おるすばん
何度目かわからないため息をつきながら、手にした雑巾を動かす。
お嬢さま方のお出かけにお供出来ないことが、堪らなくつらい。
それも変声期のせいでお仕え出来ないとか、そんなことってある?
でも確かに、咄嗟に声が出なければ注意喚起も出来ないし、結果的にお嬢さま方を危険に晒してしまうことになる。
それはダメだ。理性ではわかっている。
……感情がついてこないだけだ。
「……ベルナルド、いつまで掃除を続ける気だね?」
「!!」
ヒルトンさんに声をかけられ、はたと顔を上げる。
……何で僕、階段の手摺りを拭いているんだろう……?
確か坊っちゃんのお部屋の掃除をした後、お嬢さまのお部屋を掃除していたはず……。
……夢遊病?
「君の今の時間は、休暇に当てられているはずだ。坊っちゃんからのご厚意を無碍にするつもりかね?」
呆れたように腕を組んだヒルトンさんの言葉に、胸の奥を鈍痛が走る。
このお出かけの話を総括にした時点で、僕はあっさりと戦力外通知をされた。
そのとき、丁度良いとばかりに坊っちゃんから「休め」と言われたのだ。
休めません! 心が休まりません!
何かしていないと落ち着かないんです!
お仕事ください!!
不平不満でいっぱいの僕を見下ろし、ヒルトンさんがため息をつく。
宥めるように頭を撫でた手が、肩に置かれた。
「これが君の反抗期かと思えば可愛らしいものだが、時間は有意義に使うものだよ」
数度肩を叩いた手が離れ、養父が階段を降りていく。
いや、えっと。僕のこれ、反抗期なんですか……?
だとしたら、結構昔から僕は反抗期を患っていることになるんですけど?
そこのとこどうなんでしょうか、ヒルトンさん……?
見送る後姿が、階下へ消える。
込み上げてきた恥ずかしさに、急いで掃除を切り上げることにした。
*
さて! 余暇を楽しもう!
意気込み熱く、書き物机の上にヒルトンさんから借りた民俗学書を置く。
背表紙で揺れる水色の紐に、ほんのりと胸中が温かくなった。
お嬢さまからいただいた栞紐を、指先で掬う。
揺れる硝子ビーズと、革で出来た鳥を眺めた。
本当は大切に仕舞っておこうと思っていた栞紐だったけど、お嬢さまから「わたくしだけはしゃいでいるみたいで恥ずかしいわ!」と怒られたため、こうして使わさせていただいている。
真っ赤になっているお姿も、大変可愛らしかった。
アーリアさんとともに不満をいただいたので、困り果てたアーリアさんも使っている。
先日窺った彼女の部屋で、戦術書から臙脂色の細い紐が覗いているのを見つけた。
ちなみにアーリアさんの本棚は、戦闘面に重きを置いている。
大変物騒だが参考になるので、時々貸してもらっている。
栞紐の挟まる箇所まで頁を捲り、並んだ文字を目で追う。
結局は余暇を勉強に当てているのだけど、集中している間は、悲しみに暮れる時間を減らすことが出来る。
えーっと、世界は五つの天秤から出来ていて、神がエーテルを生み出し、下の皿へと流していく。
天秤の均衡は崩れてはならない。
均衡が崩れた世界は、調停される。
その一文を読んだとき、すっと体温が下がった気がした。
何で今まで思い出せなかったんだろう?
このゲームには、戦闘システムが搭載されている。
戦闘後、キャラクターたちはトラウマを抱え、ヒロインによって救われる。
そう解釈していた。
頁を捲って流し読みする。
――過去に『天秤の均衡』が崩れたことは、あるのだろうか?
文言の禁止事項は、教訓だ。
歴史の教科書は、必ず神話から始まる。
どんな小さな子も、口伝で不文律を教えられる。
均衡が崩れたらどうなる?
かつて調停されたことがあるのだろうか?
頁を捲る。頁をめくる。めくる。
「…………」
本が分厚過ぎて、該当箇所がわからない。
ぐったり、机に顔を伏せる。
……地道に読み進めるしかない。
ゲームのシナリオの方から、何か思い出せないかな?
引き出しの鍵を開け、日記帳とともにノートを取り出す。
開いた紙面に走る雑な文字を、目で追った。
ヒロインが編入してから、平和な日常パートが進行していく。
この期間にステータス値を整え、確か星祭りの辺りで対立の話が出たと思う。
それから戦闘の準備が始まり……。
待って、対立……?
目に止まった語句に、記憶の中のゲーム画面が思い起こされる。
歪な空間の真ん中で、取り囲む黒い影へ向かって、攻撃を続けるキャラクター。
ヒロインは補助や回復を行っているため、直接操作するのは、選んだ攻略対象だった。
攻撃性能は、リヒト殿下が特に高かったように思う。
次いでクラウス様、ノエル、ベルナルド。
アルバート坊っちゃんとギルベルトは、術師枠だったような……。
怒涛の記憶開示に、分類していない情報が散らかる。
待って、順を追おう。
整理しよう。
久しぶりに、お手製攻略本にペン先をのせた。
まず、ヒロインが編入した年。
お嬢さまが16歳のときに、『対立』と呼ばれるものが現れる。
それの討伐任務が下り、ヒロインは攻略対象を選んで、戦闘へ向かう。
ヒロインとお嬢さまは回復役のため、サポーター枠として扱われていた。
アタッカーは、攻略対象だ。
プレイヤーは攻略対象を操作しながら、対立……画面上では黒い影を掃討していく。
この『対立』だが、攻略対象には個々で全く違うものに見えるらしい。
どうやらその人にとって、最も攻撃したくないものが投影されているようだ。
クラウス様のが、えぐかった気がする。
操作中に、画面上部を「何でミュゼットが……?」
「いや、彼等はもう子どもじゃない」
「やめろ……、そんな目で見るな……ッ」
などの葛藤が、文字と音声つきで流れる。
更に倒した敵から、時々悲鳴や笑い声が聞こえるものだから、唐突なホラー仕様やめろと訴訟を起こしたくなった。
これまで、そのホラーゲームのせいで、皆病んだのだと思っていた。
けれど、もしかすると対立には、個人のトラウマが投影されているんじゃないだろうか?
シナリオ本来のクラウス様は、お嬢さまの変貌を間近で見ていた。
そしてリズリット様を救えなかった。
もしも彼の大切にしていた思い出が、幼少期の平和な頃だとしたら?
クラウス様は対立戦で、自らの手で幼少時代の彼等を殺めることになる。
大量に湧き出る敵が、心の支えにしていた姿をしていたら?
積み重なる死体が、大切なものと同じ顔をしていたら?
……心が壊れてもおかしくない。
「…………、」
えっ、何これ、えぐくない?
こんなゲームだったの?
こんなのが、この先に待ち受けているの?
ええっ、やだやだ。
震える胸中で忙しなく席を立つ。
いやでもっ、トラウマフラグは結構整地してきたし!
奥様も、リズリット様も、お嬢さまもお元気ですし!
大丈夫、大丈夫……っ。
この場合、対立は何を投影し出すんだろうね!?
うろうろ動き回っていた脚を止め、脱力するように椅子に腰を下ろす。
変化に対する結果は、想像しか出来ない。
ひとまず、対立の件は横に置くことにした。
次に、現段階でまだお会いしていない他の攻略対象、ノエルとギルベルト。
あとエリーゼ王女とも、一度しかお目通りしていない。
この三方は、アルバート坊っちゃんと同学年に所属することになる。
ノエル・ワトソン様は、伯爵家の三男で、家督を継げないためか、遊び回っているとお聞きしている。
ギルベルト・ティンダーリア様は、宰相閣下のご長子のため、リヒト殿下のようにお勉強に明け暮れていらっしゃるそうだ。
エリーゼ王女殿下は、国王陛下の側室のご息女とのことだが、お身体が弱いため、王位継承はリヒト王子殿下が有力とされている。
あれ、正妃は?
国王陛下の正妃はどなただろう?
……そういえば、陛下、殿下、姫殿下のお誕生日は国を挙げて祝福しているのに、王妃殿下のご生誕祭はない。
リヒト殿下のお母様は、側室だと仰っていた。
国王陛下に、リヒト様、エリーゼ様以外のお子はいらっしゃらなかったはず。
周りに聞けば、わかるのだろうか……?
リヒト様ご本人にお伺いするのは憚れるため、折りを見てヒルトンさんにお尋ねしよう。
ゲームをしていた頃には気がつかなかったけれど、改めてノートを見返すと、不可思議な点が多い。
ミュゼットお嬢さまは公爵令嬢だ。
なのに、お嬢さまが迎える結末は、処刑、自殺、幽閉と悲惨なものばかりだ。
しかし、そもそもお嬢さまのご婚約は政略的なもの。
王族はコード公爵家の謀反を恐れている。
それなのに、お嬢さまを処刑等してしまえば、コード卿が黙っているはずがない。
戦争待ったなしだ。確実に内乱へ発展する。
コード卿を抑えられる仕組みがあるのだろうか?
それとも、処刑せざるおえない事象を、お嬢さまは引き起こしてしまったのだろうか?
あと何より、お嬢さまの一大事に対して、ベルナルドに動きがない。
お嬢さまの従者という誇り高い役職についていながら、ベルナルド何してるの?
ここでお守り出来ないで、何が従者なの?
主人を諌めることが出来ないなら、その罪を全て被ってみせるくらいしなきゃ。
お嬢さまのためのこの命でしょう?
待って、シナリオ思い出すから。
ベルナルドだって、何かやってるはずだから!
大分記憶から薄れているゲーム画面を思い返す。
操作性は高かったと思う。
学校など、フィールド上でヒロインを操作し、対象の元へ行って話しかける。
その際キャラクターの立ち絵が表示され、場合によっては選択肢が発生する。
恋愛シュミレーションっぽくないなあ、と思ったのが感想だ。
物語序盤、ベルナルドはいつもお嬢さまの近くに控えていた。
話しかけても「…………」としか表示されないため、相当不審に思ったのを覚えている。
日数が進むにつれて、授業の都合などで、ベルナルドが単独で行動することが増えていった。
最も、かくれんぼスキルでもあるのと疑うくらい、彼を見つけることは難しかったけれど。
対立戦を終えて、鬱パート。
この辺りから、頻繁にベルナルドはお嬢さまから手を上げられるようになる。
あっ、今胸が痛くなった。
それから……?
そういえば誰かのルートで、暴力に対して言及されていた気がする。誰だっけ?
この辺りから、ヒロインは攻略対象と親密な仲になっていくので、キャラクターによってはお嬢さまの介入がある。
このとき、お嬢さまは果敢にもおひとりで向かわれる。
……待って? ベルナルドは?
お供を何処に置いてきたのですか、お嬢さま!?
それから先…………ベルナルドくん、本当に何処で何してるの?
突然の失踪なの?
あ、あれ? 記憶になにひとつ引っ掛かってくれない。
待って。気配がないにも程がある。
ステルス発動しないで。
どうしてお嬢さまのお傍についていないの?
お嬢さまに叩かれるくらい我慢して!
お嬢さまをお守りして!!
青褪めた心境で、ノートを見詰める。
心臓が嫌な音を立ててうるさい。
いや、そんなまさか。
この先、ベルナルドの失踪とかいうよくわからない状況のせいで、お嬢さまを死亡フラグからお守り出来ない可能性が出てきたなんて。
えええええ、何処に消えるの僕?
どうしよう、動揺が激しくて思考が纏まらない。
せめて生きてるのか死んでるのか教えて……。
生きてたら自力でどうにかするから……。
震える手でノートを閉じる。
日記帳とともに、元の鍵つきの引き出しに仕舞った。
これからどうしよう……。顔を覆って深くため息をつく。
まさかお嬢さまの前に、僕自身に不確定要素があるなんて思いもしなかった。
そんな陽炎みたいに消えないで。
ミッシングかまさないで。
力強く生きて。
そしてお嬢さまをお守りして……。
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