02
「ミスターって、強いんだな」
「……えげつ、ないですよね、……人間じゃ、ないん、ですよきっと」
「ベルナルド。恐らくそれを聞かれて一番困るのは、お前だと思うんだが……?」
「はははは」
地面に仰向けで寝転がる僕を覗き込んだ坊っちゃんの向こうで、ヨハンさんが笑う。
灰色の髪を片側で結った彼は、旦那様が領地を離れている間の責任者だ。
今日も白衣のポケットに手を突っ込んで、にこにこと朗らかに笑っている。
コード家の家業は茶園だ。
紅茶と貴族は切っても切れない関係にある。
名高い茶葉の育成に最適なコード領は避暑地としても有名で、霧に包まれた雄大な茶園は幻想的な風景を描いている。
また、現在はハーブにも力を入れている。
茶葉に合わせたブレンドは勿論のこと、香水や薬湯、ハーブ園としても有名だ。
後継者である坊っちゃんも、茶葉とハーブのお勉強は楽しいのか、ヨハンさんの後ろをついて回っている。
『大人』と親しげに話している姿に、涙が零れそうになったのは秘密だ。
それにしても、毎度のことながらヒルトンさんの鍛錬は恐ろしく厳しい。
あの人、僕がよちよちの9歳児だということを忘れているのかな?
ぜいぜい戻らない呼吸を何とか整え、坊っちゃんがくださったタオルで汗だくの額を拭う。
ふわり、顔を埋めたタオルから良いにおいがした。
「タオル、良いにおいですね」
「ヨハンに手伝ってもらった」
照れたように微笑んだ坊っちゃんが、コルクで閉じられた試験管を軽く揺する。
中で揺蕩うハーブに、興味津々と顔を近づけた。
「へえええ! これは何ですか!? 何かお洒落さを感じます!」
「……レモンバームの精油に……何か色々浸したものだ」
「そこ照れるとこなんですか?」
「うるさい!」
「繊細なことは全くわかりませんが、レモンは良い奴だと知ってますよ!」
「そのレモンじゃないんだよな~」
一喝した坊っちゃんがそっぽを向き、おかしそうにヨハンさんが笑う。
恐らく、洗剤のにおいを消すための道具なのだろう。
坊っちゃんは坊っちゃんなりに努力をされている。
僕にももらえないか尋ねると、構わないと返事がきた。
坊っちゃん、お優しい……!
坊っちゃんいわく、試験管の中の小さな緑の葉がレモンバームらしい。
想像していたレモンとの懸隔に、知識のなさを痛感した。
多分僕、ミントくらいしかハーブがわからない。
あとトゲトゲした葉っぱ。
「あれですね! ドライフラワーとか突っ込んで、インテリアにするアレですね!」
「お前の言ってることは時々わからないが、義姉さんが好きそうだから作ってみるよ」
「お喜びになられると思います! 流石坊っちゃん!」
少し照れたように試験管を仕舞った坊っちゃんが、思い出したように大きく瞬きをする。
ヨハンさんをちらりと窺ってから、彼が口を開いた。
「そろそろ王都に滞在する時期だろう? ……最近不穏らしいんだが、何か聞いているか?」
彼の言葉に、はたとヨハンさんを見上げる。
穏やかな顔に苦いものを混じらせた彼が、頬を掻いた。
「市街調査でね、領地の人と喋ってたら、良くない噂が流れてきたんだ。旦那様のお耳に入れたら既にご存知のようだったけど、やっぱり地方は情報弱者だからね。今頃お使いの人たちが頑張ってるよ」
「どのような噂ですか?」
場合によっては、王都への遠征を取り止めなければならないのだろう。
旦那様は慎重になられている。
杞憂で済めば問題ないが、クラウス様の件とあり、何事かと勘繰ってしまう。
「一家惨殺だってさ。それも騎士団員の家」
「そんな……ッ、クラウス様はご無事ですか!?」
「ああ、彼の家は大丈夫みたいだよ。安心してね」
短絡的に不安を結び付けた僕に、ヨハンさんが困った笑顔で僕の頭を撫でる。
ううっ、恥ずかしいけど良かった。
騎士団と聞いたら、真っ先にクラウス様の家を思い出してしまうため、未だに心臓がばくばくしている。
しかし国を守る騎士団員の一家が惨殺されたとなれば、王都の住民は不安に駆られるだろう。波紋は大きい。
「もうすぐ収穫祭……じゃなかった。王子様の生誕祭なのに、街が閑散としているそうさ」
「そう……でしたか」
ただの噂かも知れないし、あんまり思い詰めないでね。
そう残して手を振ったヨハンさんが、ハーブ園の方へ戻る。
残された僕と坊っちゃんで、顔を見合わせた。
「……何事もなければいいんだが」
肩を竦めた坊っちゃんが呟く。
その日の晩、ヒルトンさんより、王都滞在の日程が公表された。
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