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恋心をまるめたもの

「しあわせのハンカチって、知ってますか?」


 食堂というより、カフェと称した方が適切な建物で、お嬢さま方がお昼ごはんを取られている。


 大きな窓から差し込む陽光は暖かで、高い天井は明るく開放感があった。

 いくつもの食器の触れ合う音と、談笑、靴音が響く。


 お嬢さまの向かいに座られたノルヴァ様は、小声で辺りを窺い、先ほどの問い掛けをされた。


 小首を傾げるお嬢さまと同様に、同席されているリヒト殿下、クラウス様、リズリット様も不思議そうに瞬いている。

 フォークを置いたお嬢さまが、石榴色の目を瞬かせながらお声を発せられた。


「いえ、存じ上げません」

「何といいますか、こっそり流行ってる恋愛成就のおまじないなんです」

「女の子って、そういうのすきそうだね」


 話に加わったリヒト殿下に、過剰に肩を跳ねさせたノルヴァ様が、「ふえあああああ」というお顔をする。


 ……お気持ちはわかります。

 リヒト殿下って、殿下ですもんね。

 本当は名前も呼んではいけない、高貴なお方ですもんね。

 わかります。


 リヒト殿下、すっごくフレンドリーだもんなあ……。

 あんまりにも気安過ぎて、度々ご職業を忘れてしまうんだよなあ……。


 挫けずに激しく頷かれたノルヴァ様が、続きをお話される。

 スプーンを置いた彼女が、ごそごそとハンカチを取り出した。


「これはただのハンカチなんですけど、おまじないの手順がありまして。

 まず、白いハンカチを用意します。

 次に、赤い糸ですきな人の名前を刺繍します。

 出来たら、四つ折にしたハンカチを口に当てて、すきな人の名前を三回唱えます。

 赤い花を浮かべた水にハンカチを浸したら、奥から掬い上げて、月明かりの下に置きます。

 翌日から肌身離さず持っていれば、意中の相手と両思いになれる。というものです」


「はー……。何ていうか……、その手間を相手に直接ぶつけた方が、早い気がするな……」

「クラウスって、そういうところが無神経だよね」

「お前の図太さには敵わねーけどな」


 ノルヴァ様の手順説明に、クラウス様とリズリット様が小突き合う。


 途中の、『水に浸して~』からが、洗濯陰干しに思えたのは、僕だけだろうか?

 おまじないって、不思議ですね。


 広げたハンカチを畳んだノルヴァ様が、はたと身を乗り出される。


「大事なことを忘れてました! このおまじないは、決して他人に見られてはいけないんです! お守りのハンカチもですよ!」

「二人部屋の人、難易度高そうだね」

「一晩乗り切ればいいので、お泊りに行ってもらえれば……。それでですね!」


 聞き役へ回られていたお嬢さまへにんまり顔を向け、ノルヴァ様がこそこそと小声で囁く。

 きょとりと石榴色を瞬かせたお嬢さまが、お口に手を添えられた。


「……ご期待に添えなくて、申し訳ございません、お姉さま」

「くうーっ! ミュゼたんの博愛主義者めー!!」

「わたくし、それよりも、身の安全のお守り……でしょうか。そちらの方が魅力的に思えます」

「慈母力高いね!?」


 ……何となく、内容を察することが出来る。

 二人の会話に、取り残された面々がゆるーい微笑みを浮かべた。


 お嬢さまが、控えている僕とアーリアさんの方を向かれる。


「ベルもアーリアも、無茶ばかりしますもの……。わたくし、寿命が縮んでしまいますわ」

「あー、それわかる。ベルの生傷えげつないし、アーリアも女の子なんだから、顔に傷作っちゃダメだよ?」

「この程度、取るに足らないものです!」

「今後このような失態は犯しません」


 リヒト殿下の援護に、先日の実技訓練で右足に裂傷を作った僕と、自主参加で実技訓練を受けたアーリアさんが、左頬にガーゼを貼り付け抗議の声を上げる。


 この実技訓練とは、魔術の実技訓練のことだ。


 教官の言葉を借りるなら、魔術は『攻撃型』と『安息型』にわかれる。

 どちらの型も、それぞれの特性を理解し制御するために、実技訓練は欠かせない。


 現に僕たちが入学してから一年経っていない現在で、魔術を暴発させている生徒が、4人いる。


 魔術の素であるエーテルは、常に循環し、体内を巡っている。

 術師はエーテルの影響を特に受けやすく、欠乏すると、貧血に似た症状を起こす。

 本能的な危機感が、無意識にエーテルを溜め込もうとする。


 だけど、ものには容量がある。

 蓄え切れなくなったエーテル……コップの水を一気にひっくり返す現象が、魔術の暴発だ。


 ……人為的な暴発も、勿論ある。


 自身の制御可能な範囲を超えて魔術を行使したとき、当然術は暴走する。

 教官が嫌がっているのは、主にこちらの暴発だ。


 防衛されている学内であれば、多少の暴発は防ぐことが出来る。


 しかしこれが学外であれば……。

 一般的な市街地、住宅街であれば、暴発は脅威だ。

 いつ爆発するかわからない爆弾を、自制させるために実技訓練はある。


 さて、その実技訓練。

 領地の私兵の訓練とは違い、素人同士の訓練だ。


 当然的を外し、負傷することがある。

 流石に現在所属するAクラスでは、流れ弾はないけれど、うっかり手許が狂うことはよくあることだ。


 上級生になるほど慣れがあるが、特に下級生は怪我に対する免疫が低い。

 保健室で家名を叫んで怒っている生徒を、何度となく見てきた。


 大体の生徒が、貴族の御子息御息女だ。

 怪我に弱いことも、家名に訴えることも、何となくそうだろうなと想像がつく。


「日頃の鍛錬不足です。あのような鈍らに当たるなど、不覚と捉えております」

「アーリアさんのプライドって、雲に届きそうですよね」

「今ここで、あなたを雲の上へ送り届けてあげましょうか?」

「ごめんなさい……っ」


 くすん、アーリアさんの脅迫に震える。

 静かに肩を落としたお嬢さまの隣で、リヒト殿下が苦笑いを浮かべた。


 じっとり、お嬢さまが半眼になられる。

 ぼそりと呟かれた言葉は「女子制服……」で、僕は一瞬で無口になった。


 お嬢さま、その技はずるいです……!!


「なに? 女子制服?」

「ベルが余りにも無茶ばかりするので、10歳の頃に取り付けた約束です。次、無茶をしたら、一週間女子制服で過ごしてもらうと」

「ごほっ! うえっほ!!」

「お姉さま!? 大丈夫ですか!?」


 突然咳き込まれたノルヴァ様に、お嬢さまが慌てられる。

 おつきのメイドさんが背中を撫でるも、彼女の目は何処か遠くを向いていた。

 片手を上げて制したご令嬢が、テーブルナプキンで口許を隠される。


「……だ、大丈夫です……っ、リゾットが暴走した、だけ……」

「お姉さま、ご無理されませんように……」

「ノルヴァさん、今絶対ベルくんのメイド服姿を想像して噎せたでしょ」

「なななななにをっ、そんなベルにゃ……ルドさんでそんな不埒な……ッ」

「メイド服は不埒だった?」


 何だろう、僕も遠くを見詰めたくなってきた……。

 この約束事、いい加減時効にしてもらいたい。


 お嬢さま、そんなにも条約をくっきりとお覚えだったんですね?

 お忘れになられていいんですよ?


 にっこり、清らかな微笑みを浮かべたリヒト殿下が、フォークをくるくる動かすお嬢さまへ話しかけた。


「それで、ベルは女子制服着たことあるの?」

「いいえ、ありません。なので、これが一番あの子にとって効き目のある手段なのだと考えました」

「なるほど、そういうことになるんですね!!」


 お嬢さまってば、策略家……!!

 確かにお嬢さまに発覚したときの女子制服が恐ろし過ぎて、今まで大人しくしてたもんなあ……!

 そりゃあ継続されるよなあ……!!


 天井を見上げて目許を覆う。

 隣のアーリアさんの憐れむ視線が痛い。

 にこにこ! リヒト殿下が微笑んだ。


「いっそ着たらいいのに」

「嫌ですよ。断固として着ません」

「大丈夫だよ、アーリアだって着てるんだから」

「アーリアさんは、僕がちっさい頃からこの制服です!」

「……お話もよろしいですが、お食事を召し上がられてください」

「そ、そうだったわね!」


 見れば、食器を下げる使用人が目立つ。


 慌てて食事を再開される皆さまに混じって、悠々と食べ終わられたクラウス様が、トレイを持って席を立った。

 あ、クラウス様、いつの間に!


「お下げします」

「このぐらいへーきだって。それよりベル、いつ飯取るんだ? 使用人に当てられてる時間って、授業中だろ?」

「それは……何か適当な時間に」

「……そんなんだから、伸び悩むんだぞ」


 去り際に頭をわしわし撫でられ、奪えなかったトレイを片手に、クラウス様が返却口を目指される。


 ……伸び、……伸びてますもん!

 一応これでも伸びてますもん!!


「ベルくん、ちゃんとごはん食べないとだめだよ?」

「近年、食事を抜いた記憶はありません。僕は三食しっかり食べる派です。あっ、リズリット様、持って行きます!」

「いいよー。それよりベルくん、お昼買ってきたら?」

「自分のごはんより、目の前のお仕事……」


 くるっと振り返ったリズリット様が、お嬢さまを呼んだ。


「ミュゼット審判! これは無茶に含まれますか!?」

「三回目にバツを出します」

「ベル、ぼくのトレイ残しとくから、ぱっと買ってきて、ぱっと戻っておいで?」

「……すんっ」


 めっ! と指先を交差させてバツ印を作られたお嬢さまと、甘やかしてくれるリヒト殿下に、しょぼくれた犬の気持ちで購買へ向かう。


 くすんくすんサンドイッチを購入する僕の後ろから、顔を出したリズリット様が、別の種類のサンドイッチを注文された。

 二つ分の金銭を支払った彼に、まさかと顔を見上げる。


「いつも頑張ってるベルくんに、奢り」

「そんな……ッ、リズリット様、どちらでそのような小粋な技を……!?」


 ふふんと口角を持ち上げたリズリット様が、軽やかに片目を閉じる。

 持ち帰り用の薄紙に包まれたサンドイッチを受け取り、テーブルへ戻った。


 アーリアさんのご厚意で残してもらったお嬢さまのトレイと、宣言通り置いていてくれたリヒト様のトレイに、優しさで泣きたくなった。

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