F

帰ったらパイを焼こう

 数日前から喉に違和感があった。

 咳払いを繰り返し、声が掠れていくため、風邪を疑ったが身体自体は健康体だ。

 流石に、お仕えしているときに咳き込むわけにもいかない。

 しかし声が出し難い。

 悩んだ末にヒルトンさんに相談したところ、僕の喉を見た彼が、困った笑顔で「変声期かな?」呟いた。


 あー、変声期かー。

 すっかり忘れていたけど、そっか。そんな人生イベントあったねー。


 昨年リズリット様も迎えた声変わりに、内心納得する。

 僕も13歳かー。

 そっかー……身長、まだ伸びるよね?

 直面した難題に青褪めた。


 世間的に、執事は顔が良くて、背の高い人物が雇用される。

 主人のアクセサリー的な部分を担っているらしく、能率よりも見目が優先されるそうだ。


 執事を志望する僕は、当然ながらその二大項目を攻略しなければならない。

 近くのヒルトンさんやリズリット様、護衛のハイネさんと、高身長の中に埋もれる現状に、戦慄を覚えていた。


 公式のベルナルドの身長って、何センチだったっけ……?

 第二次成長期に震える僕を見下ろし、ヒルトンさんが眉尻を下げる。


「……あと10センチといったところか」

「ッ、なんの、んん、勧告、でしょ、か」

「余り喉を使わない方が良い。君の見目は整っているんだ。声で点数を下げるには惜しい」

「………」


 多分褒められたんだと思う。

 褒められたんだろうけど、僕、もっと仕事方面で褒められたい……。


 いくら執事業界が顔社会だといっても、僕だってヒルトンさんみたいに何でもこなせる、凄腕の人になりたい。

 アーリアさんみたいに、音もなく主人にお仕え出来る従者になりたい。

 主人に、お嬢さまに喜んでもらいたい。

 顔だけのお飾りになんて、なりたくない……。


 顔が良いって、大変なんだね……。

 僕もっと、人生イージーモードかと思ってた……。


 しょんぼり肩を落とした僕をどう思ったのか、ヒルトンさんが未使用のノートを持ってきた。

 差し出されたそれを受け取り、胸の内を簡潔に綴る。


『顔ではなく、仕事面を評価されたいです』

「見目は第一印象を決める重要なステータスだ。そうでなければ、私もここまで熱心に指導しないよ」


 特に君は愛想も良いからね。

 微笑みとともに頭を撫でられ、頬に熱が上る。


 わなわな震える僕を見下ろし、「照れ屋なところは愛嬌だが……諜報には向かないな」顎に手を当てたヒルトンさんが、ぽつりと呟いた。


 わかってます!

 治します、この照れ屋!!





 ヒルトンさんの部屋を後にし、坊っちゃんの元へ向かう。

 最近の僕の不調を気にかけてくださる彼は、僕には勿体ないくらいお優しい。

 まあ素直じゃないんですけど。

 人見知りのせいで、他の傍仕え断ったそうだけど。


 筆記で変声期の旨を伝えると、安堵したようにため息をつかれた。


「……変な病気でなくて、良かった」

『ご心配をおかけしました』

「全くだ。王都に来てすぐ調子を崩したから、焦ったんだぞ」


 思わず微苦笑を浮かべてしまう。


 夏の王都遠征に合わせて、お嬢さまたち学園入学者は、王都に長期滞在することになった。

 その矢先に僕が静かに咳払いを始めたものだから、聞いてしまった坊っちゃんが、少々過保護なくらい休憩を言い渡していた。

 健康だと訴えても、聞き入れてくれない。


 流石に不味いと察知したので、お嬢さまの前ではばれないよう必死に隠した。

 それはもう、微笑みと用事と仕事を駆使して、懸命に隠した。


 先日、お嬢さまがヒルトンさんへ、明らかに僕の身長だろう数字でメイド服を仕立てるよう、お話している声を聞いてしまった。


 10歳の頃の制約、まだ存命しているんですね……。


 今のところ免れている女子制服が、足音もなく寸前まで忍び寄っている。

 しかし原因が判明した今、公然とご奉仕出来る! よかった!

 とりあえずあの物騒な制服、どうにかできないかな?


 良心的な坊っちゃんのご心配をありがたく受け取り、頭を下げる。

 再度ため息をついた彼が、思い出したように声を上げた。


「殿下とクラウスが来ているそうだ」

『参りましょうか?』

「そうだな」


 先に立つ坊っちゃんが扉を開ける。

 坊っちゃんは、余り坊っちゃんらしい扱いをすると怒るので、護衛でお傍につく以外は、添える程度にしか僕の役はない。

 そこではたと、気づいてはならないことに気づいてしまった。


 ――声が出せなければ、有事の際、護衛として機能しない。


「……? ベルナルド、顔色が悪いが、大丈夫か?」


 振り返った坊っちゃんの怪訝そうな顔に、過剰なくらい頷いた。


 伝えてはいけない。悟られてはいけない!

 また僕のお役目が減る!

 こんなにもご奉仕したい精神を持て余しているのに!

 唯でさえ日常的な雑務が嵩んで、満足にお仕え出来ていないというのに!



 辿り着いたお庭には、前情報の通り、リヒト殿下とクラウス様がいらっしゃった。

 リズリット様は、入学に関する書類に追われているため不在だ。

 旦那様が滞在されている間に書類を完成させなければ、後々面倒なことになると慌しくしている。


 こちらに気がつかれたお嬢さまが、ぱっと表情を輝かせられる。

 アルキメデスさんを置いて、席をお立ちになられた。


「ベル! アル! 丁度良いところに!」

「どうしたんだ、義姉さん」


 ぱたぱたとこちらへ駆けて来たお嬢さまが、僕たちの手を握られ、ぐいぐいテーブルへと引っ張る。

 お嬢さまが尊い……。ノートを持った手で顔を覆った。


「引っ張らなくても歩く。どうしたんだ?」

「今し方、リヒト様とクラウス様と、お散歩のお話をしていたの」

「ミュゼットたち、王都そんなに知らないでしょう? 今後のために案内しようかと。クラウスが」

「俺かー」


 話に加わったリヒト殿下と、流れ弾を食らったクラウス様へ、坊っちゃんが「久しぶりだな」クールに挨拶する。


 ……坊っちゃん、お忘れかも知れませんが、目の前のそのお方、この国の王子様なんですよ……?


「久しぶり、アルバート。ベルも、ちょっと見ない間に大きくなったね~」

「田舎のおばあちゃんみたいだな」

「その感覚に近いかも……って、アルバートもぼくに容赦なくなってきたよね?」

「気のせいだ」


 しれっと言いのけているけれど、そのしれっとした態度からして、敬意が……。

 クラウス様ですら、一応敬語なんだけれど……。

 困ったな、ここは指導するべきだよね?

 でも殿下嬉しそうだからなあ。

 結構坊っちゃんのこと、気に入ってるからなあ。


 悶々としながらノートを捲る。

 お久しぶりです。筆記した文字を掲げた。


「どうした、ベル。風邪か?」

『変声期です』

「あー」


 納得されているクラウス様のお声が、低い。

 ここに先達者がいた。

 紙芝居状態の僕へ、お嬢さまと殿下が悲しそうな顔を向ける。


「そうなの? ベル……」

「えー、聞き納めしてない」

「聞き納めって、何すか殿下」

『それより、お散歩のお話の続きを』


 その内みんなにもやってくる話で、折角のご提案を潰すわけにはいかない。

 速やかに話題の軌道修正を行い、お嬢さまと坊っちゃんに椅子を勧める。


 お席につかれたすぐ後に、紅茶をお出しするアーリアさん。

 滑らかな所作は憧憬のそれなので、僕は今後ともアーリア先輩についていく。


 ぽんと手を叩いた殿下が、笑顔で身を乗り出した。


「そうだった。さっきも言ったけど、みんなそんなに王都に慣れてないでしょ? 学園に入学するなら、地理を知っておいた方がいいと思って」

「リヒト様とクラウス様がご案内してくださるの」


 坊っちゃんがなるほどという顔をする中、キラキラと眩しい笑顔で、お嬢さまが両の指先を合わせられる。

 無条件で温かな気持ちになるご様子に、ほんわかした。

 お嬢さま、後光が見えます。


 困ったように微笑んだリヒト殿下が、茶器を持ってくるりと中身を揺らした。


「うーん。ぼくも王都歴長いんだけど、あんまり役に立たないかな。クラウスと、多分リズリットは詳しいよ」

「予習しときます」


 一瞬寂しげに目を伏せた殿下に、クラウス様が茶々を入れる。

 よろしくね~、笑うリヒト殿下はいつも通りだった。


 ……こういうところで、彼の生活が窮屈そうだと実感する。

 そう思うと、クラウス様と馬車で待つ護衛のみで来ることの出来るコード邸は、殿下にとって数少ない息抜きの場所なのかも知れない。

 王子様って、大変なんだな……。

 月並みな表現が、諸々の言葉を集約する。


「では、リヒト様もご一緒に地理を学びませんか?」


 お嬢さまのご提案に、リヒト殿下の目が丸くなる。

 ふわり、微笑んだ彼が頷いた。


「お言葉に甘えて、ぼくもクラウス先生に習おうかな」

「ハードルがんがんに上げてきますね、殿下」

「いやー、クラウスは何でも知ってるからね~。わからないことはどんどん聞こうねー」

「ガイドする俺、可哀想」

「頼りにしている」

「伏兵だったか、アルバート」


 クラウス様が天を仰ぐ。

 あんまりなご様子に、『応援してます』ノートに綴った。

 お嬢さまとリヒト殿下は、きゃいきゃいとお散歩を楽しみにされている。


 虚無的な笑みで僕の後ろに回ったクラウス様が、静かに肩を組んできた。こわい。「護衛同士、仲良くしようぜ?」囁かれた言葉に、掠れた音で喉が鳴る。

 冗談なんだろうけど、こわい。

 そのにっこりとした笑顔の重圧がこわい。


 ノートで壁を作って隠れていると、期待値を跳ね上げるだけ跳ね上げたリヒト殿下が助けてくれた。

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