第14話 忘れられない言葉




彼らの会話はしばらく、紗千さんが真司さんに何か賛辞を送っているような調子だった。「美しかった女性」は楽しそうに話していたが、同時にどこか大手術のときの医師のような緊張感を放っていた。というのも、彼女は、ちょっとでも間違ったところに触れたら終わりだと、意識を研ぎ澄ましているように見えたからだ。それでも彼女はその顔を、少しだけ美しくしながら話していた。




紗千さんは真司さんとの会話が一段落すると、やっと僕の存在が気になり始めたようだった。




なんなのこの子……とでもいいたげな様子で、紗千さんは、じっと僕を見つめた。


そして彼女は急に僕を責め立てるように震えた声で言った。


「あなたは初めて見る顔だけれど、真司さんのお知り合いかしら。」




そうです、と答えたのは僕ではなく真司さんだった。なんで彼は僕を擁護してくれるのだろう。




その時、先ほどの幼女が寄ってきて、真司さんに泥団子を見てほしいと頼んだ。僕は決して紗千さんと二人きりにはなりたくなかったし、それは彼女もそうだと思ったんだけれど、驚いたことに紗千さんは、「真司さん、ちょっと奈菜の面倒を見てもらってもいい?」と言った。




僕たちは二人きりになった。




紗千さんは再び僕を少し見つめてから、興味を失ったようにそっぽを向いたかと思うと、僕に背を向けたまま口を開いた。さきほどと打って変わって、深い慈悲のこもった声だった。




「そう。あなたも驚いたでしょう。この人の変容ぶりには。」


「ハ、ハイ。」魚屋さんに言われたことを思い出して、同調しておく。


「でも、どうして真司さんはああなってしまったんでしょう?」僕がそう聞いてみると、


「どうして?」と彼女は首をひねった。




僕が質問したはずだったのだが、彼女はそう聞き返してきた。




「え、ええ。きっかけは彼が恋人をなくしたことだと聞きましたが、それは傾く理由にはならないでしょう。」


「あら、本当に知らないのね。お知り合いさん。」彼女は再び、疑り深い魔女のような声を出した。




 

僕はこれ以上隠し通せそうになかったので、すべてを正直に言うことにした。




「真司さんを見て、療養中と聞いている叔母のことを思い出したんです。」


紗千さんは黙って僕の話の着地点を予想しているように見えた。


「なぜかはわからないけれど、たぶん香りだと思います。懐かしい香りがしたんです。」


「なるほどね。」意外にも、彼女は納得してくれた。そしてふぅ、と軽く息をついて、言った。




「彼はね、恋人の言葉が忘れられないのよ。」


「言葉?」


「そうよ。」




その時、間が悪いことに真司さんが戻ってきた。僕たちの会話の一部が聞こえたらしく、怪訝な顔をしている。




「何でもないわ。」と紗千さんが言う。


「天ぷらを作ったので、良かったら是非。」と真司さんが言った。


先ほどの様子からすると、奈菜ちゃんに作らされたのだろう。僕が同情していると、


「青年。よかったら君にも食べてほしい。」


驚いたことに、真司さんは僕に向かってそう言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る