召喚!! 黒蝶々と黒豹!

「ていうか吾輩、ちょっと気になることがあるんだが」

「ふぁ~ふぃ~」


 天敵トマが晴れてこの世から消滅したという知らせを受け、先生は、すっかり安心したらしい。大好物であるサンドイッチ(具は妖精の粗みじん切りと若人魚のマリネ)を頬張ってご満悦である。


「口の回りがすごいことになっているぞ先生。ほら、顔を上げんか」

「うぃー、うふふぅ。ありがとー。それで、何だっけ?」


 濡れた布巾で丁寧に拭ってやると、先生は何だか恥ずかしそうに笑った。


「いや先生よ。さっきトマを蹴ったな」

「うん、蹴った。あーいまさら足痛くなってきちゃった」

「そりゃそうだろ。どう見ても先生の倍はありそうだったからな。身体の大きさも重さも」

「だよね~。いや~、マジで痛くなってきた。――うっわ、ちょ、見て。腫れてない? ねぇ、右と左で大きさ違うって、これ!」


 そう言って先生は吾輩にその小さな足を差し出した。そう言われてみれば左右で大きさが違うようにも見えるが、吾輩にしてみれば誤差の範囲内である。


 ちなみに先生が身に付けている衣服は、彼女が自分で仕立てたものである。さすが縫製工場で働いていただけあって、それくらいはお手のものらしい。既製品を買ってこさせようと思ったのだが、「でもさ、それ誰が着るのって話にならない?」という至極全うな指摘を受けたのである。まだ元勇者の先生をここで雇っていることは誰にも言っていないのだ。


 というわけで、替えのベッドカバーやらカーテン、吾輩のマントを加工したダークトーンのロングワンピースが彼女の普段着だ。腫れている(らしい)のは右足の甲のはずなのに、どうして膝上までめくる必要があるのか。しかし、白いな先生は。今日のワンピースは黒だから余計にその白さが引き立つ。


「ふむ。正直吾輩にはよくわからんが、先生が痛いというのなら――」


 先生の右足の甲に手をかざし、目を閉じる。手のひらからはらはらと黒い蝶々が産み出され、彼女の足に音もなく着地した。黒蝶々はまるで花の蜜でも吸うが如くに先生の痛みを吸い取っていく。


「どうだ、先生」

「ほぉ~、痛くなくなった~。魔王君の魔法って面白いね。むかーし一緒に旅してた治癒師のおっちゃんの回復魔法はさ、ピカッて光っておしまいっ! って感じだったんだけど。まさか蝶々が治してくれるとは。案外メルヘン」

「魔法など、使う者の数だけあるのだ。得られる効果は同じでも、魔力の大きさやら感性やらで演出は異なる。いや、それよりも、だ」

「うん、何だっけ」

「トマを蹴ったという話だ」

「ああ、うん、蹴った蹴った」

「あれはおかしくないか」

「だからおかしい男なんだって。そもそも一回りも離れてる近所の女の子をつけ回してる時点でさ――」

「そうではなく。おかしいのは先生の方だ。いつの間にそんなレベルを上げたのだ? 吾輩が不在の時に特訓でもしているのか?」

「はぁ?」

「あれは少なくともレベル1の蹴りではないぞ」

「あぁ、そゆこと」


 もしかしたら、例の『噂のトゲトゲ』のように壁をすり抜けて侵入してくる外敵がいるのかもしれない。吾輩にはまったく無害なところを見ると、よほど弱い生き物(だとしてもレベル1の先生には脅威かもしれぬ)だとは思うが。もちろん、そいつとの戦いによって先生のレベルが上がるのは結構なことだが、それよりもトゲトゲといい、そいつといい、鉄壁を誇っていた我が寝室よ、易々と侵入を許しすぎではなかろうか。


「吾輩がいない間、何かしらの敵と戦っているのではないか?」

「うんにゃ? そんなことないよ」

「とすると、やはりひとりで特訓を……?」

「するわけないよね」

「むむぅ」


 なぜだ。まったくわからん。

 ここはひとつ、研究主任にのみ事情を話して先生の身体を調べてもらうべきか。


 首を傾げ、うんうんと唸っていると、先生は眉と眉の間に深いしわを刻んだ険しい顔で吾輩の前に仁王立ちした。そして、「はぁぁぁあああ~」と肺の中の酸素をすべて吐き尽くすかのような長い長いため息をついた。

 おい何だ、新手の自殺か? さすがにそれは無理なんじゃないのか?


 しかし彼女は吐き出した分の酸素を「すぉぉぉぉおおお……」という音付きで補充したのである。何だ、ただの深呼吸か。


「先生は悲しいよ」

「何だ、どうした」

「魔王君、しっかり復習はしているのかね」

「何だ、いきなり授業の時の口調になりおって。吾輩、予習復習は欠かしたことなど――」

「だとしたら、まだまだですなぁ。定着してないってことですなぁ」

「だから何なのだ」


 自分で言うのも何だが、吾輩はかなり勤勉な方だと思うし、成績だって決して悪くはない。現に昨日だって先生は『よくできました☆』の判子を押してくれたではないか。


「あーもー、これ、いっちばん最初に教えたヤツなんだけど!」

「一番最初、とな? 教科書の最初のヤツか?」

「違うよぉ、初めて魔王君に会った時! あたしが勇者として乗り込んで来た時! もぉ~、あたし言ったじゃんかぁ」

「ふむ、それだってしっかり覚えておるわ。相手のことを思って『きれいだ』とか『愛している』などと言いながらボディタッチをするのだろう?」


 ふふん、どうだ。ばっちり覚えていただろうが。


「あー、そっちじゃないや。そっか、そんじゃ2番目に言ったヤツかな」

「むむ。2番目の方か。とすると――、あれか、大事な人がいると、平時では有り得んほどの力を出せる、というヤツか」

「おぉーさすが。覚えてたのね」


 フハハ、やはりきちんと覚えておるわ。吾輩舐めんな。


 ――ん?


「ちょっと待て」


 何かおかしくないか? 


「どしたん?」

「いや、あれ? 何かおかしい。何だ、何かが引っ掛かる」

「どしたん? 魔王君よ」

「いや、ということは、だ。吾輩が先生の大事な人になってしまうのだが」

「そうなるよねー」

「なるのか? 吾輩、『人』ではないのだが」

「っあー、そゆことね。額面通りに受け取った感じね。成る程、成る程。納得しました先生。あんね、魔王君ね、この場合の『人』ってのはね、『人間』って意味じゃないのよ。何でも良いの。ただ、大多数の人間は大事な相手っていうと人間のパターンが多いから、ついついそう言っちゃっただけ」

「何だ。そういうことか。――いや、だとしても、だな」

「何よ」


 何だ。胸がもぞもぞするぞ。魔ダニでも鱗の隙間に潜り込んだか? いや、今日は会議があったから、風呂なら朝に入ったし。先生が洗ってくれるようになってからは魔ダニにやられることもなくなったしなぁ。


「吾輩、先生の大事な人なのか?」

「あったり前じゃん」

「何と、当たり前だったのか」

「生徒が大事じゃない先生なんかいないんだよ。魔王君はあたしの生徒第1号なんだから」

「おぉ、成る程。ということは、やはりまだレベルは1なのか?」

「たぶんね」


 先生は小さな手をぎゅっと握り、「試してみようか」と笑った。うん、相変わらずまったく痛くなさそうな拳である。


「よし、試してみるが良い、先生よ」

「これでもしあたしの拳が砕けたら、責任とってね。魔王君の身体が硬いのが悪いんだからね」

「む。また吾輩のせいにする。しかしそれもまた一理ある。よろしい、きちんと責任は取ろうぞ」


 案ずるな、先生よ。その拳が砕けても、吾輩が責任を持って完治させてやろう。


「ぃよーっし、言ったな。――たぁぁっ!」


 一応、一番柔らかい腹の部分に先生の拳が当たった。割と良い当たりだとは思う。たぶん生身のトマにヒットしていたら、胃の中のものをすべて吐き出すくらいの威力はあったと思われる。そこはさすが元勇者といったところだろう。やはり素質はあるのだ。

 しかし、相手が悪かった。


 いくら一番柔らかいといっても、こちらはレベル999超えの魔族の王である。レベル1の元勇者のパンチなど魔ダニ以下のダメージしかない。


「……ぃぃ」


 先生は、その場にうずくまり、呻くような声を上げた。


「だっ、大丈夫か、先生よ」

「大丈夫じゃないぃぃぃ~。痛いぃぃぃ~」


 涙目で差し出しされた右手は一目で『大丈夫じゃない』とわかる状態になっていた。肘から下の骨がぱきぱきに折れているようで、洗濯をして干す前の反物のようになってしまっている。どうしてそんなことになる?!!


「うわぁん、痛いぃぃ~!!」

「おおお落ち着け先生よ。いますぐ! いますぐ治す! ぬぅぅ!」


 いや、あんまり先生が騒ぐもんだから、さすがの吾輩もちょっと焦ったんだな。先生にしてみれば瀕死の重症かもしれんが、ダメージを数値化すれば、所詮は20~30程度なのである。ただ、先生のライフが30くらいだってだけで。――ん? それじゃ先生死ぬんじゃね?


 ということで、本来であれば下位の回復魔法で済むはずだったのに、上位の方を使ってしまったのである。下位は先ほどの黒蝶々で、上位は、というと――、


「うわぁ、可愛い猫にゃん~! もふもふ~!」

「先生、それは猫ではなく豹だ」


 先生よりも一回りも大きな黒豹が、彼女を包むようにして寝転がり、折れた右手をぺろぺろと舐めている。痛みを舐めとり、同時に骨を修復していくのだ。


 先生から猫呼ばわりされた黒豹は、それでも気分を害することもなく職務を全うし、ふ、と消えた。


「ああん、猫にゃん! アンコール! アンコール!」

「アンコールと言われても」

「もふもふ猫にゃん!」

「いや、無傷の者には見向きもせんぞ」

「ちぇー、ケチぃー」

「ケチとかではなく!」


 先生は口を尖らせて、ぷい、とそっぽを向いた。その小さな握り拳をぐいぐいと吾輩の脇腹にめりこませながら。


 おい、それ以上やるとまた折れるぞ先生よ。

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