03
「お前ふざけるなよ! なに50メートル13秒で走りそうな顔して、風になってるんだよ! お前の足何本だよ!?」
「も、申し訳ございません! その、お顔をお上げくださいっ」
「うるっせー!!!」
リズリットによる演習場見学会から戻ってくると、事故が起きていた。
床に丸まり泣き喚く藍色の髪と、その傍らで膝をついて背を撫でるベルナルド。
ティンダーリア家の使用人らしい、気弱そうな少年がおろおろしている。
思ってもみなかった光景に、義姉とリズリットが硬直した。
アーリアは変わらずいつも通りだ。
同行者の義母は、王城に用事があるらしく、ここにはいない。
何故必要なときにいないんだ……。
「ふざけんなよ、目視出来る速さで動けよ! お前ん家どうなってんだよ!? それで最弱とか笑わせんじゃねーよ!」
「あ、あの、すみません。その、どうかタオルでお顔を……、あの、お身体を冷やしてしまいます……」
「じいちゃんばあちゃんの手押し車並みにのほほんとしておいて! ナイフ握った瞬間に瞳孔開くのやめろよ! 泣くだろ、俺が!! お前のギャップで風邪引くわ!!」
「も、申し訳ございません……!」
よく回る舌だな。
唖然とする周囲を置いて、来ていたらしい、苦笑しているリヒト殿下とクラウスの元へ向かう。
ギルベルトは時折噎せているようで、その度にベルナルドが背中を撫でていた。
「……終わったのか?」
「やあ、アルバート。惜しかったね、あと5分早かったら見れたのに」
「5分あのままなのか?」
それはそれで、神妙に思ってしまう。
あとリヒト殿下、何故ベルナルドの上着を持っているんだ?
一国の王子が、何故荷物持ちのような真似をしているのだろう?
謎が多いな、この空間。
「リヒト様、クラウス様、御機嫌よう」
「やあ、ミュゼット、リズリット。アーリアも」
「何か……混沌としてるね」
義姉とリズリットが挨拶し、不在時の状況を尋ねる。
どうやら先方も早目に到着したらしい。そのまま時間前に手合いを始めたそうだ。
……それであの状況か。
タオルを引っ手繰ったギルベルトが、ベルナルドの肩で咽び泣いている。
藍色の髪を撫でてあやす彼の姿に、喧しさに顔をしかめながら近付いた。
「おい」
「あっ、坊っちゃん。……その、やり過ぎてしまったようです」
「見ればわかる」
こちらを見上げたベルナルドが、困ったような顔で微笑む。
緩く擦られる背と、優しく頭を撫でる手。
昔、リズリットにも行っていた宥める仕草に、傷付けられた直後によくやると呆れた。
「喧嘩を売る相手を間違えたな」
「あはは、どうでしょう……。驚かせてしまったようなので……」
「ねえ、ベル。ぼくも手合わせお願いしてもいい?」
「絶ッッッ対に嫌です」
「何で!?」
若干被せ気味に拒否したベルナルドへ、乱入者のリヒト殿下が悲しみに暮れた顔をする。
ぐっ、と唸った辺り、僕の従者は殿下に弱い。
顔を向けると、抱えられていた彼の上着は、リズリットが持っていた。
恐らくギルベルトが使用していたのだろう、石の床に転がる木剣を手に取り、リヒト殿下が残念そうに眉尻を下げる。
「ギルも、ベルがやられてるところを見たら、泣き止むかなーって思ったんだけど」
「報復な感じですか!?」
「……リヒト、やっちまえ」
「あっ、乗り気ですか!?」
「じゃあ、ギルの悲しみを添えて。ベル、ぼくが勝ったら、いっぱい褒めてね!」
「負けた上に褒める僕、重労働じゃないですか!? ちょ、待ってッ」
行くよー! 左手に剣を構えたリヒト殿下が、未だギルベルトを抱えているベルナルド目掛けて助走をつける。
慌てて床に転がる木製のナイフを手にした従者が、僕に被害の出ない方面へ向かって走り出した。
タオルで顔を覆ったギルベルトはすんすん鼻を鳴らしており、あの大泣きが本当に止んだことに驚く。
赤くなった目がタオルから覗いた。
「……お前んとこの従者、本当何なんだよ……」
「知らん。曲芸師にでもなりたいんじゃないのか?」
無邪気に繰り出されるリヒト殿下の攻撃を、ベルナルドが寸でのところで避ける。
わーわー悲鳴を上げているベルナルドは身軽で、けれども素早さで対抗されているのか、殿下を撒けない。
「これ、不敬罪で処されませんか!?」
「大丈夫大丈夫! クラウスだって、よく手合わせしてくれるし!」
「僕とクラウス、様では! 立場がちがいます!」
「いけるいける! 人類皆きょうだい!」
「範囲広ッ!!」
あいつら、仲良いな。
呆然と目の前の追いかけっこを見守る。
ベルナルド、お前、どうやったらそんなに回転出来るんだ?
その三半規管、どういう動きをしているんだ?
あとリヒト殿下、笑いながらおかしな速度で追いかけるな。
純粋な子どもの心に悪影響だ。夢に見るだろう。
横薙ぎの木剣を屈んで避け、ベルナルドが間合いを詰める。
殿下の右肩に両手を置いた彼が、逆立ちの要領で身体を反転させた。
背中側へ下りた彼が払った小型のナイフと、薙いだ反動のまま振り被った殿下の試合道具が、高い音を響かせる。
僕の足許まで転がってきたナイフに、勝敗を悟った。
顔を上げた頃には肩を掴まれたベルナルドは床に転がされ、覗き込むような体勢でリヒト殿下が剣を突き立てている。
ぱっと手を離されたそれが、からころ転がった。
「ベル、勝ったよ! 褒めて褒めて!」
「はっ、はーっ、しんど……! 殿下、えらいですねー……! おつよい、ですねー……!」
「ベルが頑張ってるって聞いたから、負けないように練習してるんだー」
「ほら、いつまでも転がってると冷えるぞー。殿下、退いてやってください」
彼等に近付いたクラウスが腰を屈め、退いた殿下の下からベルナルドを救出する。
肩で息をしている彼は、何処となくぼろっとしていた。
義姉が駆け寄り、ベルナルドの背を手で払っている。
「……わたくしも、男の子だったら良かったのに……」
「ごほッ、ごほ! おじょ、おじょうさま……っ、次の打撃で、ベルナルドは死にます……」
「ご、ごめんなさい、ベル! まだ死んでは駄目!」
平和そうな光景を、体育座りで眺める。
隣でタオルに埋もれていたギルベルトは、すっかり真顔に戻っていた。
「……俺、あれに喧嘩売ったのか……」
「今後は相手を見極めることだな」
「……ああ」
来訪時の喧しさが嘘のように、彼の琥珀色の目は明後日の方を見ていた。
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