04

「あなた、何故喋らないの?」


 エリーゼ王女殿下の遊び相手、初日。


 尋ねられた疑問に、メモ帳へ心持ち丁寧に走り書きする。

『声変わりの最中です』簡潔に答えたそれ。

 尋ねたのは王女殿下だというのに、興味なさそうに「そう」あっさりとした返事をもらった。


 遊び相手、話し相手といっても、正直特にすることがない。


 王女殿下は読書に興じられるし、時々お茶の催促があるくらいだ。

 部屋の隅で控えるこの状態は使用人そのもので、何のためにここにいるのかわからなくなる。


 ……使用人のバイト?

 だったら、本職のコード邸に帰りたい。


 それにしても、まさか本当に王女殿下の私室へ案内されるとは、思ってもみなかった。

 もっと別の部屋に通されると思っていた。


 あと何で他の侍女とか従者とかいないのかな?

 偉い人でしょ?

 みんな坊っちゃんみたいに、パーソナルスペースが広い人達ばかりなの?


「……ねえ。お兄様とは、いつも何の話をするの?」


 長針が二周りした頃だろうか、唐突に話しかけられた。

 はたと意識を切り替える。


 リヒト殿下とのお話……?

 思い返すも取り留めないものばかりで、余りに特筆することがなく困惑してしまった。

 普段僕から話を振ることも、立場上そんなにない。

 大体が殿下からの話しかけの応答だ。


 それにリヒト殿下は、お嬢さまとお会いするためにお越しになられているので、そもそも目的が違う。

 その質問を投げかけたいのなら、僕ではなくお嬢さまを捕まえるべきだ。


「……言えない話?」

『いえ、天気や気候、勉学の話です』

「つまんなそう。楽しいの?」


 冷めた目で一蹴され、心が折れそうになる。

 何で僕、こんなところで試されているんだろう?


『楽しいですよ』綴ると、疑惑の目を向けられた。


『僕は一介の使用人に過ぎません。表立ってお客人とお話することはありません』

「ふうん?」


 少々苛立ったような半眼に睨まれ、正直生きた心地がしない。


 これが週二日の一年間続くのかー。

 この条件まで粘ってくださった旦那様には、感謝してもし切れません……。

 嘆息した王女殿下が、本に栞を挟んだ。


「まあいいわ。ねえ、髪を整えて頂戴」

『……侍女の方は?』

「耳障りだったから、外してもらったわ」


 あっさりと告げられた解雇に、こわい。率直に感想を抱く。

 涙目の胸中の僕に構わず、王女殿下は鏡の前へと移動されている。


 ……今日、僕の首と胴体が、物理的にさよならするかも知れない。


「何をしているの? 早くして」

『どのようにされますか?』

「あなたに任せるわ」


 何食べたい? 何でも良い。のやり取りを彷彿させる、けれども通常以上の重責を課せられる魔法の言葉に、胃がキリキリしてくる。


 震える手でブラシを取り、出来るだけ丁寧に白い御髪を梳いた。


 途中引っ掛かりを与える絡まりに、ふと疑問を抱く。

 エリーゼ様、余り御髪を整えられていらっしゃらないのかな?


 そういえば、初めてお会いしたときも、交渉時も、今回も、王女殿下は髪を下ろしたままでいらっしゃる。

 先ほどの話でも侍女はつけていないそうだから、ドレスの着付け以外は、他人の手を借りていないのだろうか?


 わからない。けれどもお尋ねして、不興を買う訳にもいかない。

 細心の注意を払って、長い御髪を梳いた。


「…………」


 さて、髪型か……。

 差し掛かった難関に、胃痛が増した気がした。


 時々ではあるが、僕もお嬢さまの御髪を整えさせてもらえる。

 これはアーリアさんが気が向いたときのサービスだ。

 普段は、更に気が向いたときのアーリアさんが、練習台になってくれている。


 よし、僕の持てる技量全てを注ぎ込んで、エリーゼ王女殿下に似合う髪形を提供しなければ……!


 横髪を残してサイドを編み込み、ハーフアップの形へと持っていく。


 王女殿下、御髪が長くて感覚が掴みにくいです!

 髪を掬う度怒られるんじゃないかと冷や冷やしてます!

 髪型を整えるだけで、心が重傷になっていきます!!


 内心涙目になりながら、最後にバレッタで留めて、ゆるふわを演出する。

 こ、これで如何でしょうか!?

 他所のお嬢さまをお相手したことがないので、非常に心臓が潰れそうです!!


「……次回もよろしくね」


 興味なさそうに「ふーん」と言われたあとの、次回。こ

 れは精神面を鍛えるための修行か何かでしょうか?


 それでは、今後無事に生きて帰るためにも、もっとお嬢さまにお仕えしなくては!

 お嬢さまを最上級可愛いにコーディネート出来るよう、技量を磨かねば!


 ぎこちなく微笑み、頭を垂れる。

 エリーゼ様は再び元のソファへ戻られた。

「お茶」端的に促された指示に、冷めたものを片付け、温かいものを淹れ直す。


 それから閉じた本を開かれた王女殿下の行動により、僕は壁の染みごっこをすることになった。


 長針と短針がさぼっているんじゃないかと疑うくらい、17時が遠かった。


 いつも以上に気を張ったため、帰りの厩舎で思いっ切りグリに寄りかかった。

 グリは嫌がるように、尻尾をぶいぶい振っていた。





 王城から帰ってきたベルナルドは、僕の姿を見るなりぼろぼろ泣き出した。

 思わず半歩引いた身に構わず、両手で掴まれた右手をぶんぶん振られる。


 ……何だこの情緒不安定は。

 こいつ、僕の段階でこれだけ号泣して、義姉に会ったらどうするんだ?


「……どうしたんだ?」


 流石にこの状態で振り払えるほど僕も鬼ではないので、努めて優しく問い掛けた。

 ぐすぐす涙を零すベルナルドが、背負った鞄からノートを引っ張り出す。

 綴られる震えた文字を、目で追った。


『生きて坊っちゃんにお会い出来たこと、心より安堵しております』

「…………」


 どんな目に遭ってきたんだ?


 引きつる胸中に、疑問の嵐が巻き起こる。

 指の背で涙を拭うベルナルドを見詰め、悪い想像を繰り返す脳内を落ち着けた。


「……不興を買ったのか?」


 静かに横に振られる首。


「……嫌なことを言われたのか?」


 これも違う。


「何かされたのか?」


 否定を続けるベルナルドが、紙面に滑らかな文字を筆記する。

 覗き込んだそれに唖然とした。


『何故自分がここへ呼び出されたのか、存在理由を問いたくなるほど何もありませんでした。ただひたすら脇に立ち、行ったことといえば、お茶をお淹れしたことと、御髪を整えたことぐらいです』

「それであの日給か? お前、詐欺に遭ってるんじゃないだろうな?」

「!?」


 再び涙目へと陥った彼を置いて、義父に見せてもらった契約書を思い返す。

 ……話がうま過ぎないか?


 一先ず場所を変えようと歩き出すと、慌てた様子でベルナルドが僕の後ろに続いた。


「今日、リヒト殿下とクラウスがやってきた」

「!」

「お前に会えなくて、残念だと零していた」


 考え込むような仕草をした彼を置き、談話室の扉を開ける。

 義姉とアーリア、リズリットと揃った顔ぶれに、予想通りベルナルドの涙腺が仕事した。


「ベル!? どうしたの? 何か嫌なことをされたの……?」

「生きてこの地を踏めたことに安堵しているらしい」

「どんな目に遭ってきたの!?」


 義姉の手を包むように握り、しゃくり上げるベルナルドに、今後を懸念する。

 慣れるのか? これは今後慣れるのか?

 それとも一年間、これが続くのか?


 おろおろと眉尻を下げた義姉が、黒髪を梳き、宥めるように呼びかける。

 リズリットがそわそわとベルナルドの後ろに回っているが、彼は気付いているのだろうか?

 アーリアが現状に引いた顔をしている。僕も同じ心境だ。


「ベルくん隙あり!!」

「ふぎゅ!?」

「リズリットさん!? 今ベルの喉がっ、2オクターブくらい高い音がっ!!」

「大丈夫だよ、ベルくん。君に泣いてる顔は似合わないよ」


 背後を取られたベルナルドが、懸命に身を捩ってリズリットから逃れようとしている。


 しかしリズリットには、ベルナルドを上回る身長と体力と、服の上からではわからない筋肉がある。

 領地の軍へ入隊希望を出しているらしく、日々鍛えているそうだ。


 ……僕もベルナルドも、日々訓練を欠かしていないが、何故こうも個人差が出るのだろう?

 世の中の長身は、もっと縮めば良い。


 一通り暴れたベルナルドが、諦めたように脱力する。


 ……僕のときもそうだったが、そうやってすぐ妥協するところが、つけ入れられるところなのだと思う。

 諦めるな。代わりに義姉が、困った顔で解放を促しているじゃないか。


「ほら、泣き止んだ」

「代わりに悲壮な顔をしてますわ……!」

「どうしたの? ベルくん」


 ノートを取り落としたベルナルドが、リズリットの手を取り、手のひらに文字を綴る。

 何度か往復させるそれに琴線を刺激されたのか、堪らないとばかりにリズリットがベルナルドを締めた。


 ちなみにベルナルドが訴えたかった文字は、『報告』だった。

 震える万年筆で手の甲に直接書かれた単語を見詰め、リズリットは苦笑していた。

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