第13話 相撲・組討・捕手・小具足・腰廻

 「日本は武道の国」

と言われることがあります。


 現代でも剣道・柔道・空手・合気道・少林寺拳法・居合道・なぎなた・弓道・相撲に古い柔術や剣術、薙刀、棒術、さらに色々な格闘技や諸外国の拳法や武術が習えます。大相撲は色々とスキャンダルが多いですけど、相撲が国技だ、なんて話もあります。


 題名のとおり、この記事では基本的に日本刀を使う武術の歴史を主題にしています。ですが、現代の日本では武術といえば素手でのイメージが強いと思います。それに、実際のところ、日本古来の素手の武術は日本刀の存在と切っても切れない関係にあります。


 ですので、今回から少し、日本の素手(もしくはそれに近い)武術について書いていきます。


日本に昔からある素手の武術といえば、カラテと柔道(柔術)になると思います。(相撲は武術か、というと微妙です)

 カラテは沖縄という現在は同じ国とはいえ、かつては独立した王国で、やや文化的にも違う島の武術なので除くと、柔道(柔術)や相撲が日本の古来の素手の武術になるかと思います。


 多くの方がご存じだと思いますが、現代の柔道(講道館柔道)は明治初期に起倒流きとうりゅう天神真楊流てんじんしんようりゅうを学んだ嘉納治五郎かのうじごろうによって創始された武道です。明治期の講道館柔道と古流柔術こりゅうじゅうじゅつ(当時、古流柔術という言い方はしなかったと思いますが)との試合はよく知られているところです。


 現在、講道館柔道は世界に広まり、現在は世界中で学ばれています。(ちなみに、講道館が世界に広まる前に、柔術の修行者たちが世界中に柔術を広めていて、英語の辞書に柔道の前に柔術が載っていた、というのも結構知られている事実です)


 で、やっと本題に入ります。


 日本の素手での武術はいつ登場したのでしょうか?

 人間が闘争するのはそれこそ人間になる前からだと思いますし、当然素手での闘争技術はどんな文化にも存在しています。そういう意味では剣術以上に創始期について考えてもあまり意味は無いと思います。特に相撲は世界中に類似の格技が存在しています。日本でも平安時代以前から行われていましたし、ちょうどいまチャンピオンで連載しているバキ道ではないですが、野見宿禰のみのすくね当麻蹶速たいまのけはやの逸話は日本の格闘技の原点として語られる事もあります。


 鎌倉時代以降、相撲は武士の組討くみうちの訓練としてもおこなわれていたとも言われています。織田信長が土俵を作るまで、日本の相撲も世界中の多くの相撲、レスリングの類と同じで、特に場外負けという決まりは無かったようですから、これがそのまま戦場での組討の基礎となっていたようです。江戸初期の柔術流派の中には、はっきりと相撲との関係を記載しているものもあります。


 一方、一般的イメージだと、

「日本の柔術は、戦場で行われていた相手にとどめをさす組討くみうちをその源流として戦場で発生した」

 とイメージされているのではないでしょうか。ちょっと検索してみましたが、WEB上の解説や、百科事典の説明もそのようになっているようです。


 では剣術という言葉が戦国時代以前はあまり使われていなかったように、柔術という言葉はどうでしょうか?記録を見ると、日本に柔術、やわらやわらという言葉で素手の体術を表現しはじめたのは、江戸時代に入る頃のことだと思います。(もう少し前から使われていたのかもしれませんが、使用例が知られているのは江戸時代になってからだったと思います)


 それ以前、素手やそれに近い状態での武術はなんと呼ばれていたでしょうか?それが今回の題名になっている、捕手とりて腰廻こしのまわり小具足こぐそくなどです。当然ではありますが、組討くみうちという言葉も使われていました。

 そして注意する点として、これら室町時代の武術は両者、もしくはどちらかが武装しており、『(彼我ともに)素手が原則(基本)』という現在の格闘技とは別の存在だったという点です。そういう意味では、相撲が現在の格闘技や素手の武道に近い存在だと思います。



 捕手とりて

 この中の捕手(取手とも書きます。とりて、とって、とりで、などと読みます)は、現代のイメージでは逮捕術たいほじゅつが近い技術です。

「戦乱の時代に逮捕術?戦場では相手を殺すのではないの?」

 と思われる方もいるかもしれません。ですが、江戸時代の史料では、捕手は戦乱の時代の技である、と書かれています。



 その理由は単純です。


 戦乱の時代では、戦場、日常関わらず怪しげなものを捕える、乱心ものを捕える、などこの種の敵を捕縛ほばくする技術が必須のものだったのです。殺してしまったら利用価値が無いですしね。(余談ですが、戦乱の時代ではそれなりの立場の武士が捕手を学んでいてもおかしくない、必要な技術である、と考えられていたようです。ですが、世の中が平和になった江戸時代中期には「まともな武士が学ぶ技術ではない、方役人かたやくにんの技だ、不浄な技だ」とされた地方も多かったようです。)


 具体的には後ほど書きます、戦国時代に創始された竹内流には、流派の重要な五つの捕手技、神伝しんでん捕手(粋家すいかの捕手、捕手いつツなど色々な書かれ方をされています)というものがあります。武装(太刀や大脇指おおわきざし)をして座って居る(もしくは立っている)敵を、こちらから飛びかかり、顔面に当身あてみをくらわせながら手を取り、更に当身を入れながら後ろに崩し、さらに当身を入れながら倒し、さらに当身を入れて取り押さえ…というような技で、現代的感覚から言えば「それは逮捕術なの??」と思ってしまう様な荒っぽいものです。生きていればよい、くらいの認識だったのでしょうか。


 想定も、たちすわりのほかに風呂場で背中を流しているところから取り押さえる、並んで座っている時に隣の人間を取り押さえる、などがあります。如何にも乱世の技という感じです。これらの想定は後世創始される江戸時代の捕手の流派でもよく見られるものです。


 捕手とは、刀(太刀)や脇差を帯刀している相手の不意をついて殺さずに捕り抑える武術と言えます。



 腰廻こしのまわり小具足こぐそく

 腰廻こしのまわりについては語源がよくわかりませんが、竹内流たけのうちりゅうが使用していることで有名な言葉です。腰のまわりのもの(脇差わきざしなわ短刀たんとうなどなど)を使用する武術、という説がありますが、これが技の内容と合致して一番しっくりきます(※1)。小具足は小具足姿こぐそくすがた(※2)と同じように身を守れる、という意味だという説があります。ただし、使用例を見ると、小さい具足ぐそく(=武具)を使う武術くらいの意味のようです。薙刀や槍を大具足おおぐそくという例もあるので、個人的には語源はこの小さい具足ぐそく(=小さい武器)という意味ではないか、と思っています。今後の研究者の研究に期待です。


 ※1 腰の廻りは腰の使い方、体の使い方を表している、という説もありますが、後世のこじつけのような気がします。

 ※2 小具足姿は鎧や兜を着用せず、籠手やすね当てなどのみを付けている軽微な武装のこと。鎧・兜以外の防具類を小具足と言うようです。


 では、腰廻・小具足がどのような武術かと言うと、主に脇指わきざし、それも座敷内ざしきないで腰に差しているような短い脇指(小脇差こわきざし)を使った武術になります。多くの流派の小具足で、互いに脇指を腰に差し対座しているような場面から始まる技を基本としています。よくあるのは、


 互いに片膝立ちになり(もしくは片膝を前に出して)左手で敵の胸倉むなぐらを掴み、右手で抜刀し敵を突く、またはそれを防ぐ


というような技です。いわゆる護身術(ただし室町時代的な)です。


 基本は座った状態(座敷など、屋内)ですが、応用として歩行中に背後から掴まれた、並んで歩いている相手に襲われる、などの想定も良く見られます。当然、現代的護身術と違い、敵も自分も太刀や脇指を帯刀している状態です。

 特に、歩行中の想定では帯刀しているので、攻防の途中で抜刀し、刀(太刀)を使うこともあります。剣術(兵法)は抜刀した刀を使う武術、小具足は互いに抜刀する前の武術とも言えます。


 護身術だけでなく、相手をつ(殺す)ための技も含まれる場合が多いの小具足・腰廻の特徴です。例えば、色々な流派にあるものとして、


 ・配膳はいぜん中に敵に食事の載った膳をぶつけて虚を突いて突き倒し、膳の下に隠していた脇指で突き殺す。

 ・食事中に(もしくは配膳して置いた)膳を飛び越して飛びかかり突き倒し(以下同様)

 ・酒(または石・毒薬・脇指)を相手の顔にぶつけて虚をついて飛びかかり(以下同様)

 ・刀を見せる(渡す、授ける※3)ために相手に刀を手渡す瞬間、敵を突き倒して持っている刀を抜刀、切り殺す



 というようなものがあります。また、これらの技への対処(返し技)も小具足の技として良く見られるところです。


 鎌倉、室町時代の記録を見れば謀殺はかなり多く、上記に書かれているようなシチュエーションは現実的なものだったと思われます。(当然襲う側だけでなく、襲われる側としての想定も)

 ここで重要なのは、これらの技術の想定が合戦での組討勝負ではなく、あくまで日常で遭遇するシチュエーションとなっているところです。冷静に考えれば、双方武装した(甲冑等着けた)合戦よりも、日常突然襲われる方が危険な場面と言えるのはわかると思います。そういった場面こそ、道具に頼らない、身を護る技術が必要だったのかもしれません。小具足・腰廻というのは、そういった日常での闘争技術を基礎にしていると言えます。


※3 室町時代や江戸時代には、刀を褒美として授ける事がありました。また、名刀を拝見する機会などもあり、刀をみる際の作法なども存在しました。兵法の資料を見ると、この刀を見る際、もしくは刀を授かる/受け取る際というのは、特に気を付けるシチュエーションとして登場します。刀を渡す側の立場にしろ、受け取る側の立場にしろ、敵が何らかの謀をし、こちらを討とうとしている場合、非常に危険な場面になります。基本的に室内では太刀や長い刀は腰から外して預けたり、置いておく場合が普通です。そのため、小具足などでは脇指で攻防をします。ところが、刀(太刀)を拝見する/授かるなどの場面では刀(太刀)が存在するため、これを使って切られる可能性がありました。


 また、これらの短刀を使った技法は、そのまま戦場での組討でも流用することが出来るものが多いと思われますし、戦場で使用する事も考えて形(=技)を作っていたのではないか?と思われる部分もあります。例えば、諸流派の短刀で切りつける際に狙う場所は、甲冑でも急所となる場所と重なります。例えば、手首の内側、喉、股間、脇下などです。


 これは、日常で使用する兵法(=剣術)と戦場で甲冑を着用して戦う兵法(=剣術)の関係に近いのではないか?と思われます。


 次回、室町時代や戦国時代の諸流派とその技法について書きたいと思います。


 参考文献:

 高橋賢「幻の日本柔術」月刊空手道連載(未完)

 松田隆智(1978)「秘伝日本柔術」新人物往来社

 山田実(1997)「YAWARA 知られざる日本柔術の世界」BABジャパン

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