第10話 真司、里川家にて




真司が裕子の家に訪れる。裕子、彼女の両親、そして真司、4人での対面になった。


姉の祥子はすでに結婚して家を出ていたので、家にはいなかった。


 


裕子は両親にお願いをした。どんなことがあっても私が火傷したときの話はしないでほしい。彼らは笑顔でうなずいた。でも、事はそううまくは運ばなかった。






「はじめまして。沢野真司といいます。よろしくお願いします。」


彼は緊張をかみしめながら言った。




「あの……ひょっとして……コッコ……さん……?」裕子の母、尚子が聞いた。


「ええ。まあ。」


「まあ!!私、あなたの大ファンでしたのよ!」


言い終わったあと、尚子は裕子を見て、あたふたとした。


「ありがとうございます。うれしいです。」


真司は礼を言ってから、彼女の言葉を反芻した。大ファンでしたのよ。




過去形だ。そしてそれならば、なぜ裕子がそう僕に教えてくれなかったのか、真司は疑問に思った。




真司が少し難しい顔をしていると、それが尚子にも伝播したらしく、彼女はバツの悪そうな顔をした。その時の尚子の顔は、真司に、裕子に初めて名刺を渡したときのことを思い出させた。






真司と里川一家はその後食卓を囲んで団らんした。里川夫婦は真司の裕子への気持ちを、じっくりと咀嚼した。




「自分……彼女に一目惚れしてしまったんです。一目惚れすることなんてほとんどないんですが、裕子さんは人を惹きつけるような何かを持っていました。そしてお話をさせていただいて、やっぱり思った通りの方だと思いました。彼女はとっても素敵な人です。常に人を幸せにしようとしている……。でも、彼女はもっと自分の幸せも考えるべきだと思いました。自分が絶対必ず、彼女を幸せにして見せます!」




彼は尚子と、裕子の父・幸助に5秒ずつ真剣なまなざしを送った。彼らの額には汗がにじんでいた。裕子は彼らを、団扇であおぐような気持ちで見つめていた。


 


真司は話している最中、裕子の両親の表情の変化に違和感を感じ取った。真司の熱が増していくにつれて、彼らはちょっと困惑したような顔をしたのだ。それも、真司が変なことを言ったから、という風ではなかった。むしろ、真司に、気の利いたことを言ってほしくない、印象を上げてほしくない、とでも言いたげなその表情をみて、今度は真司が当惑してしまった。




「真司くん、ちょっと来なさい。」と幸助が言った。


「はい。」真司は立ち上がった。




「大丈夫よ。お父さんはきっとうまくやってくれるわ。」と尚子が言った。


「そうよね。きっとうまくいく。」と裕子が言った。


「なんか、いやな予感がするんだけど。」と二人の心の声が言った。






真司と幸助はウッドデッキの敷かれたテラスに出た。心地よい風が吹いている。この風が追い風となってくれればいいのだが……。真司がそんな事をふと思った時だった。




「罪滅ぼしのつもりなら、やめてほしい。」と幸助が鋭い口調で言ったのは。




「罪滅ぼし??」真司は驚いた。


「君、裕子から何も聞いていないのか?」




真司が首を振ると、幸助は目を閉じて、ため息をつき、これまた首を振った。




「すまんが裕子のことはあきらめてくれ。異性に一目惚れする奴なんて信用できん。」


明らかに別の理由があるように、真司には感じられた。


「そんな、もう一度お考えいただけませんか!お父さん!」


「お父さん?」




昨晩練習してきた呼び方が、裏目に出た。




「い……いえ、裕助さん。」


「俺は幸助だ。」


幸助の眉間には何層にもなる皺があった。




最悪だ、と真司は思った。取り付く島もない。すみません、トイレ借ります。真司はテラスから滑るようにリビングに入った。




リビングでは、尚子さんと裕子が楽しそうに話していた。あの顔は10分後、どうなっているんだろう。真司はそんなことを考えながら、「トイレお借りします。」と声をかけた。




「はあい。」声は明るかったが、尚子さんは心配そうなひとみで俺を見ていた。トイレに向かう途中、彼はリビングとは別の部屋にある、キッチンの前を通った。職業病か、ついつい覗いてしまう。




高級そうなものは置かれていなかったが、どこか家庭の愛情?のようなものを感じさせてくれるキッチンだった。真司は料理人で、これまでいろんなキッチンで仕事をしてきたが、これほど料理人をホッとさせるキッチンはなかなか無いと思った。そんな時、目に留まるものがあった。




キッチンの隣に、簡素なブックシェルフがあった。そしてさらに、その中でひときわ、見覚えのあるものがあった。




それは紛れもなく、真司の書いた本だった。



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