吾輩、いつの間にか妻帯者に?

『魔王様、もしやその娘、我々への【差し入れ】ですか?』

『なっ……?』

「ねぇ、いま何て言ったの?」

『人間のメスって柔らかくて甘味があるんですよねぇ』


 まだ若い紅竜はそう言うと目を細めて舌舐めずりをした。口の端から涎がポタリと落ちる。


「ちょっと魔王君? ねーぇ、何て言ったの~?」


 い、言えるか! 正直になど!


「えぇと、その、とても美しい人間だと言っておる」

「えー? 涎垂らしてんじゃん。あたしのこと本当の意味で食べようとしてない?」

「まっ、ままままさか! あまりの美しさについ涎が出てしまっただけだ! 紅竜はそういう習性があるのだ!」

「へぇ――……。あんまし知りたくなかったなぁ、そんな習性」


 だとしたら吾輩もつきたくなかったわ、こんな嘘!

 本気でドン引いた顔しおって!


『魔王様、どうなさったのです』

『いや、その、これは【差し入れ】ではなくて、だな』

「また2人だけで楽しそうにお話ししてー!」

「別に吾輩は楽しくなど……!」

「ちゃんと紹介してよね、あたしのこと」

「わ、わかっている」


 しかし、「これは吾輩の『先生』です」なんて言えるか? フツー言えなくない? そもそも吾輩が人間(しかも元勇者)を家庭教師として雇っているなんて誰にも言っていないのだぞ? 相談役のフルカスにも言っていない超超超超超超超超極秘事項なのだぞ? 


「ンモー、早く早く」

「いや、早くと言われても、だな」


 いまもうちょっと上手い誤魔化し方がないか考えておるのだ。


「早く早く」

「せ、急かすな!」


 先生……はまずい。たまたまここに向かう途中で出会って意気投合して……って、そんな浅い関係なのにもう背中に乗せちゃうのか、吾輩は! 女にだらしないヤツだと思われてしまう。ていうかそれ以前に「えっ、魔王様、人間のメスもイケる口なんすか」みたいな感じに絶対なる! い、いや、まぁあのトロルの娘よりかは、人間のメスの方が……。あーでもなー、先生の話だと結構人間のメスって面倒くさいらしいんだよなぁ。――って、あれ? 先生も人間のメスか、一応。何か教科書の中のメスとだいぶ違うからすっかり忘れてたわ。


 などと余計なことを考えていると、吾輩の態度にしびれを切らしたらしい先生がすたすたと紅竜の前に出た。


「おぉーい、竜さーんっ。もしもぉーしっ」

『――なっ? 何だっ?』

「ねぇねぇ竜さんこんにちは」

「おい先生、あまり近付くと危険だぞ。お前、レベル1だってことを忘れるな」

「だぁ~いじょうぶよ。フツー魔王様の連れに手なんか出さんでしょ」

「ま、まぁそうだが……」


 一体何をする気なのだ、先生よ。もうちょいで何か思い付きそうなのだ。あまりおかしな行動をとるでない、気が散る!


「あたし、魔王君の奥さんだよー。どうもどうもー」

「――はぁっ?!! ちょ、ちょ!?」

『魔王様、この娘は何と……?』

「人間の言葉じゃ伝わんないかなぁ、やっぱ。えーっと、アタシ、カレノ、ツマ、オーケイ?」


 オーケイ、なわけあるか――――いっ! いつの間にそんなことになった!?


 先生は大袈裟な身振り手振りを交え、懸命に言葉の通じない相手にどうにか伝えようと躍起になっている。


 人差し指で自分を差し「アタシ」、

 次に吾輩を差して「カレノ」、

 そして最後に吾輩の腰にしがみついて「ツマ」である。

 

 ま、まぁそんなもので伝わらんとは思うが……。伝わらんよな?


『魔王様、この人間は先ほどから何を……?』

『いや、あまり深く考えんでよろしい』

『しかし、何度も同じ動きをしております。何かとても重要なことを我々に伝えようとしているのでは……』

『ま、まっさかー』


 そんな会話をしている間にも、先生は同じ動きを何度も何度も繰り返している。竜族が人間の言葉を理解したという事例は報告がないので、先生がどんなに頑張ろうとも真意が伝わることはないと思うが、しかし……。


『……もしや、魔王様』


 ――ぎくり。


 そう、可能性というのは0ではないのだ。

 熱意がそれを打ち破ることだってある。熱意やら情熱、そして愛が言語や、種族の壁を超えることだって充分有り得るのだ。

 ……と、これも先生から学んだのだが。


『その人間……』

『い、いやその……。これにはふかーいわけが、というか……、吾輩としてもさすがに寝耳に水だったというか……。まさか吾輩もいつの間にそんなことになっていたのか……』

『いえ、とてもお似合いかと』

『おっ、お似合い?!』

『えぇ。――なぁ、皆』


 リーダーが同意を求めると彼らは一様に『確かに』『ごもっとも』などと吠え出した。


「ちょっと、どうしたの? 何か興奮してない? ギャオーンギャオーンってうるさいんだけど」

「いや、何ていうか……。吾輩と先生が『お似合い』だと」

「ぷひょっ!? マジで? ちょい照れるんだけど」


 先生は「にゃははー」と笑いながら吾輩の尻をバシバシと叩いた。もちろん全く痛くはない。最近じゃ先生も学習してきたようで、ついうっかり骨を粉砕することはなくなった。見ると、袖でぐしぐしと鼻を拭いている。驚きのあまり鼻水が飛び出したようだ。きったねぇ。だからそれをさらに吾輩のマントで拭くなっちゅーに!


 ま、まぁ伝わってしまったのなら仕方がない……のか?

 いや待て。吾輩は先生を娶った覚えなどないのだが。

 もしかして寝言か何かでそんなこと言ったのかな?

 

『しかしやはり魔王様はお洒落でいらっしゃる』

『――は?』

『生きた人間を使った腰飾りとは、さすが魔王様』

『――こ、腰飾り……?』

『粋ですねぇ。城下町の方で流行ってるんですか?』

『え……、えっと……、い、一時的な流行……というか……、局地的というか……、吾輩だけ……というか……』

『成る程、さすがファッションリーダー!』


 と、とりあえず、一件落着、ということで……良いのだろうか?


「おっ似合い、おっ似合い、ふわっふー」


 先生は何だか浮かれているし、紅竜達は『俺もやってみようかな』などと騒ぎ出した。

 いやたぶんお前達の腰に人間を括りつけたら高山病で死ぬんじゃないのか? それだと『生きた人間を使った』ことにはならないわけだが……。まぁ、好きにすれば良いが。


 

 

 先生の登山欲は恐らく満たされたらしく、下山を促すと案外あっさりとOKを出した。そうと決まれば先生の気が変わらないうちにGOである。これ以上面倒なことになるのは御免だったし、既に先生は充分面倒なことになっている。


「――なぁ、先生よ」

「何かね、魔王君」


 行きと同じように吾輩の背中に乗った先生は、毛皮をさわさわと撫でている。すぐに消えてしまう回復魔法の黒豹と違ってこちらは撫で放題だからな。

 先生は何だかとても上機嫌で吾輩が聞いたことのない歌をふんふんと歌っていた。


「吾輩、いつの間に先生を娶ったのだろうか」

「――はぁ?」


 声色だけでもわかる。

 いまこの瞬間、先生は猛烈に気分を害した。

 

 やっべぇ。何かわからんが地雷踏んだ。


「い、いや、間違えた。いまのは忘れてくれ」

「ふーん。なら良いけど。さーって、アイツ捕まえに行こっか」

「そ、そうだな。あまり遅くなるとあのハゲがうるさいからな」


 まぁ、良くはないんだがな!!!


 とりあえずこれに関してはいまの仕事が片付いてからにしよう。問題を先送りにするのは好ましくないが、この場合は仕方がない。先生の機嫌を損ねないように言葉を選んだり、もしもの時のために『機嫌回復アイテム(食い物)』も用意せねばならんから、絶対に長期戦になる。まずはちゃっちゃと片付けられそうな方から終わらせなければならない。


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