星祭り
ミスターが養父となって以来、覚えることが格段に増えた。
今まではお嬢さまの遊び相手兼下男だったこともあり、免除されていた部分が増えた。
礼儀作法は勿論のこと、美しく見えるお茶の準備、主人のお世話の仕方、予定の把握、勉学魔術学、そして剣術武術などなど。
8歳の頭には到底仕舞い込めそうもない膨大な情報を、必死に食らいつきながら学んでいく。
改めてミスターは涼しい顔でこれだけの仕事をこなしていたのかと思うと、畏敬の念しかない。
変わったことといえば、休憩時やふとした隙間の時間に、ミスターのことを「ヒルトンさん」と呼ぶようになったことだろうか。
今世では孤児である僕は親というものに憧れがあり、しかし「おとうさん」と呼ぶには気恥ずかし過ぎる。
躊躇った末に提案した呼び名に、ヒルトンさんは快く了承してくれた。
さて、今目の前でお嬢さまがいつものウサギのぬいぐるみを抱き締め、にこにことお庭の椅子に座っていらっしゃる。
透き通るような白い肌と、頬にかかる若草色の髪。
編み込まれたそれはお気に入りのバレッタで留められ、察するにお嬢さまの侍女アーリアさんの力作だろう。大変お似合いです。
カップを静かに浸した琥珀色の液体をお嬢さまの御前にお出しし、脇に控える。至福。
お嬢さまが石榴色の目を緩めて僕を呼んだ。
木漏れ日の下、お嬢さまの睫毛が光に透ける。
「ベル、星祭りまでもう少しね」
「はい」
華やいだ声で残りの日数を数えるお嬢さまに、ふわりと胸が温かくなる。
星祭りとは王都で行われる祭祀行事のひとつで、意味合いはお盆やお彼岸に近い。
夜光石を用いたランタンを提げ、多種多様な仮面であるマスケラを被り、夜道を練り歩く。
何でも、彼岸からやってきた悪霊に連れ去られないために、マスケラで顔を隠すのだとか。
迷信めいているなあと思う。
この時期に合わせて、爵位のあるものたちを王城へ呼び寄せ、会議するらしい。
そのため僕たちは領地を離れて、王都の別邸に滞在していた。
滞在期間は予備日も合わせて、およそ二ヶ月だろうか。
子どもであるお嬢さまにとっては、星祭りが主目的だが。
公爵である旦那様もヒルトンさんを連れ、連日会議に足を運んでいらっしゃる。
奥様はお茶会が忙しいらしく、この時期にしか収穫出来ない情報を求めて、今日も戦場へ向かわれた。
お嬢さまにもお茶会のご予定はあるが、あまり前衛的な性格でないため、お断りすることの方が多い。
「昨年のマスケラは、まだ残ってるかしら?」
「ございます。お持ちしましょうか?」
「お願いするわ」
嬉しそうに弾んだお嬢さまのお声に、頭を下げてからアーリアさんに目配せする。
涼しい顔をしている彼女は僕の先輩で、年齢も僕たちより幾つか上だ。
物静かな彼女だが、お嬢さまの護衛も兼ねているらしく、彼女にも底知れない何かが漂っている。
お嬢さまにとっては「お姉さん」みたいな立ち位置らしく、非常に懐かれていてとても羨ましい。
踵を返し、季節ごとに仕舞われたクローゼットを開ける。
見つけた帽子入れの蓋を開けると、ウサギを模した、顔をすっぽりと覆ってしまえる仮面が収められていた。
薄紙には、造花を編んだ花冠が包まれている。
箱ごと腕に抱えて庭へ戻る。
道中呼び鈴の音がした。別のメイドが応対している様子を横目に過ぎ去る。
どうやら郵便屋さんのようだ。
流石は公爵家。手紙が溢れんばかりに届けられている。
庭へ戻るといつの間に来ていたのか、リヒト殿下とクラウス様がお嬢さまとお話していた。
昨日も来ただろう重鎮。
呆れ半分、仕事半分で、彼等に近付いた。
「リヒト殿下、クラウス様、ご公務の方はよろしいのですか?」
「10歳から本気出す」
「邪魔してるぜー」
アーリアさんに淹れてもらったのだろうお茶を携え、緊張感なく二人が笑う。
殿下のへらりとした言葉に、国の未来を8歳の段階で考えなければならない自由のなさこわい。素直に心で震えた。
お嬢さまに持ってきたマスケラを差し出す。
ぱっと輝いた石榴色の瞳に、胸の中が温かくなった。至福。
「ありがとう、ベル」
「そっか、星祭りか」
「ミュゼット嬢は家族と回るのか?」
「はい、その予定です」
にこにこ、笑うお嬢さまが白いウサギの面を手に取る。
ピンと伸びた耳に花の絵が描かれているそれは、昨年街中の屋台で購入したものだ。
ふーん、殿下が相槌を打つ。
「ミュゼット、ウサギ好きだよね」
「他の動物も好きですわ」
「ぼくもミュゼットたちとお祭り回りたいなー」
「殿下、両家から許可もらってくださいねー」
「めんど……んんっ」
頬杖をついた殿下がため息をつく。
……改めて、彼の情報を整理しよう。
リヒト・レテ・ケルビム、現在8歳。
ここルトラウト王国の王子様で、ひとつ下に病弱な妹君がいる。
容姿は端麗。
柔らかな金の髪と、澄んだ碧い瞳。
今はまだ幼いため可愛らしさが目立つが、将来これぞ王子様な見た目に変貌する。
性格は温厚でのんびり屋。
これは天才肌な上、競う相手がいないためそうなったらしい。
将来は常に愛想笑いを浮かべた、楽しいことの少なそうな人生を歩んでいる、薄幸の美人になる予定だ。
昨日お腹を抱えて大笑いしていたけど。
原因は、お嬢さまの愛らしい落書きにクラウス様が異様な蛇足を加え、生成された魔人を目の当たりにしたことだけど。
殿下は目尻に涙を溜めて、ひいひい言っていた。
捕捉するなら、お嬢さまは少々絵心に足りなく、そしてクラウス様はユーモアに過ぎるきらいがある。
そして殿下は面白そうなことや、驚くようなことが好物だ。
この人、薄幸の美人になる気があるのだろうか?
このままだと、面白王子様になってしまう……。
最後に、お嬢さまはリヒト殿下とご婚約されている。
確か6歳のときだ。
そしてお嬢さまはこのルートで死ぬ。処刑されて死ぬ。
悪役なのだ。こんなに愛らしくて清廉なお嬢さまなのに、悪役なんだ……。
「……ベル、大丈夫か? まだ具合良くないのか?」
「いえ、平気です」
微かによろめいてしまった僕に、目敏く気づいたクラウス様が心配そうに眉尻を下げる。
このままだとこの人、席を譲りそうだから即座に背筋を伸ばした。
使用人は主人と同じ席にはつけないのです。
彼はクラウス・アリヤ。
騎士団長の長子で、将来はリヒト殿下の護衛となる。
今は活発さと上品さを併せ持つ美少年だが、行く行くは高い身長と立派な体格に爽やかな笑顔を振り撒く好青年へと成長する。
金髪と海色の目がまた爽やかだ。柑橘系とか似合いそう。
性格は面倒見が良く、気さくな良いお兄さんで、お嬢さまや僕までもを保護対象と見ているようだ。
しかし、彼も僕たちと同い年の8歳だ。
せめて僕を対象から外して欲しい。曲がりなりにも使用人!
16歳の段階では、広く浅い人付き合いを好む、ドライな性格になるはずだ。
けれど、如何せん今の彼は親切すぎる。
あと冗談が好きで、結構な笑い上戸だ。
品位より親しみやすさの方に比重が寄っている。
余りにもナチュラルにネイチャーに砕けた調子で話しかけてくるため、うっかり彼がお貴族サマなのだという事実を忘れそうになる。
また、彼の家は幼少の頃よりコード家と親交があり、お嬢さまがいつも大切にしているウサギのぬいぐるみを贈ったのもクラウス様だ。
お嬢さまの初恋相手という栄誉ある称号を得ているが、彼のルートでもお嬢さまは死ぬ。
それも自殺だ。ご自愛ください、お嬢さま…!
「ベル、お腹痛い……? つらかったら教えてね?」
「いえ全く!」
「でも何か唸ってるし……」
殿下が心配そうに僕の顔を覗き込む。
はたと我に返り、慌てて身体の前で両手を振った。
いけないいけない! お嬢さまの今後を憂い過ぎて、表情に出してしまった。
見ればお嬢さままで心配そうなお顔でこちらを窺っている。
このベルナルド、今後は失態を犯さず、完璧なポーカーフェイスを身につけてみせます!
不審そうに唇を尖らせた殿下が、不意に何かに気づいたのかお嬢さまへ向き直る。
若干身を乗り出している彼は、何かに焦っているようだった。
「もしかして、ミュゼットもベルも、星祭りが終わったら領地に帰っちゃうの?」
「はい、その予定です」
「えーーーーーーーーーーー」
ふわりと微笑んで答えたお嬢さまに、殿下が頭上を仰ぎ見る。
そのまま僕へ顔を向け、捨てられた仔犬のような顔で同じ質問を繰り返した。
「再び王都へ来るのは、来年の星祭りでしょうか」
「ええええ、そんなぁ……」
「……殿下とクラウス様のお誕生会なら、お嬢さまもご参加されると思いますけど」
「あの堅苦しいのいやなんだよなあ……。ぼくがやりたいのは、こうやってぐだぐだごろごろすることなんだけど」
「ごろごろはしてませんよ」
「ニュアンス、ニュアンス」
テーブルに頬をつけた殿下がため息を漏らす。
クラウス様は爽やかに苦笑しており、どうやら連日の彼等の訪問は、殿下立ってのご希望だったらしい。
お嬢さまが、おろおろと殿下とクラウス様とを見遣る。
「……リヒト様、お手紙、おかきしますわ」
もふもふのウサギを殿下の前でお辞儀させ、お嬢さまがもごもご裏声を使う。
少々内気なお嬢さまは、時折このぬいぐるみを用いて、ご自身の言い分を代弁させる癖がある。愛しい。
視線を持ち上げた殿下が、へにゃり、表情を崩した。
「わーい。ウサギさんはくれるみたいだけど、ミュゼットはくれないの?」
「っ、ミュゼットもかきますわ」
「わーい。ねえねえ、ベルは?」
「ベルもかきます。クラウス様にもお出ししますわ」
「…………お嬢さま?」
「はっ、ついうっかり……!!」
慌てた様子でウサギを抱き寄せたお嬢さまが、もこもこで口許を塞ぐ。
にまにま笑っている殿下は見た目こそ天使なのに、成功した悪戯に舌なめずりしているチェシャ猫みたいな顔をしていた。
「言質取ったよクラウス! ミュゼットとベルとウサギから手紙もらえる!」
「あれっすね、殿下。王子になれなかったそのときは、詐欺師になったらどうですか?」
「ねえクラウス、不敬って言葉知ってる?」
「いやー、知らないっすわー」
ははは、爽やかなのに乾いた笑い声。
勿論二人ともふざけているだけなのだけど。
お茶を濁すように三人のカップに、「まあまあまあ、お若いのどうぞ一杯」紅茶を注いだ。
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