02

「絶好のお散歩日和だね~」

「殿下、ちゃんと帽子被ってください」


 明度の高い日差しが、視界を射す。

 リヒト殿下が目許に手をかざし、にこにこと微笑みを浮かべた。

 彼の纏っている衣服は、ベルナルドのものだ。

 素っ気ないほど飾り気のない白いシャツと、黒いスラックス。

 黒いベストに臙脂のリボンタイと、お前、私服も制服と大差ないじゃないかと訴えたくなる装いだ。


 殿下自身、軽装で『散歩』に挑もうとしていたのだが、如何せんどれもこれも材質が高価だった。


 身分を隠して行動したいが、見る人が見ればわかってしまう気品。

 悩んだ末に、急遽背格好の似ているベルナルドの服を貸し出すことになった。


『不敬じゃないですか!?』と心配そうだったベルナルドに構わず、激しく乗り気な殿下が、「わーい、ベルの服~!」と出てきた姿がこれだった。


 そもそも、ベルナルドが私服のときなどあっただろうか?

 思い返す彼はいつもモノトーンな制服姿で、アーリアと並んで、他の服装を見たことがない。

 ……今度休ませよう。


 クラウスや僕は感覚が庶民に寄っているため、比較的馴染みやすい格好が出来た。

 義姉も華やかなドレスより、落ち着いたものを好む。

 何処かの令嬢くらいの印象操作に成功している。


 問題のリヒト殿下は、同行者のアーリアと並ぶと色合いの都合か、揃いの服装に見えてしまう。


 それはそれで駄目だろう。

 仮にも一国の王子が、使用人に見えては……いや、そもそも使用人から服を借りたのか。

 何処から正せば良かったんだ?


 王都見学会の許可をもらった公爵家当主が、苦笑いでこの光景を見詰めている。

 ベルナルドに至っては、蒼白な顔色で、殿下へ元の服装へ戻るよう訴えていた。


 対する殿下は、のらりくらりとかわしており、「早く行かないと、時間なくなっちゃうよ?」行動を促している。


「……予想外の変身だから、まあ、良いんじゃないかな……」

「……ッ!!」

「アーリア、ベルナルド。今度色のついた服を仕立てようか」

「隠密用でしたら、お受けいたします」

「ヒルトンといい、君たちといい、本当に仕事人間だなあ……」


 アーリアの言葉に激しく頷くベルナルドを見下ろし、当主が遠い目をする。

 御者台に乗ったハイネが、時計を一瞥した。


「定刻を過ぎています」

「ああ、すまない。ミュゼット、アルバート。気をつけて行くんだよ」

「大丈夫ですわ、お父様」


 義姉の目線まで屈んだ義父が、若草色の髪を撫でる。

 ふわり、表情を綻ばせた彼女に、次の行動を予測して、踵を返して馬車まで進んだ。

 ああっ、悲嘆に暮れた声が背後に聞こえる。

 構わずベルナルドが支える扉を潜った。


「……お前、無茶するなよ」


 ぼそりと告げた気遣いに、数度唇を動かしたベルナルドが、困ったような顔で微笑んだ。


 その後ろから義姉と殿下、クラウス、最後にアーリアが続く。

 ウサギのぬいぐるみをベルナルドへ預けた義姉が、彼の顔を覗き込んだ。


「ベル、わたくしたちがいない間、無茶をしてはダメよ?」

「……、」


 全く同じ注意を別の口からされ、益々ベルナルドが困ったような笑みを浮かべる。

 薄く開いた唇を閉じ、こくり、彼が頷いた。

 微笑んだ義姉が馬車に乗り、後続が同じように乗り込む。


「ベル、お土産楽しみにしててね」

「今度は一緒に行こうな」


 くしゃりと黒髪を撫でた手が離れ、微笑みを浮かべたベルナルドが扉を閉じる。

 アーリアが御者台の隣に座り、彼が数歩後ろへ下がった。


 この流れを見てわかる通り、今回ベルナルドは同行しない。

 声が出せない彼を、ミスターが護衛から外したためだ。


 代わりにハイネという男が護衛として同行することになり、欠席の彼は激しく落ち込んでいた。


「出発します」

「ああ、気をつけて」


 アーリアの短い声を皮切りに、馬車が動き出す。


 当主の隣に立ったベルナルドが静かに頭を下げた。

 彼が見送る側に立つ姿を、恐らく僕は初めて目にする。

 義姉と殿下が窓から手を振り、緩やかに速度を上げた馬車が別邸を遠ざけた。

 クラウスが嘆息する。


「ベルのお土産、先に買うか、後に買うか?」

「先にしましょう!」


 弾んだ声で義姉が答える。

 にっかり、笑ったクラウスが御者台を向いた。


「じゃあおにーさん、先に商店街回って、それからユーリット学園目指す感じで」

「了解した」


 手綱を握る男が、簡潔に返答する。

 馬の蹄と車輪の軋む規則的な音を背景に、流れる景色をぼんやりと眺めた。





 王都はざっくりと扇形をしている。

 中骨のように九本の通りが走り、それぞれに女神の名がつけられている。


 その縦の道を横切るように、五本の横道がある。

 扇の要に当たる部分にある、王城側から数えて、第一通り、第二通りと数えられている。


 上空から見れば、恐らく升目のように見えるのだろう。


 勿論、細かな道は網目のように沢山走っている。

 主要の地理として、九本の縦道と五本の横道、川を挟んだ要の王城さえ覚えておけば、途方もない迷子には備えられる。


 また、扇形の大体中央には、目印となる時計塔が建っている。

 その一体は市街地として賑やかで、大きな広場がある。


 迷ったときは、時計塔を目指せ。

 クラウスの言葉を、胸中で復唱した。


「時計塔を中心に見るなら、北が城で、南と西に門、東にユーリット学園がある」

「……方角とは、難しいものですわね……」


 市街地に下り立ち、致された説明に、義姉が憂いた顔をする。

 着々と星祭りへ向けて準備の整えられる街並みを見回す彼女へ、クラウスがからりと笑った。


「ミュゼット嬢にはアーリアやベルがいるからな。実質ひとりで動くこともないだろうし、気に病みなさんな」

「頼りにしているわ、アーリア」

「お任せを」


 音もなく近くに控えているアーリアは、既に王都の路地に至るまで網羅していそうだ。

 きっちり折られる腰に戦慄する。


 興味深そうにあちらこちらを見回していたリヒト殿下が、帽子の下からでもわかるキラキラした笑顔で話に加わった。


「ベルのお土産、万年筆がいいなー。ねえクラウス、いいとこ知らない?」

「万年筆っすか。文具は商店街のあっちっすね」

「タイピンでもいいよ。でもベル、いつもリボンタイだからなあ。学園の制服って、ネクタイだっけ?」

「ネクタイですけど、あんま高価なの贈ると、受け取ってくれませんよ」

「じゃあ、万年筆」


 るんるんと微笑む殿下は、一体いくらのものを、うちの使用人に注ぎ込もうとしたのだろうか?

 恐ろしくて聞きたくない。


 アーリアとともに商店を覗き込んでいた義姉が、早速数個のクッキーを購入していた。

 思わず呆れた目を向けてしまう。


「義姉さん……」

「ち、ちがうのよ! わたくしの分ではなくて……っ」


 星の形をしたクッキーを紙袋へ入れてもらい、真っ赤な顔を隠した義姉が、もごもごと口の中だけで抗議する。

 アーリアが持つことになったそれを、クラウスが爽やかに笑った。


「星祭りんときは、変り種多いからなー」

「……お星さま、かわいかったんですもの」

「ミュゼット、向こうにも色々あるよー、行こうー?」


 はしゃいだ笑顔のリヒト殿下に手を取られ、義姉がマイペースに引き摺られる。

 染まった頬をふんわり緩めた彼女が、殿下に誘われるまま街路を進んだ。

 「アルバート、クラウスー、はやくー」呼ばれなかったアーリアは、既に義姉の傍にいる。


「今日は大通りと学校だけで終わるかもな」

「天然が二匹いるからな」

「警備のおにーさん、おつかれっす」

「…………」


 僕たちへ行動を促したハイネに押され、先行組を追いかけた。

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