手紙 三
変則的な予定を組んでいるけれど、僕だってコード邸にいる間は、コード邸の仕事に従事している。
寧ろ本職だ。
お嬢さまにお仕えしたい。
坊っちゃんの後ろをついて回りたい。
お嬢さまの微笑みだけで、心が浄化される。
毎日物質的にも心理的にも走り回ってるけど、お嬢さまに一声名前を呼んでいただける、それだけで生きていける。
お嬢さま尊い……。
坊っちゃんが僕のこと小突くのは、愛情表現だってわかってるんですからね……!
玄関ホールを通りかかったところで、ノッカーの音が響いた。
辺りに他の使用人はおらず、訪問者を待たせるわけには行かないと、急ぎ扉を開ける。
日々寒さを増す風を招き入れた。
「コードさん、郵便です」
扉の前にいたのは配達員の好青年で、帽子を取って人好きの笑みを浮かべている。
彼はこの地区の担当らしく、顔を合わせる回数が多い。
それこそ、僕が小さいときからお世話になっている。
微笑み、礼をした。
「少し見ない内に、背が伸びて大人っぽくなったね」
「!」
手紙を鞄から引っ張り出しながら、穏やかに笑った配達員さんが、嬉しい評価をくれる。
どうしても周りに背の高いハイネさんやヒルトンさん、リズリット様がいると、比較され、僕は小さく見える。
これでもちゃんと伸びているのに。
ぱっと表情の華やいだ僕へ溢れんばかりの手紙を渡し、配達員さんが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? 風邪? 最近寒いから、気をつけてね」
恐らく僕が何も喋らないからだろう。
いつもは何かしら挨拶するのだけど、今はまだ声が出しにくい。
あともうちょっとな感じがするんだけどなあ……。
曖昧に微笑んで、再び頭を下げる。
にっこり笑みを返した配達員さんが、馬に跨った。
軽く手を振った彼が、緩やかに走り出す。
ホールへ戻り、手紙の山を机に載せた。
滑り落ちるそれらの宛名を仕分け、分配していく。
ふと、裏も表も真白な手紙を見つけた。
「?」
誰宛だろう?
光に透かすも、封筒に包まれた中の紙面は二つ折りで、暗く影を描くのみ。
小首を傾げ、脇に寄せた。
あとでヒルトンさんに尋ねよう。
もしかしたら、配達員さんが間違えて渡したのかも知れないし。
「!」
唐突に思い至った解答。
昔、ウサギ男が現れたあと、ヒルトンさんからなぞなぞを出された。
「ひとつ、なぞなぞを与えよう」彼の声を思い出す。
『ある令嬢がいた。彼女には悩み事があった。
切手のない手紙が届くからだ。
手紙の中身は、彼女への思いを綴ったもの。所謂ラブレターだった。
次第にその書面は苛烈になり、彼女は恐怖した』
『一晩中、家の中から郵便受けを見張った。
しかし手紙は届いた。
次に見張りを立てた。
それでも手紙は届いた。
令嬢は苦しんだ。何処からこの手紙はやってくるのだろう?
……君は、何処だと思うかね?』
再び手にした白紙の手紙。
――切手も消印も、何もない。
なぞなぞの令嬢へ手紙を送り続けたのは、郵便受けへ近付いても怪しまれない人物、配達員だ。
運転手は乗客ではない。カメラマンは被写体にならない。
念頭から忘れ去られ、数に数えにくい存在。
えっ、待って、この手紙が物凄く危険な代物に見えてくる……!
「…………」
「ベルナルド、どうかしたのかね?」
「ふぎゅッ」
背後から低い声に話しかけられ、思考に没頭していた身体が大袈裟なくらい跳ねる。
恥ずかしい! 変な声出た!!
振り返った先にいたのはヒルトンさんで、それはそれは怪訝そうな顔をしていた。
慌ててメモ帳を引っ張り出す。
『あの、手紙が、その、白紙で』
「ふむ」
『ヒルトンさんに、お尋ねしようと……』
「わかった」
手渡した白紙の手紙をしげしげと見下ろし、ヒルトンさんが表へ裏へと返す。
不審そうに検品した彼が、こちらを向いた。
「他に不審物は?」
『まだ仕分け切っていません』
「終わり次第、報告するように」
「!」
片手を上げて立ち去ろうとした彼のジャケットを掴み、引き止める。
不思議そうに振り返った養父へ、今伝えるべきではないだろう解答を飲み込んだ。
手を離し、小さく首を横に振る。
「……では、私は行くよ」
ひとつ僕の頭を撫でたヒルトンさんが、踵を返した。
ぴんと伸ばした背筋と優美な足運びが、ホールを後にする。
等間隔の靴音が遠ざかった。
……声が出せないのは、厄介だ。
一言伝えるのにも、時間がかかってしまう。
早く終わらないかな、変声期。
再開した仕分け。
程なくして分配し終えたそれらに不審物はなく、安堵とともに宛名の元へ届けに向かった。
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