手紙 一
開いた手紙を読み進めるリヒト王子殿下が、ふはっ、肩を震わせ笑い出す。
椅子の背凭れに体重を預けた彼が、笑んだままこちらを向いた。
「ぼくもコード領に行きたい」
「殿下、王都から出れないでしょうに」
「うーん、遊学とか?」
「何学びに行くんすか。茶園すか?」
「土地がなーい」
唸った殿下が諦めたように肩を竦める。
丁寧に畳んだ手紙を元通り封筒へ戻し、引き出しの『お気に入り』の段に仕舞った。
質素なあの封筒の送り主は、俺にも心当たりがある。
それとは別に、花の絵が描かれた封筒を、殿下が小箱に仕舞った。
「クラウスは手紙、もう読んだ?」
「まだっすね。帰ったら届いてると思います」
「じゃあ黙っとく」
また小さく笑いを零した殿下が、傍らに置かれた茶器を手に取った。
一口含み、無関心そうにカップをソーサーへ戻す。
……コード邸で見せる姿との懸隔に、本当お気に入り以外には容赦ないよな。内心ひとりごちる。
「……殿下って、ベルのこと好きですよね」
何気なく教本を捲りながら、質素な封筒の送り主の名前を挙げた。
これでも殿下との付き合いは長い。
彼の机の引き出しには、それぞれ役割がある。
中でも上から二番目の引き出しを、『宝物入れ』にしているとか。
その宝物を充分堪能してから、指定の場所へ保管するとか。
興味のないものの管理は杜撰で、大事なものはすぐに仕舞うとか。
彼の癖はそこそこ把握している。
ちなみに俺が今背を預けている本棚も、一番下の段が最もお気に入りで、上に行くほど興味が薄くなる。
これは、殿下が床に座って本を読む癖があるからだ。
顔を上げた殿下が、意外そうにきょとんと瞬く。
こうやって見ると、彼は非常に中性的で整った顔をしている。
流石は王子様。これぞ童話の手本みたいな顔をしている。
「うん、すきだよ。ベルが女の子でぼくが王子じゃなかったら、結婚申し込むくらいすき」
「…………は?」
待て。俺が顔の感想を上げている間に、問題発言が飛んできたぞ。
殿下を見遣る。
にまにました笑みを、白紙の便箋で隠していた。
しかしその弧を描く目許が丸見えだ。
懸命に頭を回転させ、言葉を選ぶ。
「……殿下って、そっちの趣味ですか?」
「そっちってどっち? まあ現実的にあり得ないから、例え話だけど」
「はあ」
肩を竦めた殿下は、そのまま机に便箋を置き、返事を書いているようだ。
危ねえええッ! もう少しで殿下に余計な知識を与えるところだった!
殿下が知ってる人でなくて良かった!
危うく殿下の護衛から、ベルの護衛へ職種変更するところだった!
内心冷や汗を掻きつつ、けれども放置出来ない話題に頭を捻る。
正直普段から殿下には雑な言葉選びしかしていないせいか、こういうとき困る。
いやだって、殿下自由人だし。
「……ミュゼット嬢は?」
「ミュゼットは可愛いよ。でもぼく、彼女から色んなもの奪うことになるから、せめて今は自由にしてあげたい」
「…………」
万年筆を止めた殿下が、物憂げにため息をつく。
……彼の暮らしを見ていると、言わんとしていることはわかる。
殿下自身、この城という籠と、王都という塀から出ることが出来ない。
毎日退屈だと、俺を誘ってこうして私室に置いているくらいだ。
ミュゼット嬢も婚礼してしまえば、そう易々と実家へは帰れなくなる。
俺ですら、もう長いこと領地へ帰ってはいない。
実家の景色が薄ぼんやりとしている俺とは違って、領地を愛しているミュゼット嬢にとって、それは苦行だろう。
「ねえクラウス。ベルをぼくのところに欲しいんだけど、どうしたらいいと思う?」
「んん?」
待て。俺が哀愁に駆られている間に、また爆弾発言をされたぞ。
咳払いして聞き返す。
きょとんと瞬いた殿下は、その愛らしいお顔のまま、先ほどよりも威力の高いお言葉を送球してきた。
「ベルが欲しいんだけど、どうしたらいいかな?」
「臆面もなく言えるところが、すげーと思いました」
「クラウスって、ぼくに容赦ないよね」
容赦がないのはどっちだ。
「ぼく、ベルのお父さんになりたい。一気に30歳くらい年取れないかな?」
「人生の厚み分経験積まないと、やばい大人にしかならないので、順当に年取ってください」
「やっぱりかー」
「殿下疲れてるんですよ。ちょっと休憩しましょう」
持っているだけだった教本を棚へ直し、殿下へ冷めたお茶を勧める。
悔しげな彼は、顎に手を当てていた。
「エリーの婚約者にアルバートを当てる? いや、そうするとベルとの接点薄くなるし、権力バランスがおかしくなる。まだ貴族から刺されるわけにはいかない。大体エリーはアルバートの毒舌に対する耐久値が低過ぎる。あの二人、本当人見知りどうにかした方がいいと思う」
「俺は姫殿下を引っ張り出してまでベルを取り込もうとする姿勢を、どうにかした方がいいと思いました」
「シーツくらい簡単に取り込めない? アルバートから引き剥がすのも可哀想だもんなあ……」
「よかったー。殿下に人の心があったー」
「いっそ側室? 誤魔化せないかな?」
「それ、世間とミュゼット嬢と本人に何て説明するんですか」
「この部屋にお住み」
「説明も弁明もありゃしねえ」
頭が痛い。
ぐぬぬと唸る殿下は真剣だけれど、俺は本気で彼からベルナルドを守らなければいけないのかも知れない。
「大体! ベルがぼくのこと『殿下』って呼ぶようになったの、間違いなくクラウスのせいだからね!?」
「突然怒られる俺の可哀想さ、殿下わかります?」
「昔はちゃんと『リヒトさま』って呼んでくれたのに……っ、クラウスが怠慢だから……」
「リヒト様」
「え、やめて気持ち悪い。鳥肌立った」
「これは酷い」
完全に引いた顔で俺のことを見上げた殿下が、インク瓶に万年筆をつけ、唐突に手紙を書き出す。
「クラウスから嫌がらせで『リヒト様』って呼ばれた。余りにも恐ろしかったから、ベルに呼んでもらって中和したい」
酷いが過ぎるだろ、この幼馴染。
「殿下、しつこい男は嫌われますよ?」
「顔で乗り切る」
「ナルシストか」
けらけら、殿下が笑った。
……正直彼の話は、何処までが本気で、何処からが冗談なのかわからない。
彼の悪い癖に、小さく溜めた息をついた。
まさか全部本気とか、ないよな?
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