専門分野を解りやすく丁寧な説明で 感激しました。
時代をまたいで 武術史を証拠に基づいて説明されていて感激しました。
独自の視点も お見事です。
この様な学術的な立場から 正確で 後の基準となり得る研究が広がる事を
願っています。
どの様な応援が可能なのかわかりませんが、応援したいです。
世の中には 伝書を見て それらしい技術を勝手に拵えていると思われる
様な宗家病の方が見られる対極の様なこちらの論文は爽快です。
<愛洲薬について>
私も興味があって少し調べたのですが、愛洲薬は上泉信綱から山科言継へ
という流れでは無いと思っていました。
何故なら 言継卿記に信綱が大胡武蔵野守として初出するのが
永禄12年(1569年)正月15日ですが、その17年前の 天文21年(1552年)2月17日
の条に <後奈良朝の下級女房である> 台所の非司 徳女という者へ愛洲薬
一包を遣わしたとあるからです。
今はこれしか記録していませんが、信綱登場の前から相当数 愛洲薬が言継に
よって処方された記録があったと記憶しています。
言継の薬は 後に息子の言経へ受け継がれ 家伝となる「頓医抄四十七脉書」
にあるらしいです(聞いた話で確認取れていませんが、、)
以上参考になればうれしいです。
作者からの返信
過分なお言葉、ありがとうございます。
ご期待に添えられるように今後もできるだけ根拠資料を載せていくスタイルでいきたいと思います。
薬の件、ご指摘ありがとうございます。
たしか、二、三人の方から愛洲薬と上泉は関係ないという話を以前聞いた記憶があったのですが、資料が見当たらなかったのでそのまま書いておりました。
薬の記載は削除しておいて、根拠資料が見つかったらまた、編集したいと思います。
丸目ってこういう人だったんですね🧐
作者からの返信
丸目蔵人佐は信綱の弟子の中でも特徴があって面白い人物ですよ!