろうとした口を閉じる。
現実問題として差し迫った今、何よりも危険からお嬢さまを遠ざけたかった。
……旦那様は、何とお考えだろう?
あの子煩悩な旦那様だ。
今年、ようやく坊っちゃんを抱き締めることに成功したあの方から、大切なふたりと奪うことになってしまう。
「……っ殿下、僕は人員として、確定しているんですよね?」
対立調書を読んだ。
書籍の中には痛ましい話がたくさん並び、これを行わなければならないのかと苦汁に思った。
殿下の碧眼を見詰める。
一歩後ろへ脚を下げて、深く頭を下げた。
「貢献します。ですからどうか、お嬢さまと坊っちゃんは、この戦いに加えないでください」
どうにかして、おふたりをこの戦いから遠ざけたかった。
対立戦に加わらなければ、お心を磨耗されることもない。
それが叶うならば、いくらでも懇願するし、何だってする。
僕の身ひとつでお守り出来るのなら、むしろ安いくらいだ。
「……ごめんね、ベル」
「っ、」
「ベルは怪我を治すことも、壁を作ることも出来ないでしょう?」
「ですがッ、」
「攻撃魔術が使えるわけでもない。腕力があるわけでも、持久力があるわけでもない。……どうやって貢献するの?」
淡々とした指摘に、言葉を飲み込む。
つくづく自分の有用性の低さに苛立ちが募った。
固く手を握り締める。
「……では何故、役に立たない僕の参加を、確定させているのでしょうか?」
「きみがいるだけでね、ミュゼットにアルバート、リズリットにクラウス、そしてぼく。Aクラスの内、五人が参加に傾向するからだよ」
「……ッ」
「本当、いやになるよ。きみの位置づけは、人質のそれだよ。目をつけられる前になんとかすればよかった。昨年の収穫祭が悔やまれるよ」
彼が手にした書類が、音を立てて机上へ手放される。
こちらを向いたリヒト殿下が、僕の頬に手を添えた。
「ごめんね、ベル。きみのお願いごと、叶えてあげられない」
「でんか、」
「せめてきみのこと守るよ。たくさん戦うから」
「ちがっ、ちがいます、守るのは、僕じゃない! お嬢さまと坊っちゃんで、」
「だからきみは、怪我ひとつしないで、大人しくしていて」
「リヒト殿下っ、聞いてください! お守りするのは、僕の役目です! 殿下は、王子殿下で」
「うん、聞いてるよ」
柔らかく微笑んだ殿下が、添えた手をゆっくりと滑らせる。
いつもの彼の顔で、いつもの声音なのに、どうして話が通じないんだろう?
いつもの笑顔で、「お話はおしまい。お茶が飲みたいな」彼の指示が下りた。
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