円環する蔦
今日はお嬢さまと坊っちゃんと、ご一緒にお勉強が出来る日だ。
心持ちうきうきと準備を進めていると、年齢を感じさせない所作でヒルトンさんに呼び止められた。
「ベルナルド、すまないがこれを旦那様の元まで届けてくれないか?」
ヒルトンさんの手には茶色の革製の鞄があり、横型のそれは中身が詰まっていないのか、ぺたんとしていた。
背の高い彼を見上げ、こくりと頷く。
ノートに返答を綴った。
『畏まりました。旦那様はどちらに?』
「王城で会議をなさっている」
この忘れもの、重要なものじゃないですかー!!!
明らかに忘れてはいけないものを忘れてませんか、旦那様!?
最近ちょっとお茶目な部分が見え隠れしてますね!?
動揺する僕に、ヒルトンさんもため息をつく。
何でも、代わりに隣に置いていた新聞紙がなくなっていたそうだ。
恐らく、書類と間違えて持っていったのだろうと。
旦那様、お疲れではありませんか!?
『お供はどなたが!?』
「ロレンスだ」
ロレンスさんは、御者の方です!!
小さく微笑んだヒルトンさんが、僕の背に鞄を背負わせる。
それ、リュックだったんですね。
「そろそろ会議も中弛みする時期だったからね。私も気をつけていたんだが、すまないね」
『わかりました。馬をお借りします』
「ああ、頼んだ」
乗合馬車を待っている時間が惜しい。
旦那様がお出かけになられたのが、大体一時間前だから、馬を走らせれば辛うじて間に合う……かな……?
急ぎ厩舎へ向かう途中、ふと気づいてしまった。
……午前のお勉強、ご一緒出来ない……。
悲しみに暮れながら、黒馬の手綱を引き、乗馬用の装具をつける。
僕の内情など我関せず、ぶるると鳴いた馬が、ぶいぶい尻尾を揺らした。
この黒い馬の名前は「グリ」という。
同じ月にやってきた白い馬は「グラ」という。
内心ひやっとする名前であるが、命名されたのはお嬢さまだ。
何故そのお名前を選ばれたのでしょう?
不思議で堪りません。
グリはやんちゃな性格で、走ることが好きだ。
王都に定住すると存分に走ることが出来ないため、時々遠乗りで気晴らしさせている。
さて、街路を疾走するわけにも行かず、速度を抑えながらグリが蹄を鳴らす。
大通りは星祭りに備えて人通りが多く、裏道は裏道で狭い。
事故を起こすわけにもいかないため、安全運転で進むのだけれど、時間は刻々と過ぎていく。
内心焦りながらも、仕方ないとため息をついた。
王城は山を背にしており、川を挟んだ向こうにある。
唯一の通用口であるメティスの橋には、検問所が設けられ、用のない人は立ち入ることが出来ない。
大通りを道なりに進むと、検問所へ辿り着く。
厳しい軍服のおじさんが見えたところで、グリから下りた。
「んんっ、コード邸の使用人です。旦那様へ届けものがあり、馳せ参じました」
「コード領のエンブレムか。中身を改めさせてもらう」
コード邸の制服は見目が良い。
僕やアーリアさん、ヒルトンさんは外向けの仕事も行うため、身分証明書の代わりに、コード領の紋章の彫られた銀飾りをつけている。
夏服であるカマーベストの前を、渡すように飾りが垂れている。
お洒落なのだが、荒事には不向きなので、検討し直して欲しいと思っている。
この細い鎖、引っ掛けて千切りそう。
帯剣したおじさんの指示に従うため、グリを繋ぐ。
背負った鞄を下ろし金具を外すと、厚めの書類が入っているのが見えた。
……旦那様、いくら何でも、これと新聞紙は間違えませんって……。
お疲れなんですね……。
おじさんが検品している間に、受付に名前を告げる。
久しぶりに発した声は掠れて聞き取りにくく、やる瀬なさに気落ちした。
声帯が動いたことで、再び咳払いしてしまう。
「坊主、風邪か?」
「へんせ、いき、です」
おじさんたちが「あー」という顔をする。
一気に親近感が湧いたのだろう。
検品の終わった鞄を返されながら、おじさんに頭をぽんぽん叩かれた。
「俺の息子もそろそろだわ」
「坊主、いい大人になれよ」
そんな子ども扱いしなくても、と反感を覚えるも、見たところおじさんたちは僕の倍以上の年齢を重ねている。
圧倒的に子どもです。甘んじて受け取ります。
グリの手綱を解く。
馬上で掠れた礼をすると、生暖かい微笑みに見送られた。
メティスの橋は石橋だ。
澄んだ水面に映る橋の造形が、眼鏡のように映る。
橋の向こうに広がる景色は、おとぎ話の題材に出来そうだ。
岩と木々を背景に、外堀から白い尖塔と青い屋根が、いくつも覗いている。
外堀の周りは平原になっており、色とりどりの花が咲き乱れていた。
外壁庭園と呼ばれるそこは、見晴らしが良い。
橋の両側に建つ騎士団の白い建物が、日差しを照り返して眩しく輝いた。
対岸に辿り着き、馬から下りる。
二段階の確認を受け、馬を繋ぐよう指示された。
王城は古くからある本館と、新設された西館、東館の三棟から出来ているらしい。
詳しい構造は知らないが、リヒト殿下いわく、中はそれなりに迷路になっているそうだ。
厩舎にグリを繋ぎ、外壁庭園を抜けて正門を目指す。
長閑に小鳥の囀るそこは、ピクニックなんかに丁度良さそうな景色だった。
シロツメクサの群生と、詳しくは知らない背の低い花々。
風に揺れるそれが静かな音を立てる。
最も、今の僕の胸中は慌しいので、景色を楽しむ余裕なんてないのだけど。
城門の人に会議の場所を聞くと、城内二階だと教えられた。
案内の人の後ろを追いながら、歴史を感じる石段を上る。
重厚な扉の前まで誘導されるも、微かに漏れ聞こえる音声は、粛々と難しい話をしていた。
案内のおじさんに、ここで待つよう指示される。
大人しく鞄を抱えて待機する。
遅れて顔を出したのは、苦笑を浮かべた旦那様だった。
「助かったよ、ベルナルド」
小声で告げられたお言葉に、鞄を開けて中身を示す。
書類を受け取った旦那様が中をあらため、ほっとため息をつかれた。
僕の頭を撫で、再度お礼を口にされる。
「やはりヒルトンがいないと駄目だね」
置いてきた執事の存在に、苦笑いを深めた旦那様が、「気をつけて帰るんだよ」片手を上げて扉の向こうへ消える。
再び案内の人の後ろを歩きながら、城門まで誘導された。
気の抜けた帰り道は、心の余裕もあり、ふらふらと視線を彷徨わせるゆとりが生まれる。
通路の端に飾られている絵画や調度品が高額そうで、絶対に近付かないでおこうと心に誓った。
案内の人に何度も礼をし、安堵の心地で外壁庭園を歩く。
行きとは違って心も穏やかなため、広がる長閑な景色に息をついた。
ふと、遠くに見えた白い人影。
体勢から屈んでいるらしいその人に、首を傾げた。
……具合でも悪いのかな?
城門からも、検問所からも、離れた花畑に蹲る人影に、恐る恐る近付いた。
「誰?」
振り返ったその人が、微かな清音を響かせる。
真白な長い髪と、一切の色彩を引き受けた赤い目。
正装であろう、純白のドレスを身に纏った少女の姿に、あれ? このお方もしかしてエリーゼ王女? 血の気が引いた。
「失礼ッ、しました! お加減が、わるいのかと……!」
慌てて頭を下げ、掠れた声で勘違いを訴える。
リヒト殿下が余りにも気安いため、忘れがちだが、本来一使用人と王族に、接点などあってはならない。
跳ね上がった心拍数が、耳許でうるさい。
王女殿下が身動ぎされたのか、葉擦れの音が聞こえた。
人の近付く気配がする。
「顔を上げて。怒ってはいないわ」
「ありがたき、……っ」
「あなた、大丈夫?」
緊張と声帯の不具合で消えてしまった僕の声に、王女殿下が訝しげにこちらを覗き込む。
はずかしい……!
自覚出来る耳の熱さに、慌てて手帳を引っ張り出した。
『お見苦しいところを見せてしまい、大変失礼いたしました』走り書きする。
「…………まあ、いいわ」
ふいと顔を背けた王女殿下が、先ほどまでいらっしゃった場所に座り込む。
彼女が手にしたのは、作りかけのシロツメクサの花冠だった。
壮絶な勘違いをしてしまって、申し訳ございませんでした! 胸中で謝罪する。
「エリー」
遠くから聞こえた誰かを呼ぶ声に、そちらへ顔を向ける。
……完全に帰るタイミングを逃してしまった。
静かに震えていると、王城の方角から現れたのは、リヒト殿下だった。
驚きとともに、強張った肩から力が抜ける。
「お兄様」
「エリー、そろそろ会議に呼ばれるよ……って、あれ、ベル!? どうしてここにいるの?」
白い正装に身を包んだリヒト殿下が、驚いたように碧い瞳を丸くする。
僕と殿下を交互に見遣った王女殿下が、微かな声で口を開いた。
「……お兄様のお知り合いでしたの」
「うん。コード邸の従者だよ」
にこにこと微笑むリヒト殿下に、ようやく表情を取り繕えるまで心情が回復する。
手短に経緯を手帳に記すと、黙読した彼が苦笑を浮かべた。
「そっか、ありがとうベル」
『エリーゼ様とは露知らず、大変失礼いたしました』
「大丈夫だよ。善意でやったことだし」
ね。振り向いたリヒト殿下が、エリーゼ王女殿下へ相槌を求める。
しかし花冠作りに忙しい彼女は話に加わらず、白い花を摘んでは、器用に編み込んでいた。
花冠には小さく、腕輪には大きいサイズの輪を作り終えると、背伸びをした小柄が僕の頭へ手を伸ばす。
ぱさり、軽い音がした。
「王女と言葉をかわした記念」
小さく呟いた王女殿下が、リヒト殿下を置いて王城へ戻る。
去り行く後姿を唖然と見送り、頭から下ろした花冠を手にした。
振り返ったリヒト殿下が、苦笑を濃くする。
「普段からあんな感じなんだ、エリーゼ」
『不敬罪に処されなくて、よかったです』
「あははっ、大丈夫だよ」
上品な仕草で笑ったリヒト殿下が、思い出したように懐中時計を開く。
……落胆したようなお顔だ。
眉尻を下げた彼が、僕の手を握った。
「行かなきゃ。会えて嬉しかったよ」
『殿下、正装かっこいいですね』
「本当? ありがとう」
照れたように微笑んだリヒト殿下が、ひらひら、手を振る。
城門を潜るまで見送り、詰めた息を吐き出した。
――まさか王女殿下とお会いするなんて、考えもしなかった。
未だに心臓が震えている。
いやだって、リヒト殿下もだけど、お供何処にいるの?
いくら警備体制が整っているといっても、侍女のひとりくらいいてもいいんじゃないかな?
小ぶりの花冠を抱えて、厩舎へ戻る。
植物の塊に、食べようと口を開けるグリから逃れるため、シロツメクサの輪を鞄へ仕舞った。
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