02

 コード家の王都滞在期間も、残り4日。


 正直僕は焦っていた。

 ますます動きの制限をされた状態で、思うように行動出来ないことがもどかしい。


 排除すべき不審者に敗北したこともむしゃくしゃするし、お仕事がいただけない現状にも鬱屈する。

 アーリアさんを筆頭に、使用人の皆さんへどれだけお仕事くださいとおねだりしても、「休め」の指示以外もらえなくて辛い。


 僕の自己肯定感は、最早マイナスの値を叩き出している。

 このような情けない姿を晒すことにも、屈辱を感じていた。


 まず第一に痛い。

 昨日ぴょんぴょんしたことも相俟って、色んな箇所が痛みを訴えている。

 自業自得だけど、些細な動作すらままならない現状が歯痒くて、情けなかった。


 だからだろうか。考え事をする時間が多い。

 もやもやと纏まらないそれを相手取り、こつり、屋敷の廊下を歩く。


 この松葉杖も大きさが合わず、とても歩き難い。

 負傷箇所も左肩、左足の左揃いで、更に歩き難い。


「……おい」


 背後から呼びかけられ、緩慢な動作で振り返る。

 本当はもっと滑らかに素早く動きたいのに、これが今の僕の最大速度だ。


 ……もう絶対、大怪我なんかしない。


 覚束ない方向転換を遮ったのは、お声通りの坊っちゃんだった。

 沈痛そうなお顔をされている。

 慌てて表情をいつも通りのにこやかなものに変え、彼へ話しかけた。


「どうかされましたか? 坊っちゃん」

「……重装備だな」

「松葉杖って使い難いですね」

「…………痛むか?」


 窺うように投げ掛けられた質問を、曖昧に微笑んで誤魔化す。

 流石に「全力疾走で痛めました」とは言えなかったので、真実には蓋をした。

 返された気遣いの言葉に、良心がめちゃくちゃ痛む。

 消えたい……いや本当に反省してます……。


 沈黙した坊っちゃんが、僕から松葉杖を取った。

 無造作に片手にさげた彼が、こちらへ手を差し出す。


「何処へ行くんだ?」

「書庫です。折角なので、整頓でもと」


 王都別邸の書庫は、余り活用されていない。

 この廊下の突き当たりにあるその部屋は放置状態にあり、手持ち無沙汰な今だからこそ、積もりに積もった掃除と、整頓に向いていた。


 了承したのだろう、坊っちゃんが僕の手を取って歩き出す。

 ……お心遣いが優しい……すれた心にしみる……。

 でも坊っちゃんに体重かけるなんて出来ないので、ちゃんと二本の足で歩きます。


「おい」

「はい?」

「足」


 鋭い眼光で睨まれ、ふらっと視線を宙にさ迷わせる。


 困った、実に困った。

 坊っちゃんのご好意を無駄にするわけにはいかない。

 しかし坊っちゃんに僕の介助をさせるわけにもいかない。

 すごく、困った。


 すっと温度の下がった黄橙色の目に、即座に不機嫌を察知する。

 まずい、この機会を逃すとまた仲直りが長引いてしまう!


 坊っちゃんの手を引き、申し訳なく笑みを向ける。


「えっと、その、……寄りかかるので、もう少し近付いてもよろしいでしょうか?」

「! ああ、その、すまない」


 重いですよ? 事前に警告しておき、坊っちゃんの腕に右腕を絡める。

 重心を右に傾け、ほどほどに左足の負担を軽くした。

 全力では流石に凭れられないが、このくらいなら。

 坊っちゃんの顔を見遣ると、驚いたような顔をしていた。


「あっ、すみません、重かったですよね」

「いや、構わない」


 ふるふる首を横に振られ、坊っちゃんが僕を伺いながら歩みを進める。

 地味な歩幅は時間がかかるもので、坊っちゃんに「お時間大丈夫ですか?」尋ねた。

 普段の坊っちゃんのご予定なら、今頃お勉強のはずだが。


 首を横に振った彼は、構わないと口にした。


 何とか辿り着いた書庫の鍵を開け、扉を開け広げる。

 こもっていた埃くささと、インクと紙のにおいが解き放たれた。

 日陰に位置している窓まで向かい、大きく開ける。

 心持ち冷たい風が、部屋の空気を一新させた。

 窓に凭れながら、小さく息をつく。


「そうだ。坊っちゃん、魔術の発現、おめでとうございます!」


 はたと思い出した事項を、喜びにのせて伝える。

 唖然とした顔の坊っちゃんはふいと顔を背け、本棚へ向かってしまった。


「……ああ」

「旦那様や奥様には、お話になられましたか?」

「いや」


 ふるふる、首を振った彼が、「誰にも話していない」と口にした。

 何故だ!? あんなにも心待ちにしていたじゃないか!


「えっ、ヒルトンさんにもですか? どうしてですか、お祝いごとなのに!」

「祝えるか! お前がそんな状況なのに!」

「僕ならお構いなく! さあ、お伝えに参りましょう?」

「僕はッ!!」


 突然の大きな声に、びくりと肩が跳ねる。

 坊っちゃんは固く両手を握っていて、震える肩を諌めていた。

 悔しげに、苦しげに、しかし先の激昂とは正反対の掠れた声を絞り出す。


「……心配したんだ。お前が死ぬんじゃないかって。義姉さんに大丈夫だと言っておきながら、不安で堪らなかった」


 唐突に打ち明けられた別視点に、言葉が詰まる。

 動揺から視線がさ迷い、熱を持った頬を押さえた。

 風に吹かれたカーテンが揺れる。


 ええっと、こういうとき、何と返事すれば良いんだろう。

 散々ヒルトンさんから呆れられた「心配」の言葉を、今ようやく実感した。


「その、……ご心配、おかけしました」

「なのにお前ときたら、仕事仕事仕事! 休めと言っても聞こうともしない。お前は人の心配を何だと思っているんだ」

「返す言葉もございません……ッ」


 情けなさから目許を片手で塞ぐ。


 ワーカホリックでごめんなさい。

 こういう事態に陥ったことがなかったから、自己評価を保つために突っ走っていました。

 今物凄く反省しています……!


 こつりと靴音が響き、かざした右手が掴まれる。

 あーダメですダメです。これは暖簾ではありませんー!


 同じくらいの身長の坊っちゃんが、僕の顔を覗き込んだ。

 ふはっ、珍しく声を立てて笑られる。


「お前、本当、すぐ顔に出るな」

「自分でもわかってるんです。もーっ、僕はかっこよくスマートに振舞いたいのに……」

「無理だな」


 しれっと言いのけた坊っちゃんが、機嫌良く僕の手を解放する。

 自由になった手で、ぱたぱた顔を扇いだ。

 恥ずかしい。僕、この赤面症治したい。


「それより坊っちゃん、お時間よろしいんですか?」

「……小腹が空いた」

「畏まりました!!」


 苦しみ紛れの僕の誤魔化しに対して、そっぽを向いた坊っちゃんが、突然のデレを放った。

 喜びに弾んで、一歩踏み出す。

 勢い良く左足にかかった体重に、思わず痛そうな声を上げてしまった。つらい。

 慌てた坊っちゃんが「馬鹿か!?」僕の身体を支える。

 はしゃぎすぎた、恥ずかしい……!!


 結局書庫の換気しか出来なかったけど、その場を後にし、坊っちゃんに軽食をいただいてもらった。

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