【おまけ】式前夜の吾輩と先生
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「ぐむむ……」
ベッドの上である。
吾輩の妃(予定)である先生(正式に妃となるまではこう呼べと言われた)は、腕を組み、眉と眉の間に深いシワを刻んでいる。
「そんなに難しいことは言っとらんのだが」
「いやいや、それはね、魔王君が判断することじゃないのよね。受け手が難しいと判断したわけ。しちゃったわけ」
「むぅ……。だからこのようにわかりやすく……」
「だから、それよね」
そう言いながら先生はそれを指差す。
それとは、吾輩と先生との間に置かれている一冊の本である。固い表紙を開き、それが閉じてしまわぬようにと先生は膝でその端を踏んでいる。
厚さは15センチといったところか、まぁさして分厚いもんでもない。ただ恐らく問題なのは、それがだいたい先生の胴体と同じくらいの大きさがあって、且つ、ページいっぱいに文字が印刷されているという点だろう。
「この本ぜーんぶ魔王君の名前とかおかしくない?」
「いや、おかしくない? って聞かれてもだな。現にこれ、吾輩の名前だしな?」
「いやいやいやいやおかしいって。何で? 何でこうなるの?」
「何でと言われても……。ううむ、そうだ、例えば……」
「ん? 例えば? 例えてみてよ。わかりやすくね。わかりやすく、だよ?」
「うむ。努力しよう」
とりあえず聞く体勢にはなってくれたらしい。ただ、座り直したせいで表紙は閉じられてしまったが。
「恐れ多いが、初代魔王の名前を便宜上①としよう」
「オーケイ、①ね。うんうん」
「その次、2代目の王となる者を②としようか」
「良いよ良いよ。かなりわかりやすいよ、いまのところ」
「ただし、その②という名は就任前の名なのだ」
「へぇ。そうなんだ」
「就任すると前魔王の名をも受け継ぐこととなり、『①・②』という名になる」
「へぇ――……。もうそうなると嫌な予感しかしないよね」
「ここまでは良いか?」
「うん、まぁ、何でだよ感が半端ないけど、とりあえずオーケイってことにする」
先生が頷いたのを見て、吾輩はひとつ咳払いをした。ここからが本番なのである。先生はというと、やけに神妙な面持ちで吾輩をじっと見つめている。
「さて、問題はここからだ。『①・②』の弟妹ないしは子、つまり次期魔王だな。彼もしくは彼女を③とするが、前魔王の名を受け継ぐとなった場合、『①・②・③』とはならない」
「何でよ! 『①・②・③』も結構納得いってないけど! 何でよ!」
「まぁ落ち着け先生よ。これはもう『そういうもの』と思ってもらう他ないのだ」
「むぅー」
先生はかなり不服そうである。そろそろサンドイッチを投入すべきかもしれない。案ずるな、合図は決めてある。
「――ごほん。で、だ。③の名について、だが。結論から言うと、『①・①②・①②③』という名になる」
「何でよぉっ!!!」
たまらず先生は声を荒らげた。
いまだ、とばかりに頭に盆を乗せたフェンリルが飛び込んで来る。先生が大声を出したら入ってくるようにと伝えてあったのだ。
「わお! お夜食登場! しかももふもふわんこ!」
先生好みの生き物(しかも大好物と共に)が乱入して来たことにより、彼女の機嫌は一時的に回復した。
よしよし、良いぞフェンリル。あとで臨時ボーナスだ。わんこと呼ばれてしまったことはそれで水に流してほしい。
「……ってことは、だよ? さらにその次が④って名前だとすると、『①・①②・①②③・①②③④』って名前になるってこと?」
もぐもぐとサンドイッチを咀嚼しつつ、先生は問いかけてきた。何だ、しっかり理解出来ているではないか。
「さすがは先生。その通りだ。もちろん例外はあるのだが、それで概ねあっている」
「何? 例外って」
「うむ。例えば勇者に倒されるのではなく、例えば死因が病死であったり、暗殺なんかだったりすると、その名は一時的に封印することになっている」
「ほぇー。何で?」
「まぁ、縁起が悪い、というかな」
「担ぐのね。験を担いじゃうのね」
「うむ、一応な」
珍しく先生が吾輩にもサンドイッチをひとつ勧めてくれた。遠慮なくいただこう。
――おぅ、これめっちゃ辛いヤツ。
「でもさー、一時的に封印ってことはよ? ある程度経ったら復活するわけ?」
「そうだ。仮に病死した者を⑤とするとだな、まぁだいたい⑳くらいでひょっこり現れる」
「⑳って……。もう考えたくないんだけど」
先生は、ぱたり、と後方に倒れた。そして、よいしょ、と言いながら折っていた足を伸ばす。
しばらく足をばたつかせながら「うがー、うがー」と吠えると、「あ」と言ってぴたりと止まった。
「どうした、先生よ」
盆をテーブルの上に起き、先生の顔を覗き込む。すると彼女は何か企んででもいるような悪い顔でにんまりと笑った。
「ってことはさ」
「何が『ってこと』なのかわからんが」
「魔王君にも就任前の名前があるってことじゃんか」
「もちろん」
「それは何ていうのよ。短いんでしょ?」
「そりゃもちろん」
「教えてよ、そっちで呼ぶから」
「アレクサンドル……」
「おぉ、短い! やりぃ!」
「いや、まだ続くが」
「あ、そうなん? ごめんごめん。続けて?」
「ヴィックトロイゼン・ナゲンバウム・ゴーハンザー……」
「え? ちょ……」
「ラナガビショップ・ネフ・ツェッダプフェン・ザーラナーガ・ジャン・ゴルダバ・ビョルク・マグヌス・……先生、起きろ」
途中から嫌な予感はしていたのだが、案の定、先生は目を閉じて寝息を立てていた。
「――ん? あぁ、終わった?」
「終わっとらんわ。まだ3分の1だぞ」
「はぁ? マジ? 短いって言ったじゃん!」
「短いぞ? 兄者達に比べたら吾輩の名なぞ半分以下だ」
「何でよ」
「何でも何も、ネタが尽きたのだろう。何せ吾輩は185人兄弟の末っ子だからな」
「全然尽きてない。尽きてるって言わんから。あんね、あたしなんか元アウロラだからね。わかる? 四文字! しかも会ったこともない占い師のばあちゃんがつけたヤツ!」
「うむ。そうだったな。しかし案外悪くなかった。先生によく似合う美しい名だ」
「どさくさに紛れて改名したけど、それでも『イルヴァ』だかんね!」
「それも先生によく似合っている。気高く美しい獣のようだ」
うんうんと相槌を打っていると、調子よくしゃべっていた先生が「ぐぅっ」と喉を詰まらせてその動きをぴたりと止めた。彼女の頬がみるみるうちに赤くなっていく。
――お? 先生、『
「……い」
「ぬ? どうした先生」
「いいいイチイチ褒めんなぁ――――――――――――!!!」
「!!??」
先生の大声に、再びお夜食部隊(フェンリル2匹め)の登場である。
先生は頭の上の盆には目もくれず、彼の首の下の毛をさわさわと撫で始めた。撫でられているフェンリルの方はというと少々困惑気味ではあるものの、そう悪いものでもないらしく目を細めている。うん、わかる。先生は撫でるのが上手いのだ。
「もふたん……。あぁ、あたしの癒し。もふもふもふもふ。ずっともふれるこのもふもふ……」
「なっ……! 先生よ! 吾輩だってもふもふにはなれるのだぞ!」
「あははー、魔王君焼っきもちぃ~? うへへ、魔王君のはあとでたっぷりもふってやんよ」
「う、うむ……そういうことならば……。おい、もう下がってよろしい」
ううむ、あの状態の先生をこんなに落ち着かせるとは、こいつにも臨時ボーナスだな。全く、優秀な部下を持つと大変だ。
「ああん、もふもふわんこたん!」
先生は名残惜しそうに、去り行くフェンリルに手を伸ばす。吾輩はとりあえず半獣人の姿になることにした。これくらいならばこの部屋でものぼせることはないだろう。
「わお! 魔王君ちょいもふ!」
「うむ。どうだろうか」
「良いねぇ良いねぇ。毛足は短めだけど、手触りサイコー。あとこの謎のぐるぐるした角が良い。シナモンロールみたい。美味しそう!」
「そうだろうそうだろう。これはまさしく先生から聞いたシナモンロールとやらをイメージしたのだ。正しく伝わって何よりだ」
先生は何やら楽しげに耳の上にある2つの角をつんつんと指で突っついている。そこは全くもふもふではないのだが、良いのだろうか。
「ねぇ、魔王君さ。まぁ、式の時は仕方ないからどうにか頑張るけどさー」
「む?」
「普段はさー、名前で呼びたいわけよね、あたし」
「うむ。それは構わん。では続きを――」
「止めれ」
「ぬ?」
「正式なのは良いや。式の時まで取っとく。つまり、一番最後に読むのがそれなのよね?」
「そうだ」
「だったらそん時だけちゃんと起きとくから」
「寝てても良いが、目だけは開けておいてくれ。示しがつかん」
おう、角をなぞるな。くすぐったいわ。
「無茶言うなぁ、アレックスは」
「――む? アレックス?」
「そ。奇跡的に覚えてたのよね、一番最初のヤツ。アレクサンドルだったよね? だからアレックス」
「ふむ」
「これからあたしはそう呼ぶから。でも、あたしだけだよ、そう呼んで良いのは」
「成る程、妃の特権というわけだな」
「妃っつっても、第2夫人とかでも駄目だから。あたしだけの名前なの。第2夫人は自分で考えてもらう感じ。名前たくさんあるしね」
「そうか。しかし、いまのところ、第2夫人の予定はないぞ」
「ほぇー、そうなん」
「うむ。全員の相手が出来るほど吾輩は恐らく器用ではないしな。先生と100人くらい子を作れば問題はない」
「いやそれめっちゃ問題ありまくりだわ」
「え? 何で?」
「何でとかよく聞けたよね。あたしレベル1つったろ。っつーか、レベル99でも無理だわ。人間辞めんと無理だわ」
「そうか。では少数精鋭ということで50人くらいか」
「もうねこの場合、100人と50人ってそう大差ないから。アレックス、人間について無知過ぎる」
「す、すまん……」
確かに人間の身体的な部分については不勉強だったかもしれない。精神面の方はだいぶ理解してきたように思うのだが。
「まぁ、子どもの件は一回置いといてさ。やっぱあたしもレベルは上げとかなきゃだよね」
「どうした急に」
「いや、いくら人間の妃だってさ、いちおあたし元勇者なわけだし? 鍛え方次第で戦力になれると思うのよね」
「ふむ、それは確かに一理あるが……。まぁ、必要なかろう」
「何でよ。頼りになると思うよ? 勇者しか使えない魔法だってあったはずだし。それに弱いまんまだったらアレックスの足手まといになっちゃうよ」
「何、問題はない。先生が足を引っ張ったとて、もう誰にも負ける気などせん」
「うっわ、マジ? 何ちょっと恰好良いこと言っちゃって」
「だってそう先生が教えてくれたのだぞ?」
「へ? あたし?」
「大事な人がいると、有り得ん力が湧いて来て、いまより強くなれるのだろう? 現時点でレベルMAXのディートハルトすら吾輩の足元にも及ばなかったのだ。先生がいれば吾輩は無敵だ。フハハハハ!」
「うっわ、引くほどの自信家……」
「ふん、自信家でもなければ魔王などやってられんわ」
フハハ、ともう一度笑ってから、うぉっほん、と咳払いをし、真正面から彼女を見つめ、その小さな手を取る。
「なぁ先生――、いや、イルヴァよ」
漆黒の髪は濡れたように艶めいており、まるで星々の瞬く夜空のようである。
長い睫毛に縁どられた大きな瞳は涙の膜でうるうると輝き、ぷくりとした唇はなぜかいつも半開きだ。
「なぁによ、改まっちゃって」
吾輩が人の形になったとしても、彼女の身体はそれよりもかなり小さい。そうだ、体格の差というものがあるのだ。さすがに100人は無理だろう。そりゃそうだ。50人? それも確かに酷な話である。ちょっと考えればわかることではないか。吾輩としたことがついうっかりうっかり。ならば――、
「では、35人で手を打とう」
「殺す気かよアレックス」
吾輩は、魔王。
名前は、一応ある。結構由緒正しい系の、長ったらしい上に、当人ですら舌を噛みそうになるくらいのやつが。でも、皆、『魔王』って呼ぶし、その方が役職的な部分までカバー出来るから、じゃあもう魔王で良いよねってことになっている。けれど――、
名前で呼ばれるというのもそう悪くはない。
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