05

※BLくさい



 まさかこうも周到だとは思わなかった。

 心持ち焦りながら廊下を歩く。


 昔は、クラウスがエリーゼの標的にされた。

 けれども当時はクラウスの方が上手だったため、それなりにあっさりと解放されていた。


 エリーには困った癖がある。

 ぼくの周りの人間を取りたがることだ。


 そこにどんな意図や不満があるのかわからないが、最近は大人しかったため油断していた。

 まさかベルに目が向くとは、思ってもみなかった。


 この頃はコード邸へ遊びに行っても、ベルと会えない日が続いている。

 最後に会ったのはいつだろう?

 ミュゼットやアルバートから聞く限り元気にしているようだけど、出来ることなら直接会って話したい。


 クラウスはぼくほど時間を拘束されているわけではないので、ふらっと遊びに行って、ベルと会ったと言っていた。

 彼を真似してコード卿の許可を取り、変則的に予定を変えても、何処から情報を仕入れているのか、徹底的なまでにエリーに妨害される。


 エリーがベルと会った日はわかりやすい。

 ベルが彼女の髪を整えるからだ。

 エリーは自身の髪に触られることを、酷く嫌っている。

 なのにだ。どういう風の吹き回しか、それをベルにだけ許容している。

 ……解せない。


 釈然としない気持ちと、何処か苛ついた気分。

 何故こうも自分の胸中がささくれ立っているのか。

 コード邸で、クラウスの前で、いつも通りの自分を演じられているのか、自信がない。


 立ち止まって懐中時計を引っ張り出し、文字盤が刻んだ時刻を確認する。

 乱雑に閉じたそれを、ポケットに突っ込んだ。


「ねえ、ちょっといいかな?」

「王子殿下!?」


 等間隔に刻まれた靴音が通り過ぎるのに合わせて、身を寄せていた通路から踏み出す。

 振り返ったベルの腕をさり気なく掴んで、使いの者へ話しかける。

 年配の彼は、大袈裟なまでに身を竦ませていた。


 ……そこに疚しいものがあるのではないか、邪推してしまう。

 今のぼくは、とても狭量だ。


「彼のことはぼくが送るよ」

「し、しかし……」

「エリーに頼まれたの? じゃあぼくから伝えとく。持ち場に戻って」

「は、はっ!」


 姿勢を正して敬礼した兵士が、足早に通路を過ぎ去る。


 驚いたようにぼくと彼の後姿を交互に見遣るベルを、笑顔で引き摺った。

 掴まれた腕に合わせてたたらを踏んだ彼が、慌てたようにぼくの服を引く。


 以前から、それこそ幼い頃から、ぼくには小さな特技がある。

 ベルの居場所が、何となくわかるのだ。

 活用法の少ないそれはかくれんぼに有利で、見つける度彼は驚いた顔をしていた。

 今もそうだ。


 手近な部屋を乱雑に開け、勢いの良い歩調のまま同行者を引き摺り込む。

 日暮れが早くなってきたためか、窓から差し込む光は少量だった。

 薄暗い空き部屋の扉を閉め、勢いのままベルの肩を壁に縫い付ける。

 だんっ、痛そうな音がした。


「ごめんね、乱暴しちゃって。痛かったよね?」


 固く閉じられた瞼がゆるゆる開き、青い目が困惑したように何度も瞬く。

 おずおずと、ぼくの手首に指先が添えられた。

 ぼくの手は加減なく彼の肩を圧迫していて、ぎこちない身体からゆっくり加える圧を減らす。


「……エリーになにもされてない? 大丈夫?」


 自分では笑っているつもりだけれど、上手く笑えている自信がない。

 いつもは取り繕える表情筋が引きつって、慣れた形を忘れてしまっている。


 現在進行形で、エリーよりぼくに酷いことをされているだろうに、数度頷いたベルが、引っ張り出した手帳に文字を綴る。


 覗き込んだそこには、『大丈夫です』と、疑心に駆られた胸中を刺激する一言が書かれていた。


「……本当に?」

『リヒト殿下、お加減優れませんか?』

「今、ぼくはベルに聞いてるの」


 思った以上に低くなってしまった声に、掠れた吐息を飲み込んだベルが、空白の唇を動かす。

「申し訳ございません」と読めたそれに、違う、こんなことがしたいんじゃない。

 頭を振ってベルに凭れた。


 胸中に渦巻く空気を、ため息として吐き出す。


「……昔からね、エリー、ぼくの周りの人にちょっかいを出す癖があるんだ」


 緩く背に回された腕が、宥めるように優しく叩き、焦燥感が僅かに削がれる。

 顔を埋めた肩口からした彼のにおいは、いつものにおいに、エリーの香水が混じっていた。

 率直に嫌だと感じる。

 その権限はないのに、洗い流したいと思ってしまう。


「それで離れていった人もいるし、クラウスみたいに残った人もいる。……ベルはどっち?」


 これで前者と言われたら、ぼくはどうするつもりだろう。

 ううん、前者の腹積もりで後者と答えられたとき、ぼくは何を仕出かすだろう。


 書きにくそうに、ぼくの背でベルが筆記の音を立てる。

 薄暗い室内は益々光度を下げ、視界が不明瞭になる。

 こんな中で文字が書けるベルはすごい。


 肩を叩かれ示された紙面に、ずるずる顔を上げた。


『僕はコード家に従属しています。エリーゼ様とは期間限定の契約ですので、殿下を憂いさせるものはございません。

 それよりお久しぶりですね。お嬢さまからこの頃お元気がないとお伺いしていたので、心配していました。顔色も優れませんし、お変わりはありませんか?』


 ああ、ベルだなあと思った。

 同時にこの頁を破いて持ち帰りたいとも思った。

 そっか、ミュゼットたちにもばれてたのか。ダメだなあ。


 ここしばらく強張っていた身体から力が抜ける。

「……うん、」小さく頷いて、ようやく笑えた気がした。


「ありがとう。ベルのおかげで元気出た」

『大袈裟ですよ』

「ううん、本当」


 残念なのは暗い部屋のせいで、ベルの表情が見えにくいことだろうか。

 紙面も読みにくくなり、読解に時間がかかる。


 何かを思いついたのか、手帳とペンを仕舞った彼が、ぼくの手を引いた。

 手のひらを滑った指先がくすぐったい。


『よかった』


 短く簡潔な安堵の言葉に、焦燥感が解け切る。

 胸をしめるあたたかな気持ちに、頬が緩んだ。


「ねえ、エリーの部屋だけじゃなくて、ぼくの部屋にも来てよ」

『また今度』

「いつ? 明日?」

『ヒルトンさんと相談』

「もっと話したいな。3ヶ月? 星祭り、今年は一緒に行けなかったね」


 そっか。星祭りを跨いだから、そのくらい経つのか。

 思わず感慨にふける。

 毎日が慌しいから、時間が過ぎ去るのがはやい。

 この調子だと、あっという間におじいさんになれそう。


 暫し言葉に窮したベルが、迷わせた指先で文字を綴った。


『……わかりました』

「本当? 約束だよ? ぼく、楽しみにしてるからね」


 こくり、頷いた黒髪が、困ったような笑みを見せる。

 ベルの手首を引いて、扉を開けた。

 廊下に灯された明かりが目にしみる。


「遅くなっちゃってごめんね。今日は会えて、本当に良かった」


 微笑むベルは、また少し背が伸びているのかも知れない。

 大体一緒くらいの目線が維持されていることが、じわじわ嬉しさに変換された。


 手首を繋いだまま、外まで案内する。

 室内ほど暗くはない外壁庭園の空気は青く、ベルの瞳の色が冴えて見えた。

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