吾輩起床、卯の刻のこと

「疲れた……」

 

 何だかもうどっと疲れた。

 いまならレベル99の勇者に苦戦するかもしれない。それくらい疲れた。


「ぽぺ」


 ばふりとベッドに転がると、白毛玉は吾輩の胸の上にぽすんと飛び乗った。そしてその上でコロコロと転がっている。うむ、やはりイルヴァたんっぽい。いや、何だろうもう確信に変わっているというか。これはやはりイルヴァたんだ。


 彼女はよくこうやって吾輩の上に乗っかり、ぐふぐふと笑いながら転がってみたりしたものである。うむ、やはりこれはイルヴァたん。


「イルヴァたんよ、お前がその姿を望んだのなら、吾輩はもう呪いを解こうとはせん。そのままの姿で何ら問題はない。共に生きていこうぞ」

 

 そう言って、ぽん、と手を乗せる。そのまま優しく撫でてやると「ぽぽ、ぽぽ」と嬉しそうな声を上げた。


 そうだ、問題はないのだ。何ひとつ。

 

 とりあえず今日はもう眠ろう。

 明日からまた忙しくなるのだ。事務仕事も溜まっているし、勇者がまたやって来るかもしれない。妃の見た目が変わったくらいでイチイチ騒いでどうする。吾輩は魔王なるぞ。





 ――ゴギャァァァア!

 ――グンヌルプス、シュヘデヤサナップ!

 ――ゴガッ、ゴガァァァアアアアアアア!


 おう、爽やかな怪鳥達のさえずり。もう朝か。


「――おはよぉ、アレックス」

「うむ、おはよう……」


 ――――!?


 ガバッと身体を起こす。


「うひゃあ! 何すんだ!」


 吾輩の上にいたらしいイルヴァたんがコロコロと転がり、布団の上に落ちた。座り直して腕を組み頬を膨らませている。


「も、ももも戻ったのか?」

「うん。ただいま」

「お……お帰りなさい」

「ていうか、アレックスもお帰り~」

「ただいま……。え? ていうか、え?」

「どしたん。アレックスどしたん」


 目の前に妻がいる。

 一週間ほど前に吾輩を送り出してくれたそのままの姿で。

 いつものように真っ黒いワンピースを着て。もっと王妃らしいきらびやかなネグリジェも用意しておるというのに、彼女は「これ、おっも。こんなんで寝られるか!」と言って脱いでしまったのだった。

 日中も同様である。ドレスは祭事等の時に渋々着るが、基本的には装飾のないワンピースが彼女の普段着だ。


「いや、え? どうしたもこうしたもだな。あれ? 吾輩何かした?」

「えー? なぁんもしてないよ。むしろなぁんもしてません」

「むしろ」

「あたし達夫婦なんだしさぁ、何かしたって良いのにさぁ」

「いや、何かするも何も!」


 空気穴しかない白毛玉に何をしろと!

 いや、ちょっとはしたけど!?


「ていうか、イルヴァたんよ、一体何がどうなっとるのだ。昨日まで真っ白い毛玉がだな」

「ぽ」

「そう、こういう感じの……?」

「ぽぷ」

「――ん?」

「ぷ」


「ええええぇええぇええぇぇえぇ??!!」


 お前はいるのかよ!

 そんじゃお前は誰なんだよ!


「どうなさいました、魔王様!」

「魔王様! 大丈夫ですか!」

「魔王様! お怪我は!」


 城中に響き渡ったであろう吾輩の声に、朝っぱらからすわ一大事と使用人達が部屋の前に集まりだし、どんどんとドアを叩いている。


「だ、大丈夫だ! ただの発声練習だから!」


 そんなこと生まれてから一度もやったことないがな!


 そういうことであれば、と大人しく持ち場に戻っていく従順な者もいれば、最後の最後まで疑ってかかる者もいる。むろん、エキドナである。


「いいえ、わたくしの耳は誤魔化せませんよ、魔王様。いまのは絶対発声練習などではありません。さぁ、ドアをお開けください」

「い、いや別にお前が気にするほどのことでもない」

「なりません! この目で確認するまでは! さぁ! さぁ! さぁ!」

「お前そんなにぐいぐい来るタイプだったか?」

「キャラ変したのです! さぁ、お開けください!」

「突然のキャラ変!」

「良いじゃん、開けたげようよ」

「――!!?」


 2対1! まさかの味方なしである。


 背中をぐいぐいと押されてしまい、吾輩は渋々ベッドを降りた。そして開かずの魔法を解く。すると、カチリという魔法解除の音が聞こえたのを見計らって、エキドナはガチャガチャガチャガチャとものすごい勢いでノブを回し始めた。

 まっ、待て! まだ魔法だけだ! 鍵の方は開けていない!


「いま開ける! 落ち着――」


 ――がちゃり。


「あれ? 開いた」


 ここの合鍵を作ることは許可していないはずだが?


 ぬるり、と顔を出したエキドナは何やら得意気である。その手にあるのはぐにゃぐにゃに曲げられている太めの針金だった。


 え? そんな空き巣みたいな方法で? 中に吾輩がいるのに? 吾輩が開けるって言ったのに?


「やっぱり市販の鍵は駄目ですねぇ。ザッツ・クソセキュリティ」

「いや、お前がその上をいっているだけだ」

「ドナっちゃんおはよー」

「おっはよ、ビョルク」


 エキドナは吾輩とイルヴァたんとで器用に声色と態度を変えた。一応『魔王秘書と王妃』という関係のはずなのだが、傍目にはただの女友達である。

 まぁ、良いけどさ。


 ていうか、お前は驚かないわけ?

 昨日さんざん吾輩と妃がいないっていうトークテーマで語り合ったよな?

 何でそんなにするっと事態を飲み込めるわけ?


「まったくもう、朝っぱらから何なんですか、騒々しい」

「いや、見てわからんか?」

「いえ?」

「お前、よくもそんな平然と……! 妃がここにいるのだぞ!」

「いたらまずいんですか?」

「ぇえっ? そういうわけでは……」


 ちょっと待て。何で吾輩ちょっと詰められてる感じなの?


「なぁにぃ、アレックスぅ。あたしがいたら駄目なわけ?」

「そ、そんなことは一言も言っとらん! いや、そうじゃなくてだな、これ! この毛玉が!」


 依然のんきに「ぽぽ、ぽぽ」とか言いながら転がっている白毛玉を両手でつかんで2人の目の前に突き出す。最早、多少乱暴に扱っても良いはずなのだが、何となく気が引けてしまう。何せほんの数時間前までこいつは我が妃だったのだ。


「おぉ~、もふたん!」


 もふもふ好きのイルヴァたんはすかさずその白毛玉を吾輩から奪い取り、気持ちよさそうに頬ずりしている。そしてエキドナはというと、それを目を細めて見ている。何かもういっそ我が子でも見つめるかの如く慈愛に満ちた目つきである。

 何なの、お前達。何その距離感。


「いやぁ、うふふ。何ていうかさぁ、?」


 ――ん?

 何が?

 

 初めてにしては、って何?


「え? ちょ、何? どういうこと?」

「え~? わかんないの?」

「わかるか!」

「わからないんですかぁ?」

「お前その顔止めろ、腹立つ! むしろこれだけの情報でなぜわかると思うんだ」


 エキドナは明らかに小馬鹿にしたような顔をしている。お前仮にも王に対して何でそんな強気に出られる? 逆に感心するわ。


「やはり魔王様も一度通っておくべきでしたね」

「通る? 何がだ」

「だから、呪いですよ。のーろーいっ」

「くっそ、その顔! おのれエキドナ!」

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