第8話 俺の目的地はあなただ



焦げた天ぷらがお弁当に入れられていた日の翌日から、裕子は自分から彼女自身の話をしてくれるようになった。彼女は昔から、人を驚かすのが好きだったこと、毎年誕生日にはサプライズされるよりも自分が周りを驚かそうと企んでいたこと、火傷をしてからはなるべく目立たないように生きていることなどを話してくれた。俺は彼女の話を黙って聞いた。




僕が自分から質問することはあまりなかった。彼女が言いたいことを言い終えるまでは、自分の意見も控えた。ここで「でも、火傷だけで済んでよかったよね。」みたいなことを言おうものなら、彼女はその思いを吐けなくなってしまう。顔の火傷は消えなくても、心の傷は消してあげなければ……。俺はアスク(質問)ではなく、ひたすらリッスン(傾聴)に徹した。




彼女の話はなかなか途切れなかった。今までため込んできた思いが噴出したのだ。俺は彼女の肩を優しく抱いて、彼女の口と、頬にある火傷の、激しい争いを見つめていた。残念なことに……勝者は頬だった。いくらしゃべっても火傷の痕が消えることは勿論ない。何時間かひとしきり話した後で、彼女は骨が抜き取られたみたいにぐったりと肩の力を抜き、口を閉じた。




それでも安心したことに、裕子は日に日に、だんだん心の平安を取り戻していった。彼女は聞き手を必要としていたのかもしれない。やがて、俺のことについても、いろいろと聞いてくれるようになった。




彼女は「料理を通して、お客さんに物語を伝える」という俺の信念に共感してくれた。5年後に開催される「料理人グランプリ」への気負いをスッと取り除き、代わりに情熱をくれた。俺の作る料理は、(傲慢かもしれないが)世界トップクラスになっていた。




それでも裕子は、どうやって火傷をしたのかについては語らなかった。決して語らなかった。もちろん俺に気を使ってのことだったなんて、この時は知る由もない。






やがて俺と裕子は付き合い始めた。この頃のことは決して忘れることができない。後に何度も夢に出てきたくらいだった。彼女は俺の前では、彼女でいられるみたいだった。俺も彼女の前では、本当に素直になることができた。俺は今までに4人の女性とお付き合いをさせてもらったことがあったけど、「もっと一緒にいたい。もっと彼女のことを知りたい。」そう本気で思わせてくれる女性は、裕子が初めてだった。そしてこのような女性はもう二度と現れないだろう、という予感もあった。








付き合い始めて、いったいどれだけの月日が流れた頃だっただろうか。デート中に俺が車を運転しているとき、彼女がナビを操作しながら顔をこちらに向け、「目的地は?」と聞いてきた。僕は反射的にこう答え、彼女も(おそらく)反射的にこう言った。




『俺の目的地はあなただ。俺はいつだって、裕子のもとに行きたいんだ。』




『それなら私は灯台になる。そしてあなたをいつも正しい場所へ導く。だからあなたはどんな時も、一直線に私を目指してきて。』




俺の突飛な発言も、裕子の即答も、もはや俺たちを驚かせることはなかった。なぜならお互いに、既に分かっていたことだったからだ。






裕子とは本当にいろんなところへ行った。遊園地に行ったし、博物館へ言った。北海道に行ったし、沖縄へも行った。とある大学にある、進入禁止の地下通路に入ったこともある。彼女はたまにナーバスになりすぎるけど、そんなことはどうでもよかったんだ。ホントに、どうでもよっかた。俺の望みはただこれだけ。どんな場所だって、裕子と一緒に行きたい。





真司を知れば知るほど、私は彼に惹かれていってしまった。彼は調理道具を大切にするし、人を大切にする。真摯に料理に向き合うし、それと同じくらい、私の問題にもしっかり向き合ってくれる。彼はたまに気障になりすぎるけれど、そんなことはどうでもいいのよ。本当に。私の望みはこれだけ。どんな時だって、真司と一緒に生きたい。





ある日俺は、「君のご両親に会わせてほしい。」とお願いした。彼女は何故かキッパリと断ってきた。それでも俺は折れずに、何度も何度もお願いした。単細胞なやり方かもしれないが、これが最も有効な方法だと、俺は信じていた。


「わk……わよ。」


「は?」


「わかったわよ。来週の日曜はどう?」


ついに彼女が折れた。俺は心の中でガッツポーズをした……つもりだったけど、全身でガッツポーズしていた。声も出ていた。おっしゃーー!!!



彼女は呆れたように、でもちょっと嬉しそうに、僕の方を見ていた。



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