02

 学生服に身を包んだお嬢さまが眩しい。

 初々しくはにかんだお顔に、ハーフアップを飾る清楚な白いリボン。

 黒のジャンパースカートは丸く胸元が開かれており、柔らかな白のシャツを覗かせていた。

 コルセットのように金釦を飾るスカートは、背面に蝶が結ばれている。


 正装として用いられる外套はケープを模していて、大き目のリボンが左胸に提げられている。

 留め具には校章を示す薔薇の花が用いられ、首許から覗くループタイは学年を表す瑠璃紺色と、お嬢さまに大変お似合いだった。


 お嬢さま、麗しゅうございます!

 可憐でございます!

 今日という晴れ晴れしい日に、お嬢さまのお姿を拝見出来ることを、一生の誇りといたします!


「お父様とベルが、大体同じ顔をしていることに、わたくしはどう反応したら良いのかしら……」

「あらあら。よく似合っているわ、ミュゼットちゃん」

「ありがとうございます、お母様」


 微苦笑を浮かべたお嬢さまが、奥様へ微笑みかける。


 何故この世界に、ビデオカメラはないのだろう?

 今こそ携帯端末のムービー機能を使うときなのに、世界観が怠慢じゃないかな?


 僕と同じように口許を覆った旦那様が、緩やかに頷く。


「今から画家を呼ぼう」

「お父様、出発が遅れてしまいます」

「お父さんは、今日この瞬間のミュゼットを、今しか見れないんだよ!?」

「……今の発言に哲学を感じたのは、僕だけか?」


 悩ましい表情を作った坊っちゃんが、心持ち離れた位置から旦那様を見守る。


 必死に主張する旦那様は、本来遠征時期でない今月に、火急で王都に見えられた。

 領地では茶摘のシーズンだろう。

 ヨハンさんの苦笑いが見える気がする。


 ユーリット学園入学者である僕とお嬢さま、そして侍女のアーリアさんの三人で、これから学生寮へ向かう。


 お嬢さまの今後のことを思うと気持ちが憂いてしまうが、僕は坊っちゃんのことも心配だ。

 僕自身が元々身元不明の孤児だったのだから、一歳くらい誤魔化しても……と掛け合ったのだけど、先方の答えは不可。


 よって僕はリズリット様を見習って、毎週末ここ別邸へ戻ってくる方針を取ることにした。


 坊っちゃんは呆れ顔だったが、拒否がなかったので採用している。

 見送りに立たれた坊っちゃんへ、笑顔を向けた。


「それではまた、週末にご奉仕させてください」

「……張り切るのは構わんが、無理はするなよ」

「お仕え出来ないことが、僕の最大の無理です」

「ミスター、こいつの育て方、間違ったんじゃないのか?」

「個人差ですかね」


 にっこり、笑ったヒルトンさんが僕の制服を整える。

 着慣れないそれは、普段の制服を恋しくさせるので、早く慣れたい。

 シャツの袖口も結構ぴったりしているので、暗器も仕込み難いし。

 ジャケットは季節によって着用しなくなるため、如何にベストに仕込むかが焦点になる。


 僕の思考回路がわかったのだろう。養父がやれやれと苦笑した。

 徐に小型のナイフを取り出した彼が、僕の手にそれを乗せる。


「持っているといい。私の癖がついてしまっているかも知れないが、扱いやすいよ」

「いいんですか?」

「君の無事と幸運を願っている」


 大きな手が僕の頭を軽く叩き、うっかり頬が熱を持つ。

 ……そういうの、ずるいと思います、ヒルトンさん。

 か細くお礼を告げた。


「旦那様、出発のお時間です」

「明日じゃ駄目かな? パパ泣きそうなんだけど」

「お父様、今生の別れではありませんので……」

「本日が入寮手続きの最終日となっております」

「現実ってつらいなあ……」


 しょんぼりと肩を落とした旦那様に、奥様が寄り添う。

 仲睦まじいご様子は微笑ましい。


 粛々と馬車の扉を開けたアーリアさんがそれを支え、お嬢さまが中へ入られる。

 ヒルトンさんのナイフをなくさないよう手荷物へ入れ、アーリアさんに託した。

 御者台に座る。


「それでは、行ってまいります」

「いってらっしゃい。身体には気をつけるのよ」

「いってきます!」


 お嬢さまが手を振り、蹄が音を立てる。


 アーリアさんいわく、涙ぐんだ旦那様が坊っちゃんへ腕を伸ばすも、素早く坊っちゃんが避けたため、空振りする光景が広がっていたらしい。

 僕も見たかったな!!




 *


 女子寮へ立ち入ることの出来ない僕は、寮についた段階で、お嬢さまとアーリアさんとお別れした。


 心が張り裂けんばかりにつらかった。


 うっかり寮の敷地内にある、厩舎に繋いだ黒馬のグリの元まで戻ってしまった。

 激しい動揺から、番犬らしいコリー犬をもふもふ撫でまくった。


 お嬢さまも坊っちゃんもいらっしゃらない世界で、僕の存在価値ってなんだろう?


 あっ、今絶望感と虚無感がすごい。

 コリー犬から離した手が、ものすごく震えてる。

 もしかしてこれが噂の禁断症状?


 グリ……、グリを撫でよう。

 どうしよう、厩舎から出たくない。

 僕の部屋ここがいい。グリと一緒にいる……。


「……すん」


 諦めて厩舎を出た。

 何度も厩舎を振り返って、男子寮まで辿り着いた。


 内心嗚咽を漏らしそうな心地で管理者さんに入寮を示し、事前に確認した部屋を目指す。

 よろよろと階段を上ろうとしたところで、頭上から靴音が聞こえた。


「ん? ベルか! 奇遇だな!」

「給仕させてください」

「歪みなくベルだなあ……」


 手摺りから身を乗り出していたのはクラウス様で、苦笑を浮かべるお顔はやっぱり爽やかだった。


 正装用の黒のジャケットに留められた、薔薇の金細工が照明を反射する。

 体格の良さもあり、同じ制服を着ているはずなのに、クラウス様の方が格段にかっこよかった。

 黒の革靴が軽快な音を立てて、長身が階段を下りる。


 あれ? クラウス様って、確かゲーム画面では、髪を片側で括っていたはず。

 彼のさっぱりとした短い襟足に瞬いた。

 この一年で伸ばされるのかな?


「……クラウス様、何着てもかっこよくなりますね」

「ありがとよ。ベルもかっこいいぜ?」

「お世辞でも嬉しいです……」


 クラウス様にぽすぽす頭を撫でられ、逸れた意識が再び、……すん、と言わせた。

 僅かに表情を引きつらせたクラウス様が、僕の手から荷物を取ろうとする。


「ほら、ベルの部屋どーこだ?」

「お嬢さまにも坊っちゃんにもお仕え出来ない僕に、そのような大層なもの不要なんです。厩舎でグリと一緒にいる……」

「すみませーん。ベルナルド・オレンジバレーくんの部屋ってどこですか? あ、2階。わかりましたー。ありがとーございまーす!」

「お嬢さまと坊っちゃんのいらっしゃらない空気を吸うのがつらい……生きてることがつらい……無理……何で生きてるんだろう僕……死ななきゃ……」

「あーはいはい。部屋でゆっくり聞いてやるから、まずは歩けあるけ」


 苦笑いを浮かべる管理者のおじさんから回答をもらい、鞄を取ったクラウス様に手を引かれる。

 通り過ぎる寮生が不思議そうにこちらを見遣る中、重たい足取りで階段を上った。


 くすんくすん泣き出す僕をあやす彼は、将来立派なお父さんになると思う。

 ずるずる引き摺られながら、部屋に辿り着いた。


「お嬢さま……っ、坊っちゃん……っ、お役に立てぬことをお許しください……」

「あーよしよし。クラウスさんお茶が飲みたいなー」

「ただいまご用意いたします」


 いただけたご要望に、涙声で仕舞って、あやされていた手から跳ね起きる。

 即座に荷物の中から、お茶セットを引っ張り出した。


 ベッドに座ったクラウス様は苦笑を浮かべていて、はたと羞恥心が込み上げてくる。


 うわあああっ、うっかり我を忘れて人前でめそめそしてしまった! 恥ずかしい……!!

 震える僕へ、片手を振ったクラウス様が笑みを変えた。


「ベルの紅茶はうまいからな。期待して待ってるぜ」

「……ありがとうございます」


 気遣いが優し過ぎて、何でこの人に彼女がいないんだろうと、本気で疑問に思った。


 一礼して部屋を出る。

 使用人の中の取締役……寮長というのだろうか。その方に挨拶した。

 簡単に規約を教えてもらう。


 規約や時間割については、厨房の隅にも掲げられているらしい。

 後で書き漏らしがないか、メモと照らし合わせてみよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る