B

残酷は身近なところに転がっている

「新しい家族を紹介しよう」


 一大事です。


「アルバートと言う。ミュゼット、君の義弟だ」


 坊っちゃんのおめめには、ハイライトがありませんでした。



 場所は変わって、坊っちゃんの私室として割り当てられたお部屋。


 お嬢さまの微笑ましいかみっかみの自己紹介をお辞儀ひとつで受け流したこの少年は、先程から置物のように隅っこに座っている。

 椅子を勧めたが沈黙で断られ、渋ってみせるがそれも無視され、ただただ静かに、無に、時間だけが過ぎていく。


 坊っちゃんは壁に凭れたまま、微動だにしない。

 お茶を勧めるも、本を勧めるも、全くの無反応を貫いてくれた。


 どうしよう、この状況……。


 懸命に彼のプロフィールを思い出そうとするも、7歳の彼と15歳の彼には成長という大きな壁が横たわっている。

 それでも、せめて手掛かりだけでも得たい。

 何でもいい。どんな子だったか、必死に記憶の引き出しを漁った。



 アルバート・コードはお嬢さまの義弟だ。

 見た目は旦那様に似た白茶色の髪に、黄色味の強い橙色の目をしている。


 コード家の跡取りとして迎え入れられるが、与えられるものは愛情ではなく、無関心と教養のみ。

 我が儘を当然と享受するお嬢さまとの差に、深い闇を抱えてしまう。


 愛されたい欲求と、気まぐれに与えられるお嬢さまからの愛情に飢えは加速し、自分を見てくれるたったひとりの存在として、お嬢さまに依存することになる。


 彼の有名な台詞は、「あいしてくれる?」だった。



 ここまで思い出してみて、頭を抱える。


 お嬢さまが絡む前から病んでるじゃないですか、やだー!!


 旦那様からのお呼び出しのときに告げられた、「良き理解者云々」の言葉が脳裏を廻る。

 これは、もう、完全に事案ですね!

 ご家庭で何かありましたね!


 だって見てください、坊っちゃんのズボンから覗く脚と、袖口から垣間見える手首!

 ベルナルドくん、飢餓の子だったから詳しいんですけど、病的に細いんですよ!

 あれれ? この子お貴族サマの子じゃなかったっけ?? おっかしいなー!


 現実逃避を済ませてから、ハンカチで包んだクッキーを解く。

 使用人としてあるまじき、主人の隣に腰を降ろすという暴挙を働いて、膝の上にクッキーを広げた。


 ちなみにこれは、鍛錬の後に食べようと思っていた非常食です。

 お菓子なら食べてくれるかなって思ったんです。


 坊っちゃんは突然隣に来て、サクサク食べ出した僕を緩慢な動きで不審そうに見たが、そのままふいっと視線を逸らせた。

 その隙を逃すものか。


「ッ!?」


 半ば強引に坊っちゃんのお口にクッキーを突っ込み、にっこり、笑みを浮かべる。


 涙目で吐き出そうとする坊っちゃんの口を塞ぎ、膝のクッキーが散らばるのも構わず、飲み込むよう話しかけた。


「驚かせてすみません。ですけどこれは僕が僕のために作ったクッキーなので、毒とかそういう危ないものは入れてません」

「……ぐッ」

「僕はこの後鍛錬に行かなければなりません。それはそれは身体を酷使するものです。ミスターの人でなし感満載のしごきです」


 坊っちゃんは早く吐き出したいと躍起になっているようで、その姿に違和感を受けた。


 嫌がる人に無理強いするのは良心が痛むが、彼を改めて近くで見て、このままではいけないと脳内が警鐘を鳴らす。


「鍛錬後はお腹が空きます。ぐーぐーします。けれども主人の前でぐーぐーするのはご法度なので、毎朝ちょこっと台所を拝借してクッキーを焼いてます。

 ……もう一度言います。この後僕は鍛錬に行きます。そしてお腹が空いて、非常食のクッキーがないことに絶望します。べえってしたら泣きますからね。いいですか? 僕はこれからお夕飯まで、お叱りの連続を受けることになるんです」


「勝手に……! 食べさせた、くせに……ッ!!」


 初めて聞いた坊っちゃんの声は、搾り出されたように震えていて、久しぶりに発したかのように掠れていた。


 非難めいた目でこちらを睨みつける彼に、ようやく手を離す。

 唾液で汚れた口許を、彼が袖で乱雑に拭った。


「食べないと大きくなれませんので」

「必要ない! 放っておいてくれ!!」


 今度ははっきりとした大声を発し、勢いで咳き込んでしまう。

 立ち上がった彼は、ふらつきながら部屋の外へ向かって行った。

 恐らく、内容物をひっくり返しに行くのだろう。


 散らばって砕けたクッキーを片付けながら「坊っちゃん、」呼びかける。

「お前には関係ない!!」怒鳴られた。


 これは、根深い。

 拒食に陥るにはいくつかパターンがあるが、7歳という幼子の段階で、栄養失調は不味い。


 そして近付いてわかった、彼から発せられる胃液の刺すようなにおい。

 記憶に刻まれたスラムのにおいに近しいそれに、危機感を抱く。


 これは、本当に不味い。

 急いでヒルトンさんへ報告に走った。

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