04
「あれ? ミュゼットとコード卿?」
丁度お嬢さまの手にミルキーウェイというお菓子をお渡ししたところで、耳馴染んだ声に振り返った。
ちなみにミルキーウェイとは、ドーナツを棒状に揚げたものだ。
粉砂糖がふんだんに盛られているため、食べるにはちょっとした注意が必要だ。
星祭りの名物であるそれの屋台は、何処も列を成して賑わっている。
お嬢さま方には人垣から離れたところで待っていただき、僕が並んで買ってきた。
賑わいの中遭遇したのは、マスケラを装着したリヒト殿下と素のクラウス様、そして殿下の後ろに隠れる小さな女の子と、護衛の大人がわらわらだった。
このわらわらには、散開して周囲に紛れている人たちも含まれている。きっといる。
突然の殿下等との邂逅に、お嬢さまが驚いたように目を丸くされた。
「リヒト様……!? それに、クラウス様に、エリーゼ様!」
「これはこれは、このような夜分に奇遇ですね」
恐らく彼等はお忍びなのだろう、声を潜めた旦那様と奥様が恭しく礼をする。
顔の上半分のみを飾るマスケラをつけた殿下の口許が、苦笑で歪んだ。
ぴんと伸ばした人差し指が唇に当てられる。
「構わないよ。目立つから、今晩は作法に目を瞑って欲しい」
「畏まりました」
折角変装してるからね。
マスケラを指差した殿下が笑い、旦那様が苦笑を浮かべた。
高位の人って大変なんだなあ。しみじみ彼等の様子を眺める。
クラウス様が前へ出て、旦那様に礼をした。
「父共々、いつもお世話になっております」
「やあクラウスくん。大きくなったね」
「ありがとうございます。……近々領地へ戻られるとお聞きし、心寂しく思っております」
君たちは本当に8歳?
いつも砕けた口調で話すクラウス様の変貌振りに、戦慄を覚える。
談笑する旦那様と小さな紳士から目を逸らし、リヒト殿下の近くへすすっと寄った。
「殿下もミルキーウェイをお求めですか?」
「うん、エリーがね……って、ベルもウサギさんになったの?」
ぶふっ、噴き出した殿下が歪む口許に手を添える。
殿下がちらりと視線を落とした『エリーゼ様』は、顔をすっぽりと覆う、人の顔を模したマスケラを被っていた。
羽飾りのついたつばの広い帽子と、立ち襟のワンピースを身にまとい、人相がまるでわからない。
あれ。待って、エリーゼ様って、確かリヒト殿下の妹君だ。
今更ながら、高位の方との接触に背筋が凍る。
ひえっ。誤魔化すように咳払いを挟み、無理矢理話を続けた。
「買って参りましょうか? おいくつご入用で?」
「ありがとう、助かるよ、クロウサギくん……ッ」
「殿下じゃなかったら、怒ってますからね!」
二本の指を伸ばした殿下から離れ、お嬢さまとアーリアさんにお使いの旨を伝える。
そのまま小走りで、先程お世話になった列に並んだ。
親子連れの目立つそこは、明るい声で賑わっている。
話し相手のいない僕は手持ち無沙汰で、辺りをぼんやり見回した。
いつもは閉じているお店も、今日ばかりは明かりを灯し、営業している。
夜光石で灯ったランタンは青や橙、夜闇の中を寒色暖色で彩っている。
はしゃぐ子どもたちが脇を駆け抜け、母親と思わしき人物が声をかける。
そこで、ぽん、肩を叩かれた。
「よく馴染んでんぞ」
「クラウス様、お話もういいんですか?」
「しゃこーじれー、だからな」
にっ、と笑うクラウス様が頭の後ろで腕を組む。
こうやって見ると、先程の流暢な美少年とは別人に見えてくるから不思議だ。
久しぶりに頭使ったぜ。爽やかにさっぱり言い切るクラウス様が、僕の背を押す。
列が少し縮んでいた。
進みながらお嬢さまたちがいらっしゃる場所へ目を向ければ、お嬢さまはリヒト殿下とお話されている。
奥様が少し腰を屈めて、その輪に加わられていた。
「あちらに戻らなくていいんですか?」
「ベルが暇してるよーに見えたからな」
「……この人モテるんだろうなーと思いました」
「もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」
おかしそうに笑うクラウス様が、けらら、声を立てる。
彼の親しみやすさは前世に通ずるものがあるため、ついつい口許が緩んでしまう。
クラウスさまかっこいー。軽口を叩いた。
一際ランタンで飾られた屋台まで、もう一歩というところまで近付いた。
中であくせくお菓子を配るおじさんたちも、並んだお客さんも、みんな一風変わった仮面を被っている。
彼岸、の文字を思い出しながら、お店の人に「ふたつ」伝えた。
金銭を支払い、クラウス様が紙袋に包まれた菓子をふたつ受け取る。
「まいどあり」お決まりの挨拶が、笑みを作る口許から窺えた。
「クラウス様……」
「気にすんな」
咎めるように彼へ視線を向けるも、けらり、爽やかな笑みを返される。
無理矢理奪い返すことを諦め、ため息とともに頭上を見上げた。
視界いっぱいに広がるのは、祭りの名前を冠している満天の星空で、砂糖を零したようにキラキラと自己主張している。
集合地点へ視線を向けると、お嬢さまと奥様が星を指差し微笑み合っていた。和やかだ。
口許が緩んだそのとき、突如視界が反転した。
例えるなら暗視スコープ。
夜闇の中くっきり見えた草葉が揺れたかと思えば、中から飛び出した男が、一直線にお嬢さまの方へ走っていた。
「アーリアさん!!」
咄嗟に叫んだ先輩の名前と、駆け出した身体。
頭から足許まで黒衣に包まれた男の手には黒く塗られた刃物が握られており、緊急事態だと脳が警告を掲げる。
頼りのヒルトンさんは旦那様のお傍におり、殿下たちを巻き込むわけにはいかない。
僕の悲鳴に瞬時に反応したアーリアさんが、身を屈めて武器を抜いた。
彼女の後ろで奥様がお嬢さまを抱き締め、目を見開いて震えている。
甲高い音を立てて、男の刃物とアーリアさんの暗器がぶつかり合った。
頭からマスケラを引き剥がし、跳躍とともに男の顔面に叩きつける。
「ごはッ」
くぐもった悲鳴を上げ、仰向けに転倒した男と同じように、体重もろとも突っ込んだ僕も地面を転がる。誰かが悲鳴を上げた。
即座に起き上がり、まだ慣れていない暗器を手に体勢を低くする。
割れたマスケラを振り払った男が、アーリアさんの追撃を避けた。
純粋な力比べでは、僕も彼女も軽過ぎる。
そしてこんな視界の利かない時間帯だ。
今の僕の視界は、恐らく誰よりも鮮明だが、普通はこうはならない。
このままだと、アーリアさんが危ない。
咄嗟に駆け出し、男の武器を持つ腕にしがみついた。
喚く男が振り払おうと躍起になる。
ナイフが持ち替えられたのが、視界の端に映った。
「退け! 坊主!」
大人の人の声がすぐ傍で聞こえ、再び身体が地面に叩きつけられる。
次に目を開けたときには、護衛の人が男の手首を捻り上げ、組み伏せていた。
喚き声とともに、カランッ、石畳の上を澄んだ音が転がる。
アーリアさんが即座にそのナイフを回収した。
「ベルナルド」
端的に名前を呼ばれ、アーリアさんから男の武器を押し付けられる。
殿下の護衛によって、複数人で組み伏せられた男から離れ、慌ててお嬢さまと奥様を探した。
お二人はクラウス様が連れて逃げてくださったようで、殿下たちとご一緒に護衛の方に守られていた。
旦那様も周囲を警戒するヒルトンさんの傍におられ、ほっと安堵の息をつく。
このままへたり込みそうな身体を叱咤して、お嬢さまの元へ向かうアーリアさんとは別に、ヒルトンさんへ報告に向かった。
「そこの影から、男は飛び出しました。……これを」
「……良く気がついた、ベルナルド」
「追撃がないことから単独犯でしょう。用意周到な様子から、計画的なものかと」
差し出した黒塗りのナイフを受け取ったヒルトンさんが、ハンカチでそれを包む。
彼の言葉に、旦那様が険しい表情を浮かべた。
男は苦悶の悲鳴に紛れて何やら口汚く罵っているようだったが、唐突にそれがぶつりと途切れた。
目を向ければ護衛が手刀を落としたようで、詰めていた息を吐き出す。
ヒルトンさんの目配せにより、覗き込んだ男の出発地点。
警戒に体勢を低くして行ったそれだが、はっきり見える視界の中でも何も収穫は得られなかった。
見上げた梢にも不審なものは映らない。
ヒルトンさんに近付き小声で伝えると、彼は肩を竦めて嘆息した。
「生け捕りしたのが幸いですね。恐らくトカゲの尻尾切りかと」
「……そうか」
騒がしい周囲が更に騒がしくなり、警備隊が人混みを掻き分ける。
引き渡された男と事の詳細の説明を、旦那様とヒルトンさんがなさった。
終わった、そう意識した瞬間、思い出したかのように恐怖心がぶり返した。
小刻みに身体が震える。
ふと戻った元の視界は余計に暗くて、恐怖心を煽るそれに瞼を固く閉じた。
こわい、思ったそのとき、頭をぽんと叩かれた。
「寿命が縮んだって思った」
「……すみません」
震えが伝わらないよう、端的に口を開く。
話し相手はクラウス様のようで、いつもより神妙な声音だった。
宥められるように、何度も何度も頭を、背中を撫でられる。
「怪我とか、ないか?」
「僕より、お嬢さまと奥様は…?」
「大丈夫だ。ミュゼットは泣いてるけど、怪我はない。……ありがとう、な」
「よかった……」
もう一度開いた目は一層暗くてぼやけていて、クラウス様の顔が心配そうだなーと曖昧に思った。
きっと僕が震えていることなんて、ばれているのだろう。
お嬢さま、星祭りお嫌いにならなければいいんですけど。
呟いた独り言に、苦笑の音が降ってくる。
覚束ない足元で、手を引かれながらお嬢さまの元へ向かうと、アーリアさんに抱きついて泣きじゃくっていたお嬢さまが、今度は僕に抱きついて泣きじゃくった。
よろけた身体をクラウス様が支えてくれる。
「ばか! ばかッ! アーリアも、ベルも、ばか!!」
「……申し訳ございません、お嬢さま」
「ひっ、……しんじゃ、しんじゃうかと、おもったでしょう!!」
「お嬢さまを残して、死ぬなんていたしません」
「アーリアっと、おなじ……! こと、いって……ッ」
ぐすぐす涙を流されるお嬢さまの背を撫で、不謹慎ながらも温かくなる胸に震えが治まった。
よかった、こんな僕でもお嬢さまをお守りすることができた。
ふと思い出した事象に、あ、と眉を下げる。
「……お嬢さま、アーリアさん。折角の黒いウサギさん、壊してしまって申し訳ございません」
「ばか!!!」
それどころじゃなかったでしょう!?
続いたお嬢さまの怒声は、お嬢さま半生トップ3に入る、大きなお声だった。
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